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児童虐待と社内暴力は何故必要とされるのか。また、私の死因と私が生きかえった理由について。

心が止まるというのは、死んでいるのと同じです。私の心は動くのを止めました。私は死んだのです。そうなった原因はひとつではないから、それを語っていこうと思います。

大まかにいうと、家庭や会社や勉強や趣味の場において、父から
①成果を出すための継続を妨害され
②成果が出はじめたら全て奪われて
③理由もなく謝罪をさせられ続けた
からです。

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【父】

私の父は「錠前屋の社長の息子」という立場です。父はその立場を利用して、社内や地元の五反田で会社の名前をちらつかせて、ちょっとしたパワハラを繰り返していました。

私を朝礼で裸にするとか、居酒屋の製氷器の中に小便をまぜるとか、女性店員を自宅まで付け狙うとか、他人の結婚式を妨害するような、どこにでもあるような、よくある普通のかわいいパワハラです。問題にならなかったのかというと、そうです、問題にはならなかったのです。

一体何故なのか。そもそも、私の父は知的障害者なのです。奇形ともいえるような脳の構造をしていて、前頭葉がほとんど備わってないため、目の前の人を殴りたいなあと思ったら、その場で殴ってしまうのです。

他人のものを奪い、奪えない場合は破壊する父。

父は障害を自覚しており、むしろ、障害者だからこそ何をしてもいいだろうと他人に迫ります。障害を武器として用いるのです。もちろん彼は精神異常者なので、自らを天皇だとか、闇の軍団の幹部だとか、神の世界と更新している勇者だとかを自称して、突如として明後日の方向を向き、「アンダラポンキ、アンダラポンキ、アンダラポンキィ!」と奇怪な呪文を唱えます。だから、被害を受けた方々は「なあんだ、それなら仕方がないね」と堪えながら耐え忍びます。それでも怒る人はいますが、数字や社名の書いてある紙を数枚ちらつかせられると、なぜかみんな、にっこりと涙を浮かべながら黙ってしまうのです。父の暴力はもちろん私にも向けられました。

「文房具の危なさを教える」という大義を盾に、私の指にホチキスを刺す父。


【母】

私の母は、そんな父に対してもちろん初めから興味はありませんでした。母の興味の対象は、父が相続する予定の遺産です。結婚すればカネが手に入る。カネの成る木を自分から逃げられないようにしたい。そう考えた母は私を産み、父と結婚しました。

母は、熱心に、懸命に、父を支えました。母は、社内でリンチが大事になると相続できなくなるかもしれないからと、反抗しなさそうな弱い人を死角で襲うべきだとか、なるべくなら自分の子供を殴るべきと、実践的な虐めの戦法を父に提案したのです。やがて、母も徐々に暴力の喜びに気がつき始めました。殴られている私や父の部下を、カメラで撮影したり、鑑賞するようになったのです。

母は、暴力の最前列で父をラジコンにして他人に加害をしながら、あくまでも無関係な観客として居座り、場合によっては被害者の立場をとります。虐めの楽しみ方がとても上手いのです。

【叔母】

私の叔母はアナウンサーでした。従って、言葉で人を問い詰めることが大変上手いのです。

叔母の旦那は、叔母から無能さを指摘され続けて首を吊り、亡くなりました。身近な人が亡くなったことを他人からカネを引き出すための武器として用いることができると気がついた叔母は、いつしか親戚に自殺を勧めるようになり、当然ながら、私も標的になりました。
叔母はお前が死んだら話のネタになるからと自殺を勧めてきて、私が自殺を拒否すると「お前が死んだら嬉しいとこの私が言っているのに、お前は私の幸せを奪うのか。自己中心的な考えを捨てなさい」と迫り来るのです。

【親族】

年齢が上の親族どもに共通することですが、奴らケダモノたちは「最初に殴ろうと思っていなかったから、殴ったけど殴ろうと思ってはいなかったから罪にはならない」といったことを度々主張します。

