短編小説8

男は必死だった。
小学生の時から中学受験のために勉強をした。中学生の時は高校受験のために必死に勉強した。大学生の時は大学受験のために必死に勉強した。
大学生になってからは課題とバイトに追われ、様々な責任を背負うことになった。
男は気づいた。常に何かに追われていることを。どれだけ目の前のことに頑張っても、何からも逃れられないことを。
このまま頑張っても、社会人になっても、常に追われているだけだ。
ここまで頑張っても平穏が必ず訪れるわけではない。
次第に男は狂っていった。
男は自分を傷つける行為が楽しくなってきた。
心理学的には「破壊欲求」というらしい。

仕事をやめ、リスカを始め、クスリにも手を出していった。
男は最高に楽しかった。積み上げてきたものを全て破壊するのが。

12月のある日。雪が降っていた。
夜のベンチで男は座っていた。
「何してるの?」
街灯が目の前の男の子を照らしていた。
「……」
「何してるの?」
「座っている」
男はぶっきらぼうに答えた。
「なんでこんなところに座ってるの?お家は?」
男の子は質問を続けてくる。
「家なんてない」
「お家が無いと寒くて死んじゃうよ」男の子が言った。
「私はここで自分が死んでいくのを待ってるんだ、次第にお前もこうなるよ」
男の子は唖然として男を見つめてた。
「僕はおじさんになったりしないよ。毎日が楽しいもん。僕の学校は世界で一番面白いんだ。」
「お前のとこより面白い学校なんていくつもある。次第に…気づいていくだろう」
男は下をみつめた。
「おじさん辛そうだね」男の子が言った。
「辛いとも。もう自分が落ちてく姿を見ることしかできないんだ」
街灯がチカチカと点滅してきた。
「僕、将来心のお医者さんになるんだ。心のお医者さんになって困ってる人を助けるの。うちのお母さんは心の病気を持ってるんだ。お母さんの病気は僕が直してあげるの。おじさんが辛いのも僕が治してあげるよ」男の子が言った。
「そりゃ助かるな」男が下を向いたまま答えた。
男の子の笑顔は街灯よりも男を照らしていた。
「お母さん、なんの病気なんだ?」下を向いたまま男が尋ねた。
「鬱病、昨日海岸に行ってから戻ってこないんだ」
「どこの海岸に行ったんだ?」
「東尋坊」
「えっ」
男は顔を直ぐに上げた。
男の子はいなかった。
「あいつは俺だ」そう言って男は顔がぐしゃぐしゃになるまで泣き続けた。

あの冬の日以降、男を見た人はいない。


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