思考の学校で学んだこと(依存)
大人になるのが怖かったです。
大人になればなるほど自由になるという方がいますが、私にはそれが実感としてありませんでした。
夜更かしができるとか、お酒が飲めるとか、何かを決めるのに誰かの許可を取る必要が無いとか、時たま「自由」を実感して「これが大人なのか」と思うことはありましたが、自由を感じるより「責任」を感じることの方が多かったです。
そして、私は「責任」が嫌いでした。
責任というものに持つイメージが「自分を傷つけるもの」「嫌なことを押し付けられるもの」「誰かに責められるもの」「孤独になるもの」だったからです。
大人になれば責任がやってくる。
誰も自分を助けてくれない状態で、一人で世界にポツンと立って、全てを自分で決断して、全てを自分で背負い込まなければならない。
愚痴も言えず、泣き言も言えず、何が起こっても涼しい顔をして華麗に乗り越えていく。
世の中の荒波を真正面から受けても弾き返す。
それが大人だというイメージがありました。
どんな人だ、それは(笑)。
大人になることから逃げまくっていました。
もう孫がいてもいい年なのに。
年齢がどれだけ行っても関係ないですね。
児童と呼ばれる年齢の時が一番「大人」だったのかもしれません。
「お前はしっかりしている」「お前は手がかからない」「お前に任せておけば安心だ」とよく周囲の大人たちから言われていました。
それが問題だったのかもしれません。
「いい子」で良すぎたのもしれません。
周りにとって都合のいい子どもだったに過ぎなかったのかもしれません。
本当は
『自分の人生を自分で決めて自分で歩く。』
大人になるということはそれだけのようです。
私は大人のふりをしてきましたが、根っこのところで「誰かに幸せにしてもらいたい」と思っていました。
でも、自分を幸せに出来るのは自分しかいないようです。
どんなに信頼して、毎日「私たちラブラブだよね〜」と言い合うような夫が隣にいてくれても、幸せかどうかを決めているのは自分です。
誰かに自分の幸せを委ねている限り、不安から逃れることはできません。
自分の人生に自分で責任を持つ。
他人の責任を負う必要はない。
自分を幸せにすると決めて、自分で決断を下し続けていくという覚悟を持つ。
私の人生、これから始まります。