嘘とは過去の捏造のみを指し、未来にデタラメな予定を立てることを嘘とは思っていないのです。

【私】

私は祖父の会社で両親から四肢に針を刺されたり首を絞められて弄ばれていたので、うんざりして、ふと、ビルから飛び降りました。小学5年生の冬の日でした。

運悪く私は生き延びていました。骨盤や腕がへし折れてもなお息をしている私の前で、両親は怒りもせず、悲しみもせず、喜んでいました。よく聞いてみると、私が死を選んだことに喜んでいるのではありません。やりようによってはカネが手に入るかもしれないからと、死にかけている私を見て、皮算用をしていたのです。

母は「父が勤めている会社に子供が殺されかけた」と、会社からカネを引き出そうとしました。父も母に倣い、「会社の防災対策が悪いから子供が落下した」と、会社からカネを引き出そうとしました。

私はようやく、いよいよ、絶望を理解しました。過激な方々が主張しがちな「私が死んだら世界は多分変わるだろう」という物言いが嘘だとわかったのです。

そうして、私の精神や感性の成長は、小学5年生の冬で止まりました。つまり、鬱病を患ったのです。

【会社】

父は会社での立場が悪くなり、ストレスから、ますます私の人生を妨害するようになりました。

私は、何をしても無駄だから何もするなと勉強を「開始」させてもらえず、あと数ページで宿題がおわるといった時の「継続」を中断させられ、引っ越しの際にクラスメイトに別れの言葉を告げる際の「区切り」を曖昧にされてきました。

父は低学歴だから、頭を使うことにコンプレックスがあり、学びに関する一切を妨害するのです。私がペンを持つ際に今でも一瞬躊躇してしまうのは、この頃の記憶が原因です。

「自分より頭が良いと言いたいのか」と、私の勉強を中断させる父。

祖父の死後、相続は行われませんでした。父は「お前が飛び降りたから俺の立場が悪くなった」として私を恨みはじめました。母はカネを手に入れられなかったため、「産み損」として私を憎みはじめました。叔母は「両親の人生を破滅させたのだから、両親の介護を今から行い罪を償え」と私を責めました。

身内の葬儀で大喜びする親族たち。

両親は相続が行われる前提で散財していたため、赤字の未来が見えてきた恐怖感からか、会社の名前を使って些細な恐喝を行い、些細な詐欺を行い、些細な万引きを繰り返します。やがて、父は解雇されました。

しかし、悪夢は続きます。運の悪いことに、父は会社の株式を所持しているのです。祖父は父にカネだけ渡しておけばいいものを、権利を渡したのです。これは祖父の最大のミスです。

父は、株主総会で「どうしてもというなら社長になってやってもいい、カネも貰ってやっても良い」と会議の妨害をしたり、「俺はどうしたら良いか分からないけど、俺がどうしたらいいか、俺はわかるかもしれない」とか「これから頑張ろうと思っているから、これから頑張ります」などといった、小学生でも書かないような意味不明なお便りを新橋の弁護士を通じて会社に送りつける嫌がらせを始めたのです。

知恵が遅れている上に悪意しかなく、しかも己を天才と信じて疑わないような、身の程というか、身分や立場というか、我々人間とケダモノの間にある壁というか、常識をわきまえられない空気の読めない家畜ほど厄介なものはありません。

私は、父が生きていることに怒りは覚えません。

自分に大切なものがないからって、他人の大切な人間関係や持ち物やカネや趣味や仕事をさんざん妨害してきたのだから、「申し訳ないことをしてきたから、そろそろ謝罪の気持ちを込めて自殺をすべきだな」と決意して自ら腹を切るくらいの人間性をまだ持ち合わせていない父を、私は悲しく思っているのです。

父が死なない限り、私の悲しみは続きます。早めに死んでもらわないと、私の人生の旬が先に終わってしまいます。

解雇され「虐めてもいい人」がいなくなり、鬱病を患った父。


【発音】

ここまで、私は両親の言葉を翻訳して記述しております。実際は父は言葉を話すのが苦手なのです。例えば、会社の部下や私を殴る際の父の発言を実際の発音に近づけて書いてみます。

