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【Physical Expression Criticism】ドラマニア~テレビドラマの魅力・4~

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「レディジョーカー」(WOWOW)

ドラマと映画の違い

 ドラマをずっと見ていて、映画を見ると、やはり映画のほうがすごいと思うこともある。2時間以内に物語を濃縮し、お金と時間のかけ方も映画のほうが遙かに大きい。

 だが、時折、映画以上と思えることもある。例えば、高村薫の『レディジョーカー』(1997年)、横山秀夫の『64(ロクヨン)』(2012年)のような小説は、ドラマ化(前者2013年、後者2015年)も、映画化(前者2004年、後者2016年)もされたが、ドラマのほうが丁寧に描かれており、大部の長編小説はドラマのほうが合う。

 ドラマのメリットは、長い尺がとれること、毎回、起承転結が重ねられていくことだ。これは、連載小説と読み切り小説の違いにも似ている。日本の小説文化は、夏目漱石、永井荷風を例にとるまでもなく、新聞小説、さらに雑誌の連載で培われたといえる。そのため、ドラマと連載小説や長編小説は、相性がいいのだ。

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「64(ロクヨン)」(NHK)

ドラマとマンガの関係性

 現在のドラマはマンガ原作が非常に増えている。その理由の一つも、連載という形式だ。多くのマンガが雑誌で連載される。その流れと起伏、毎回の起承転結が、ドラマの連続性と合うのだ。

 もう一つは、読者・視聴者に寄り添うという姿勢だ。マンガは読者層・年齢を狭く設定し、共感や同時代性を重視している。ドラマ化されるマンガは、若い女性を対象としたものが多い。そして、ドラマの視聴者の中心も若い女性なのだ。おそらく私のように、シニアの男性でドラマにはまっている人は、さほど多くはない。

 さらに、マンガ原作もあなどれない。マンガや小説などの原作があって、そこから新たな作品が生まれている。前述のように、小説の映画化よりもドラマ化のほうが、圧縮度も少なく原作を生かせる点もある。

 つまりドラマは、連載小説、連載マンガを楽しむように、次回の展開を期待して見る。また、毎回完結のドラマでも、主人公に関わるもう一つのドラマ、伏線があって、それが放映ごとに徐々に明らかになるというものもある。このように、連続性、連載性と、若い女性が視聴者ということから、マンガ、特に少女マンガからのドラマ化が多いのだ。

少女マンガの影響

 高校時代から少女マンガにはまった。「花の22年組」といわれる、昭和24(1949)年前後に生まれた、萩尾望都(24年)、竹宮恵子(25年)、大島弓子(22年)、山岸涼子(22年)などの全盛期である。当時、年長の従姉妹から大島弓子を教わり、それではまった。この世代は、おそらくその数十年前だったら、少女小説の書き手として、その後、有名作家になるような人たちだったろうと思っていた。

 70年代は、マンガというジャンルが、『COM(コム)』(虫プロ)や『ガロ』(青林堂)などによって、実験性を持ち始めた時代だった。そして、少年マンガが、相変わらずスポ根や戦闘中心で、幼稚に見えたのに対して、当時の少女マンガには高い文学性を重視したものもあったのだ。そのため、文学ファンも質の高い少女マンガに目を向けた。高橋源一郎が、1981年『さよならギャングたち』で注目を集めたときに、その小説に大島弓子が引用されていた。吉本ばななの小説への大島弓子作品の影響も広く知られている。

 少年マンガから貸本マンガを経て、青年コミックが生まれたが、少女マンガはそのまま、少女向きと大人対象の作品が重なっていた時代だ。その後、レディスコミックが生まれた。

 最近のドラマをマンガ原作と比較していないので論じられないが、毎期、数本はマンガ原作ドラマがあり、その多くが少女マンガなど、女性向きのマンガである状態は間違いない。なお、大島弓子の『グーグーだって猫である』(1996~97年)は、映画化(犬童一心監督、2008年)され、WOWOWでドラマ化(同監督、2014年、2016年)もされた。

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「グーグーだって猫である」(WOWOW)
(C)2014 WOWOW INC./C&Iエンタテインメント

うたかたの夢を見る

 ドラマは「うたかたの夢」である。小説は、物語が終わった後も、紙の本が実在し、存在を主張する。だが、ドラマは放映されると、毎回、電波とともに消えていく。再び見ようと思うと、かつては再放送を辛抱強く待つしかなかった。映画は一回限りではなく、上映期間中は何度も見られる。そしてロードショー後、二番館、三番館、名画座などでかかり、ビデオ、現在ではDVDが発売される。

 ドラマも、現在は放送終了とともにDVDが発売されるものも多く、しばらく前は、daylymotionやPandoraなどに、違法アップロードされていた。対抗処置から、テレビ局共同の無料サイトTVerが生まれ、さらに各テレビ局が公式サイトをつくっており、だいたい放映後1週間は無料で見られる。NHKでも見逃し配信サイトをつくっている。そのため多くのドラマは、毎週録画する必要がなくなってきた。広告も放映時より少なく、低速でテレビ放映をハードディスク録画していると、それよりもTVerなどのほうが画質はいい。パソコンがなくてもスマホで見られるし、Amazon FireTV stick、AppleTVなどを使えば、ふだんの大きいテレビ画面で簡単に見られる。

 余談だが、FireTV stickは、Amazonプライム、GYAO、YouTube、WOWOWオンデマンド、さらにネットにもアクセスでき、パソコンからAmazon Photosに保存した写真や映像も見られる。「バッハをかけて」などといえば、音楽を流してくれるし、映像も検索してくれるので、仕事の際のBGMに重宝している。

 このように、テレビドラマは、録画やネットで見られるようになったため、以前のように「うたかたの夢」、一夜の夢ではなくなってきたが、それでもやはり、映画よりも遙に一過性の感がある。

 また、民放ドラマは、広告、CM(CF)が特徴だ。そのタイミングでトイレにいく、飲み物や食べ物を取りにいくなど、子ども時代の習慣が思い出される。ドラマに間に合うように急いで帰ったり、見終わったドラマのことを友だちと話したりして楽しんだ。映画より身近な共通するコミュニケーションツールでもあった。怖い場面で炬燵に隠れた思い出もある。だれでも、一度はドラマに熱中した時期があり、家庭での思い出もあるのではないだろうか。

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「キャプテン翼」

ドラマの国際化

 子どものころの海外ドラマは、異文化に触れる窓口だった。ほとんどが米国ドラマだったため、ドラマを通して、善かれ悪しかれ米国文化の影響を受けていた。そこから、欧米へのあこがれが生じていても不思議ではない。

文・志賀信夫(批評家・ライター)

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