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嫌なこと、めんどくさいことから逃げてきた人生

わたしの人生は、他人から見れば舐めてるだろ、そんなんじゃこの先苦労するよ笑って感じの人生です。笑い事じゃないんだけどね。この記事は私がいかに言い訳をして嫌なことから逃げてきたかについての記事です。
読んでて腹が立ってくるかもしれません。イラついている人は読まないほうがいいです。

では、ようこそ、わたしの馬鹿げた人生へ!!

幼少期 保育園から逃げる

幼少期、わたしは保育園に通っていました。毎朝母と離れたくなくて園の門前でぎゃーぎゃー泣いていました。母も仕事に行かなきゃいけないので、わたしを保育士さんに預けて帰ります。しかし最悪なのは参観日のときです。一度母を見ると離れたくなくて一緒に帰りたくなってしまい、無理を行って早退してました笑笑。実は全然そんなことないのに、お腹痛い〜とか頭痛い〜とか言って早退して、母の自転車の後ろに乗って家に帰ったことを覚えてます。みんなはまだ保育園にいるけど、私は家に帰って遊べる。優越感に浸っていたし、その日は本当にいい天気でした。わたしは愛されていて、わがままでした。

母親と父親 過保護?心配性?

厳しい母親なら早退を許すようなことはしなかったでしょう。私は甘やかされていたので、嫌なら逃げることが容易にできました。母は私に甘いだけでなく心配性でした。なんでも先回りして私が失敗しないようにしていたし、わたしが分からない、できないと放り出したことはすべて母がぱぱっとやってくれました。だからわたしは少しでも不快に感じたことはすぐ放り出して誰かに頼って、自分でできる方法を考えるということをしない子供でした。また今もそうですが手先が不器用です。

父はよく言えば物静かでおだやか、悪く言えば影が薄いです。母はわたしの逃げを、嫌な顔をしながらも結局許してしまうし、父は何も言ってこないか母に同調するだけなので逃げ放題でした。また私は3きょうだいなのですが、きょうだい全員不登校になったことがあります。ある種の不登校の子供たちには、父親の影響が大きいと何かの記事で読んだことがあります。これについてはまた別の記事で書こうと思います。

小学生 習い事をすぐやめる

小学生になると、いくつか習い事をさせてくれました。4,5つやらせてくれたのですが、長く続いたのはそのうちの二つだけでした。あとはひどいと一週間、長くても2,3か月でやめてしまいました。特に楽しくないしめんどくさくなったからです。恵まれているのに何をしているんだって感じです。腹が立ってくる人もいると思います、ごめんなさい。意欲や能力があるのに、経済的な事情から様々なことを経験する機会を奪われる人と変わったほうがいいのではないかと思うくらいです。経済学者のアマルティア・センが「貧困とは、潜在能力を実現する権利のはく奪」と言いましたが、わたしは皆が持てるわけではないその権利を持ちながらも、十分に利用しなかった愚か者です。本当に人生をなめている子供でした。数年続いた二つの習い事も、自主練や先生が嫌になって中途半端な時期で突然辞めました。しかもひどいのが、小学校高学年、中学生になっても、やめますという旨の報告を母にしてもらっていたことです。ほんとうにひどいですね。

中学生 一番逃げなかった時期

中学生になると定期テストというものがあり、高校受験も迫ってきます。わたしは小さいころから暗記は得意だったので、勉強を頑張ってそこそこいい成績をとることができました。ただわたしは考えることをしない人間だったので、思考力が問われる問題はさっぱり解けずに、「成績いいはずなのになんで解けない?」と先生に馬鹿にされました(笑)。また部活動は逃げすに3年間活動しました。文化部だったのでそんなに大変じゃないし、仲のいい友達と一緒だったから続けられたと思います。

高校生 勉学と人生最大の逃げ

高校は地元の公立自称進学校に進学し、成績はトップでした。普段から公式や原理を丸暗記するのではなく、なぜそうなるか、応用するためにはどう考えればいいか、明確に整理されるまで徹底的に考えていました。テスト期間には2週間前から計画を立て課題を終わらせ、自分が出来ていない類題を解いたり、解きなおしをしたり、インプットアウトプットを繰り返し、かなり入念に勉強しました。家に帰ってからすぐ机に直行し、3,4時間机にかじりつきました。二年生までは。そうです。前の記事でも書いた通り、3年生になって人間関係がめんどくさくなりさぼり始めました。ここが今まで犯した逃げでもっともひどいものです。言い訳としては、ほかのきょうだいも不登校だったので私もいくのやめよーっと、です。保健室の先生も親もいい人ばかりで、わたしはきょうだいと違って病気でもないし、年齢が低いわけでもないし、頑張ろうと思えば頑張れたのに!勉強という最も贅沢なものをやりとげなかった!愚かな女子高生です。

そして通信制高校に転校しますが、忙しいとはいえ大学受験の勉強をする時間はあったのにめんどくさいのでやりませんでした。また行きたい私立大学があったのですが、学費が高いので諦めていました。本気で頑張って結果をおさめ、制度を調べれば、負担が少なく行けたかもしれませんが、これもしませんでした。めんどくさいからです。自分でできる自信がありませんでした。かといっていい年して母に頼るのも恥ずかしくてできませんでした。やればいいだけなのにね、呆れてしまいます。

まとめ 

こんな感じで、わたしは頑張ることができて努力が認められる環境であったのにもかかわらず、肝心なところで嫌なことから逃げてきました。この逃げ癖をもうそろそろ、いや、今すぐにでも直さなければならないと感じています。逃げて逃げて逃げ回った先にあるものは、死だというように感じるからです。私からすれば、周りのみんなは受験や学校や習い事や仕事や人生から逃げずに、嫌でも頑張っています。なぜ逃げないのか不思議です。親が厳しくて逃げれないのかもしれないし、そこで生き延びるしかないのかもしれません。そう考えると、逃げるというのはセーフティーネットがあるからこそできるありがたいことなんですよね…。

読んでくれてありがとうございました。Thank you! Gracias! Merci! るえな

おまけ 論理的思考力と数学について 

ちなみに私の唯一頑張った勉強に関して(途中で放り出してますが)、大学に入って気づいたことがあります。わたしは数学や物理が嫌いでしたが、大学は文系なのでそれらをやる必要がなく、かなり負担感が少なくなったということです。好きでも楽しくもないのに、無理にやる勉強がいかに私をむしばんでいたか。今になってわかります。といっても数学があったおかげで、わたしは少しは考える人間に変われたかなとも思うのですが。数学は論理的思考力を鍛えるのに重要だといいますが、わたしにはその思考をするための根本的な基礎が全くなかったので、中学に入ってからは大変でした。そもそも考える、ということが何か、どうやればいいのか全く分からなかったのです。今まで暗記で乗り切ってきたけど、それでは太刀打ちできまなかったので、はじめて頭を使ったという経験でした。数学はある程度必要ですね。


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