「一番前に来たのはブググググ……チュパカリ!……しまちたか?おタバコないの!ないのミ!ミ!おみみがないのですかーっ!さんぜんはっぴゃくきゅうじゅうきゅう!さんぜんはっぴゃくきゅうじゅうきゅう!……お前知らないだろ?俺は天皇家!……お酒ある?買ってこい!……お前ばか!だか……え?見える。……だから謝れ!……あ!……うんちしてくる!……あえ?タバコは?ねえタバコ!……ないよーッ!なくなっちゃったッ!ぼくのタバコがないんなっちゃっぱ!チンパルキ!」

このような感じです。だから、私は騒ぐ人を好きになれません。やがて私は、人そのものを好きになれなくなりました。

「自分が会社を解雇されたのはお前の陰謀だ」と私を恨み、殊更にカルト宗教や詐欺に傾倒する父。

いつしか、私の心は動くのを止めました。

【教育】

祖父の会社に勤めていた親族たちは無能でした。しかも、プライドが高いため、自分の地位が脅かされまいかと怯えていました。

親族たちは仕事をすると無能さがバレてしまうからと仕事をせず、部下が成果を出したら自分の無能さがバレてしまうため、部下にも仕事をさせないため部下に対して「虐め」を真剣に頑張っていました。

能力の高い者は自分より偉くなる可能性があるから、虐める。新人からなめられたら気分が良くないから、虐める。専門家には専門性の高い仕事をさせずに、本筋と無関係な仕事をやらせて、虐める。

いつしかこれは会社のルールとなり、グループの成長ではなく、部下の監理のしやすさにのみに重きを置くような「本筋と関係のないことをやらせて目的を見失わせてやる気を奪い、ひいては未来の可能性まで先に摘みとり、無気力な奴隷に仕立て上げる」という教育方針が社内に確立したのです。

パパの名前と、パパの肩書きと、パパの会社名を言えば、部下や取引先がボクにひれ伏す。ということは、おそらくボクも偉いはずだ。偉い人とはパパのような管理職のことだ。管理とは、手下に対して難癖をつけて大きな声を出すことだろう。

そう考えた父は、ことあるごとに「手下」である部下や子供を取引先や飲食店に連れて行き、皆の前で殴ります。「お前は何をやっても無駄だからやめろ。今やっていることも無駄だからやめろ。俺は頭が良いから、すべてお見通しだぞ」と、身内に対しても忖度せず毅然とした態度を取れる管理職の男と示すのでした。

【当事者】

父は自らの力で仕事や勉強や趣味を行ったことが一度もないため、「ボクのパパは社長だからボクも偉いんだぞ」と、親の実績だけをただひたすらにひけらかして恐喝を繰り返します。己の首にくくりつけられた「ボクはパパのペット」と書かれた首輪を誇り続けているのです。

母も、リンチの参加者でありながら直接の実行犯ではないからと観客を装い責任逃れをします。人を集めて強制的にゲームに参加させて、それでいて自分は別の部屋からゲームに苦しめられる者たちを鑑賞しているのです。

自分の人生の当事者は自分自身です。あなたも私も、ペットや観客ではありません。

【母方の祖父】

祖父は、父から殴られる私を庇っていました。その度に父は「殴り合ったら俺が勝つ。勝ってから口を聞け」と反論をするのです。

祖父は、私のくだらないギャグにも付き合ってくれるほど、私の理解者でした。しかし、私はあまり祖父を大事にしていませんでした。

ある日、寝たきりになった祖父に私は言いました。「今度なんか食べに行こう。まあ今は忙しいから、10年後かな。絶対だよ」

母はやはり相続しか考えておらず、長生きさせるようなことを言うなと私を叱りました。しかし、祖父は前後の文脈から、10年後までも長生きしてくれという私の意図を読み取り、私に感謝を伝え、やがて、亡くなりました。

