【民俗】鹿児島県垂水市の庚申信仰
垂水市、新城の田平の入り口、水之上の今川原、柊原の上比良などには、こけむした庚申の石像があって、今も大事に祀られています。
庚申(こうしん・かのえさる)とは、干支( かんし・えと )という、六十を周期とする数の括りで、暦法や方角を表す際に用いられます。
干支は、十干( じっかん/甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸 )と、十二支( じゅうにし/子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥 )の組み合わせのことであり、10と12の最終公倍数である60通りあるため、60年や60日など、干支は60を一周期とします。
よく知られている「還暦」もこの思想に基づくもので、60年経って干支が一巡し、自分が生まれた年の干支に還ってくるまで長生きしたことを祝う行事です。
また、道教という中国の宗教では、六十日に一度めぐってくる庚申の日には、睡眠中に「三尸(さんし)」という虫が人間の 体から抜け出し、天帝にその宿主の罪を告げ、造悪の分の寿命を縮めると考えられており、庚申の日の夜は眠らずに過ごすという風習が行われました。
この習慣は、日本では平安時代に貴族の間でひろまり、江戸時代に入ってからは、大衆の間でも「庚申講」という集まりがつくられて、みんなで語ったり、飲食をしながら楽しく夜を明かしたといいます。
こういった文化の総体を「庚申信仰」と呼び、様々な神仏を本尊としますが、特に病魔を祓う鬼神である、「青面金剛」という尊格を祀ります。
市内の庚申信仰については、新城の像は「カネサッドン」と呼ばれ、今川原では「サッドン」と呼ばれて、どちらも農業の神としての役割を帯びています。
また、庚申はかまどの神火の神ともいわれ、「荒神」という字をあてる地域もあります。「荒神( こうじん・ あらがみ )」はもとは別の神格ですが、名前が似ているため、同一視されたのです。
昔の垂水では、旧暦一月十四日に庚申講をしており、その中身は、火の安全を祀る火祭だったといいます。二次大戦直後まで浜平で行われていた「カノッサァ祭」も、火の神(カノッサ・カノッドン)を祭る講でした。
水ノ上では、昭和後期まで庚申講があったといいます。昭和 53 年の『市報たるみず』にも、
と記されています。
柊原の上比良の庚申像は国道脇に立っており、道の曲がり角に建っているので、「マガイドン」と呼ばれます。(※現在は移設されている)
市内各所の庚申がその地域ごとの名前で呼ばれているのは、それだけ地元の方が庚申像に親しみを抱いている証拠といえるでしょう。
また、柊原小学校の校庭にも庚申信仰の像があります。
この像は「青面金剛像」というもので、青面金剛は、体が青色で、四臂や六臂に造り、目は赤くて三つ、頭髪は火のようにさかだち、身には蛇をまとい、足下には二匹の鬼を踏みつけた怒りの形相です。
青面金剛には伝尸病(でんし・結核)を治す力があるとされ、庚申と習合されるようになったのです。
柊原小学校の青面金剛像は、総高 88 ㎝で、背面に刻銘がありますが判読できません。左右 3 本ずつの 手があって、三叉戟(さんしゃげき)や宝剣のようなものを持ち、足で天邪鬼(あまのじゃく)を踏みつけています。
この像は昔、校門の南側の校庭を整地した際に出土したもので、この像も農業の神と考えられます。
【参考】『柊原の歴史誌』中島純昭・『市報たるみず』110 号
写真はいずれも2022年夏期に撮影
(2022年7月)