父がいる原風景の中で
そこは山の中をローカル線がのどかに走る、小さな駅の小さな田舎の町。
駅前には古びたお土産屋さんが1軒と、色あせた食品サンプルが飾られたお蕎麦屋さんが1軒だけ。
そこから駅前通りをまっすぐに進むと、昔からのお饅頭屋さんがある。
大きくて茶色いお饅頭が美味しかったのは私の子供の頃の記憶。
その角を曲がると赤い昔の郵便ポストと、たばこ・切手の四角いトタン板の看板が見えて来る。
おばあちゃんは笑顔が可愛いたばこ屋さんの看板娘。
タバコがきれいに並んだガラスケースの後ろで、おばあちゃんはいつも座布団に座って店番をしている。
しんせい、わかば、ピースなどの銘柄を売っていたのだと思う。
通りを行き交う人におばあちゃんは声をかけたり、かけられたり。
たばこ屋さんの中は、たわしや桶、やかん、はたきやほうきなどを売っているよろず屋さん。
今ではよろず屋って何?と言われそうだが、小さな町で生活に必要な物を色々と売っている個人商店のこと。
私の父は昭和の初め、ここで生まれた。
6人兄弟の末っ子。
あれから何十年とたち今はもうこの町に昔の面影はない。
よろず屋さんがあった場所には大きなビルが建ち、カラオケ屋さんや飲み屋さんとなり、近くにはコンビニや大手スーパー、ホームセンターも出来た。
もしかしたらあのお饅頭屋さんはまだ残っているのだろうか。
今、私の父は地方の施設で元気に暮らしている。
遠距離でなかなか会えないのだが、施設から私の元に毎月郵送で父の記録や毎日の献立表、食だよりなどが届けられる。
今月はいつもより大きな封筒で届いた。
何か書類でも入っているのかと封を開けると、中には写真と金魚のイラストが可愛いスタッフさん手作りの短冊が入っていた。
父が七夕の時に書いたのだろう。
短冊には「故郷の長野に帰りたい」と自分の名前とお願いが書かれていた。
きっと父は生まれ故郷の風景をもう一度見たいのだろう。
今や子供の頃の原風景とは大きく変わってしまったけれど、
すでに両親はもちろん兄弟も皆亡くなってしまったけれど、
皆にもう一度会いたいのだろう。
今となっては叶えられなくなってしまったこのお願い。
両親、兄弟が眠るお墓は確かに今もそこにある。
さるすべりの木に囲まれたお墓が確かに今も変わらずそこにある。
認知症の父にとっては、皆がまだ頭の中で生きているのだろうか。
もしかしたら一緒に原風景の中にいるのだろうか。
お茶にしましょう
なんだかお饅頭が食べたくなりました
あの頃のお饅頭は今よりもっと甘かったのでしょうね
今日は冷たい緑茶にしましょうか