【比較】

たいていの人は、気を抜くと、上と比較をして不幸を感じて成長を止めてしまうし、下と比較をして幸せを感じて成長を止めてしまうのではないでしょうか。

比較して安価だから好きだとか、比較して外見が良いから好きだとか、比較して有名だから好きだとか、そういう発想は、対象を見ておらず、世間の視線を見ているのではないでしょうか。比較ではなく、なんとなく好きだとか、なんとなく楽しいとかいった言語化しづらい「なんとなく」が本当の感情のはずです。

私は、両親から「その時期を逃したら二度とできない経験」を悉く潰されてきました。私は「ありきたりな幼少期」を送りたかったのです。

長いこと苦しんできました。他人が獲得できている普通の幸せが欲しかった。他人が妬ましかった。

家の中で縁のある身内の私の髪をむしりながら私の顔に爪を突き立てて楽しんでいるのに、家の外で縁のない他人の異国の子供に募金をしたりボランティアをする父が許せなかった。

「世界には水も飲めなくて苦しんでいる人もいるんだから、理由もなくパイプ椅子で殴られたくらいで泣くな」と言いながら殴ってくる幼稚な父と、「イライラしているなら子供を殴れ」と確かに父に指示をした母が許せなかった。

私は父から血まみれになるまで殴られて「お前は多分何か悪いことをしたから殴られたんだ。お前がどんな悪いことをしたのかわからないから何か悪いことをしたなら自分で説明しなさい」と言われたくなかった。

私は母におもちゃを壊されて「悪いと思ってないけど壊したのは謝るから、じゃあ先にお前が何でもいいから何か謝って」と言われたくなかった。

「毎日殴られて鬱になったのはお前の問題だから、私のせいみたいに言われて辛いから、まず『ごめんなさい』と言え」と母から言われたくなかった。

「毎日殴られたことでくだらない御託を語れるくらいに成長できたのだから、殴っていただいて『ありがとう』と言え」と父から言われたくなかった。

イラストを下らないと言いつつ、私に無料でイラストを描かせて自分だけはしっかり中抜きをしようとする父が許せなかった。

私をいたぶってきたのに、いざ就職したらすかさず自分が育てたから自分の手柄だと言い出す母が許せなかった。

「あなたのお父さんは人を殴ったことは一度もないと言っているじゃない」などと言って加害者側の意見しか聞かない教師が許せなかった。

「俺からリンチを受けても死ななかったということはお前は強いということじゃないか。良い話だ。感動した」と父から言われたくなかった。

「本当に辛いなら自殺をするはずなのにまだ死んでいないから辛いと嘘をついているだけだ」と叔母から言われたくなかった。

「叔母の自殺教唆のせいで子供がおかしくなった」と他責する母が許せなかった。

父は母から、母は父から、何かを奪うときには私の話を真実と認めて互いに「私の子供が傷つけられたから賠償して」と責め立てるくせに、本人の私から責められている時には「何年何月何日何曜日に殴られたか言えないんだから妄想じゃないか」と幼稚な反論をしてくるのが許せなかった。

来年公開の映画や来月発売のお菓子をテレビで見るたびに父から
「俺はもう見た!俺はもう知ってる!オラ!俺はもう全部知ってる!俺はもう全部知ってるのか?俺は全部知ってるんだよなあ?知ってるって言え!あ!あああああ!お前は今俺が全部知ってるってウソついた!お前の方が嘘つきじゃないか!謝れ!そうだ!謝らないなら全部捨てる!」と教科書を投げつけられ、おもちゃを壊され、本を破かれ、壊されたものを指差しながら
「モノを大切にしない精神性をお父さんは怒っているんだよ!まだ使えるから良いじゃないか!ほら!もっと壊しても!ほら!ほら!まだ使える!ほら!もっとこう!もっと壊してもまだ使える!大切にするという気持ちがお前には欠けている!だから、チーズとかつまみ買ってこい!お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ!」と責められるのが辛かった。

