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最後の1杯 バーの右端のカウンターで 

その薄暗いバーのカウンターは10席くらいだろうか。
レトロ感の漂う店の壁一面には様々な洋酒がきれいに並び、ライトで照らされていた。

そのカウンターの一番右端に、少し背が丸まり小さくなった老人がひとり、バーテンダーと昔を懐かしみ静かにお酒を飲んでいた。
きれいにカットされた丸い氷が入ったグラスの中はきっと、年代物のウイスキーなのだろう。

歳を取ったら、良いお酒を少しだけ味わいながら飲みなさい。
そんな大人のお酒の飲み方をしなさい。
と私の父が言っていたのを思い出した。

若い頃はまだ自分の適量というものを知らず、安いお酒を飲んで気の合う仲間と、夜中までどんちゃん騒ぎをした。
それはそれで楽しかった思い出ではあるのだが。
翌朝の二日酔いに、もう飲み過ぎはしませんと何度自分にごめんなさいをしたことか。

私の父はバーテンダーだ。いやバーテンダーだった。
私には、父と一緒に夕食を食べたという記憶があまりない。
夕方、仕事からお父さんが帰ってきて、家族で食卓を囲む光景は我が家には無かった。
いつも母とふたりで食べる夕食は、大好きだったおかずが何だったのか何を食べたのかさえも思い浮かばないのだから、大したものは食べていなかったのだろう。

やがて私が大人になり東京で働きお酒が飲めるようになると、出張で東京に来る父と度々銀座で会い、父の知り合いのバーを巡った。
バーテンダーさんに1杯どうぞと、さりげなく振る舞う父。
そこには「うちの娘だ」と、うれしそうに私を紹介する父がいた。
たぶん父と一緒でなければ、今でも私はあの重厚なドアを開ける勇気はないであろう。
そもそもケチくさい私には1杯どうぞなんて言えないのだけれど。
レコードでジャズやシャンソンが静かに流れるお店は、まさに大人の空間だった。
今はもう、どのお店もなくなってしまったのだろう。

一度だけ、父がシェイカーを振ったカクテルを飲んだことがある。
黒の蝶ネクタイにベスト姿の父はカッコ良かった。
あの時のカクテルが何だったのか今となってはわからないが、ライムの味がしたような記憶だけが残っている。

そんな父もだんだん認知症が進んできた。
今食べたご飯を忘れてしまうものの、お店の昔のお客さんの顔と名前、勤め先はしっかり覚えているのだからびっくりする。
顔は知っていても名前が出てこない、なんてことは私はしょっちゅうなのに。
そろそろひとり暮らしも難しくなり施設かと思うものの、毎晩のビールが楽しみな父だ。
私の安心のための施設か、それとも今の父の家の自由か。

ただいつの日か父が施設に入る時、私は一つだけやってあげたいことがある。

弟子が引き継いだ父のお店は、棚に並ぶ洋酒の種類も増え、生クリームやフルーツ、日本酒を使ったオリジナルカクテルもある。
今や客層も変わり、若いカップルや女性1人でも気軽に入ることが出来るお店となった。
お客さんに父の知り合いはもう多くはないけれど、バーのカウンターは昔と同じ、今もそのままだ。

その日は特別な最後の日だから、
あの一番右端のカウンターの席で、
年代物のウイスキ一を静かに味わいながら、最後の1杯。
最後の1杯はどんな味がするのだろう。

ひとつひとつのnoteに想いがあります。
どれも私にとって大切な作品です。
私はいつもそんな気持ちでnoteを書いています。
このnoteは1年半ほど前に書いたものを、加筆修正しました。
私の好きな作品のひとつです。
こうして、より思いを込めたい作品にして行けたらと思います。

さてその後の話しを少しだけ。

「今日は何が食べたい?」
「う~ん何でもいいけれど 寿司がいいな」

あれから施設に入った父。
面会制限は多少緩和されたものの、未だ制限付きだ。
そんな中、外出許可をもらいバーのメンバーと一緒にお寿司屋さんに行くことができた。

帽子をかぶって少しだけおしゃれをした父。
父にとっては久しぶりの外出だ。
念願のお寿司を食べてビールが飲めたことが、とても嬉しかったのだろう。
「美味しいなぁ~ビールもう1本」
「いやいやもう酔っ払うからやめた方がいいよ」

あれから認知症が更に進んだ父はビールを飲んだことも、お寿司を食べたこともすぐに忘れてしまうのだろう。
でもそこには、その時が楽しかった美味しかったの笑顔があった。
きっとそれで良いのだろう。
ほんとうはビールはノンアルコールビールだったのですが。


お茶にしましょう
暑い1日の終わり
今日はおちゃけにしましょうか
ワンコとニャンコ缶のビールです
ノンアルコールビールではありませんよ


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