集めた持ち物や学問やスポーツや交友関係や服やおもちゃを「必ず」父に破壊されるから私は継続や所有を恐れているのに
「お前はバカだな。何かを積み上げるとか大切にするとかしろよ。バーカ!無駄!バカ!うるるるる!……あ!そうか!継続は力なり!ポン!はい!ポン!ほーいほいほいハチマイメ!はいまいからば、デイマシタ!ウイマチタラバ、ホイホイホイ!いやー感動した!本当に本当にいい話だ!継続は力なり!お父さんは継続の大切さを今知った!お前より賢くなった!ポン!」と勝手に納得しつつ、次の日には
「全部捨てろ!お前が下らないイラストをやりたいとかは関係ない!お前の意思は意味がない!お父さんがお前のイラストに飽きたからお前にイラストを書くのを止めろと言っているんだよ!それと、今していること!音楽!勉強!全てやめろ!無駄!今の友達とも縁を切れ!お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ!」と迫ってくる父が許せなかった。

父に会社事務所に連れて行かれ「ホイ!ホイ!ホホホイ!ブーチカブチカッ!ブーチカブチカッ!ブーチカブチカッ!ポン!ホイ!ブーチカブチカッ!ブーチカブチカッ!ブーチカブチカッ!ポン!ったら!アルアッ探検隊!ったらアルアッ!探検隊!アルアッタッケッタッタラ!アルアッタッケッタ!……お前わかってんのか?言ってみろ!ブチカリって何のことだ?」と尋ねられ、知らないと答えると
「ドリマチタ!ブミキ!ダ?分かんないのにお前!ウチカビって今言っていたのか!分からないのにウビガビって言ったのか!ううがりましたか?ポ?何の意味があるんだ!ウミカピって何だ!答えろ!はい5秒!はいごーよんさんにーいち!はいごーよんさんにーいち!はい答えられない!こたいらりないでしたにい!会社のちきたりは!人材育成の!……あ。お昼ご飯たべる!お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ!」といった感じに「造語クイズ」をされながら殴られたのが許せなかった。

ホテルで家族と食事をしていた際に母と会話をしたら「うるちゃい!うるちゃいんだよーっ!ボリカリマキタ!俺の許可なしに会話をするな!女子供は犬以下だから!お前らは許可が出るまで何かを一生話すな!ブーリカポン!お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ!ブーミカポン!ブーミカポン!」と責められてボコボコに殴られた上で
「はい、気持ち切り替えーっ!きもちー!きもちいい!ちもきいなー!ちもちいときは笑顔!はい!スマイル!ニッ!スマイルスマイル、はっぴい!あー!目が笑ってない!お父さんは楽しいんだから、お前も楽しくないとおかしいぞ!お父さんは生まれてから辛いと思ったことはないぞ!ホイ!はっぴいーっ!ポン!」と責められたのが許せなかった。

「バカだから騙せると思ったのに、録音を取る頭はあるんだな」とナメてくる父が許せなかった。

「くだらないものを作る外人の集まり」と技術屋を見下す父が許せなかった。

他社の金属製品を売ると宣言して無理やり恩を売り、許可を取らずに勝手に溶接して改造して、結局金属製品を破壊して持ち主に返し、破壊したことを悪いとも思わず、むしろ、売れなかったことを持ち主に責め立てる父が許せなかった。

私のイラストを印刷して無理やり恩を売り、印刷屋の前で私に土下座をさせて「頼まれたからわざわざ俺が印刷屋を探してやったんだからごめんなさいだろ、ありがとうはないのか」と脇腹を蹴り上げてきた父が許せなかった。

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余談です。チンピラは「ありがとう」と「ごめんなさい」の区別がついていません。ありがとうとは「お前から何かをしてもらったが、俺に落ち度があると言いたいのか。いずれ復讐してやる」という意味です。ごめんなさいとは「お前から指摘をうけたが、俺に落ち度があると言いたいのか。いずれ復讐してやる」という意味です。チンピラたちは普段からこの認識だから、「ありがとうかごめんなさいのどちらかを言え」という不可解なことを叫ぶのです。
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そして、以下のふたつの出来事が、私を地獄に突き落とした。


小学生の頃に毎日殴られていた私が警察を呼ぼうとしたら「他人の力を使うな、自分の力で解決しろ」と母と同じような主張をした父が、成長した私から一発殴り返されたら、すかさず警察に電話をかけて「何もしていないのに何故か殴られました」と助けを求めたのが、あまりにも卑怯すぎて、殴られたのは私ではないのに、あまりの卑劣さに驚愕し、目を疑い、現実の出来事とは思えず、その場でくずれて倒れ込んで号泣するほどに、許せなかった。


イラストを描く行為や、私の映画趣味や、私が生きることに対して「無価値だから今すぐやめろ」と言って妨害するのをやめてくれと言ったら、「お前やお前のイラストは無価値だが、誰かから好かれているということは、俺が間に入れば中抜きで稼げるということか。ホタテの貝殻のような、お前のような、取るに足らないものを高額転売すれば稼げるということか。教えてくれてありがとう」と感謝をされたことが許せなかった。

いくら私が辛さを話しても、理解しようとしない普通の人たちが許せなかった。

辛いならば他人に嫌がらせをしてもいいと言い張る辛い人たちが許せなかった。

……やがて時が経ち、「故郷が戦場になったから辛い」という人に圧倒されたり、「ブランドバッグを買えないから辛い」という人を見下す私がいることに段々と気がつきはじめたのです。私は辛さの比較をしていたのです。辛さに苦しんでいたのに、いつの間にか辛さの度合いで優劣を感じるくらいに、「辛さに苦しむ自分」という型に自分をあてはめていたのです。

比較から離れたことにより、私の苦しみは改善されました。

比較をしないというのはよくある解答だし、これが解答だとも理解はできていましたが、負けた気になるから、納得ができていなかったのです。

1月10日、比較を捨てた私の心は動き出しました。私は久しぶりに生きはじめたのです。

【弟】

弟たちは両親から成果を見下されながら成果を横取りされるという、私と似たような苦しみを味わいながらも様々な分野で活躍しているし、私より頭の回転が良くて知識と経験もあり、学問や芸術の才能もあるので、実は私の励みになっています。

生き地獄の中にいたのにそこまで優秀になれるんですかという驚愕の気持ちがあります。だからこそ、壊れてしまった私の存在は彼らの人生の迷惑になるので、今後も私は弟には関わらないつもりです。

【ネコ】

時系列は前後しますが、完全に鬱のどん底にいた頃の私の元に、ネコがやってきました。弟が飼い出したネコなのですが、初めから弟をおもちゃだと思っており、何をされたわけでもないのに両親に憎しみを向け、私だけをずっと心配していました。しかし、私はあまりネコを大事にしていませんでした。

私の理解者であるネコもまた、時を同じくして先日の1月10日に亡くなりました。

思い立って立ち上がった日に、私を肯定して見守ってくれていた身内の最後の理解者が、あの世に行きました。この出来事が、なおさら、私の心を強烈に突き動かしたのです。

【関心】

これまで語った私の話の原因は、すべてが「無関心」からきています。

暴力ではなく、暴力を受けた相手がどう思うかと考えない無関心さが原因です。
他人の幸せを見て、自分の幸せを見ようとしない無関心さが原因です。
孤独を叫ぶくせに、気遣ってくれる人を見ようとしない無関心さが原因です。

それでいて、都合の悪いゴシップを、身内や他人から必死に見出して、必死に見続けているからおかしくなったのです。関心を持つ対象を間違えていたのです。

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観客の立場から自分と他人を比較するから鬱になるのです。当事者の立場で自分の正しい関心の対象を探していけば、この文章を読んでいるあなたの悩みもいつかきっと治るかもしれません。


【追記】

たとえ私の両親がこの記事を読んでも、彼らには文章の真意は理解できません。

特に父は、文盲のため言葉を読めないし、私の発言には条件反射で悪意を返してくるからです。

父は「リンチをされて悩めたということは、リンチをされて頭が良くなったのだから、リンチをしてあげた俺に感謝をしろ」などと嫌らしい主張もします。

父は「俺がお前を殴って楽しいのに他人のお前が殴られて楽しがってないのはおかしい」と最近まで言っていました。「俺が酔っている時に他人のお前が酔ってないのはおかしい」と正月にも攻め立ててきます。他人という言葉を理解しているのに、他人という概念を理解できていなかったり、もしくは、悪意から意図的に障害者のふりをして他人という言葉を理解できていないと偽る父のことです。

まいにちまいにちまいにちまいにち私は生まれた時から最近まで社内で、暇つぶしの見せしめとして、殴られて裸にされてきたから、私の眉間には深い皺が入ったというのに、
「あー!眉間に皺が入ってる!はっぴい!楽しい!お父さんは毎日楽しいのに、何でお前は悩んでいるの!謝れ!謝れ!謝れ!謝れ!社長のご子息のカズヒデさんって呼べ!ボーディカプ!ボーディカプ!ヴァン!ダラキ!ウルパチ!ダリポ!アアアアア!……これ美味しいなあ。うん、この酒は身体に合う。甲種はだ……ハジマッタバキガナ!ブウビ!ナアアアア!……ノリコを許さねえ!ヒデキとヒデタダは俺は俺は倒すシツヨウがあるビ!グギギ!……いいから何か謝れ!何でも良いから何か謝れ!謝れって言ってんだよ!タバコ買ってこい!……ダガピイ!絵なんか描くな!勉強なんかするな!下らない!お前はまず何もするな!まーず!まずまずまず謝れ!あ!や!ま!れ!……え、今光った。今外で光った。ランプ光った。救急車かな、う……ウルパチームジョンソン!ブガチ!ダアアアアア!……はい、気持ち切り替えーっ!気持ち切り替えましょーっ!はい!おし!まい!謝れよ!……何を謝るのか今決めろ!何でも良いから何か謝れ!」
とまいにちまいにちまいにちまいにち手紙や電話や口頭などあらゆる手段で私をなじり、殴り、謝らせてくる父のことです。父は先日、私の引っ越し先にまで現れて私に謝らせてきました。後に母も現れ、私に謝らせてきました。


他人の手柄を自分の手柄のように語り「俺が教えた」とホラを吹き、興味のある人に対しては誰かから奪ってきたガラクタや無関係な人間関係を押し付けたり、根拠を調べずにエセ健康食品やカルト宗教にハマり、詐欺師たちに対し「俺が本当の宗教を教えてやる」と迫ったり、ボコボコに凹んで今にも爆発寸前としか思えない見た目の自動車に乗り、己の腐敗した大便やネコの吐瀉物をたっぷりと背広にこびりつけて先日の社葬にも出向いたりしたため、街の犯罪者たちからも嫌がられているという、まさしく、生まれてから今まで60年もの長い間、自分と他人と会社と地域との信頼関係を毎日コツコツと破壊しかしてこなかったことに気が付かないくらい心がない父のことです。

この記事を前にしても、両親は潰れたモグラのような顔をして口を開けて首をかしげるだけのはずです。知能のレベルが違いすぎると「話しあえば人は分かり合えるかもしれない」と夢をみることすらできません。私はかなり切なく感じます。

【追追記】
父から「お前が何もできないならお父さんに引け目を一生感じ続ければいいし、お前が成果を出したなら、それはこれまでしっかりお前を男手ひとつで育ててきたお父さんのおかげってことだな。もう先に謝っちゃえ。ありがとうだろ※」となじられ続けていましたが、私はこれまでもこれからも鬱を頑張らない理由にはしません。今日まで必死に生きてきたプライドがあるからです。そして、近々、良い報告ができると思います。

(※謝罪と感謝はチンピラの頭の中では同じ意味を持ちます。)

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