次元上昇って、人生がめっちゃ楽しくなるって意味
ヘッダーは2年前ハワイに行ったときの写真。飛行機の窓から見る風景って大好き(*^▽^*)
昨日のMステは神回だったなあ~。この前紹介したばかりの平井大さんも歌ってたし。
他も良いアーティストばっかりで。リョクシャカも出てた。
緑黄色社会は最近The first take見てハマった。こんなに上手いとは思わなくてずっと知りつつ聞き逃してた~(;'∀')
今年流行った香水とか夜に駆けるとかもだけど、今って10代~20代の若い人たちがTikTokで取り上げるようになったのがきっかけでブレイクする歌が多いみたいですね。
おかげで私も「えっ、こんなにいい曲あったの」「こんないいアーティストがいたの」って新鮮な出会いがいっぱい。若い人の感性ってスバラシイと思う。若者に教えられるオバちゃん。
事務所の忖度なんて関係なしにいいものが売れるようになると、日本の文化の幅が広がって質が高まる気がしますね~(*'ω'*)
今年はコロナでライブとかの機会は少なかったけど、逆にネット配信が充実するようになって、家にいながらいろんなアーティストの曲が楽しめるようになって、それがこれからの文化の発展に貢献するかもしれない。
そんなこんなで、昨日は久々に家族全員時間があったので、出したばかりのコタツに入り、私と夫はビール飲みつつ、娘によるNiziUメンバーの解説を聞きながら、Mステとか録画した歌番組見てたら楽しかった(*´▽`*)
私的には今年がほんとに身近な幸せを噛み締めることができるようになった年だったけど、ここ最近さらに、ちょっとしたことにも感動したり、嬉しい、楽しい!大好き!(←ってフレーズがもはやオバちゃん、笑)って感じたりすることが多くなった。
それはなんでかって言うと、実はあることをきっかけに、これまでのブログで書いてきたような「神的な本当の自分の目線」っていうのがすごく意識しやすくなったから。
でその話をすると、ここ数年、私の編集協力した作品ではどの著者さんも、表現方法こそ違うもののもうほぼ100%「神的な自分の意識で見ることが大事だ」って教えてくれてたんですよね。
例えば子宮委員長はるさん(現・八木さやさん)のこの本だと、
子宮の声=本当の自分の声ってことで、こういう図があったり。
The Planet From Nebulaさんのこの本でも、
ハイヤーマインド=本当の自分の視点から見るって話があったり。
いわゆる次元上昇とかアセンションっていうのは、
今生きてる現実の立場の目線(上の図でいうところの、ゲームの中とか地面を歩いてる自分)と、
それを俯瞰する自分の目線(ゲームをしてる自分とか、ハイヤーマインドの自分)という多重の視点からみられるようになること、
じゃないかな?って思ってたら、同じことを言ってるような方もたくさんいることがわかった。
髙嶋康豪博士の本では、その多重次元の構造について、精神世界だけの話ではなくて、今の宇宙物理学の多次元構造論とか暗黒エネルギー・暗黒物質の説からも説明してる。
・・・と、こういうことは十分理解しつつも、普段の生活ではなかなか神的な自分を意識できなくて、感情に振り回されがちだった自分が、ほんとにすぐにそっちに意識をもっていけるようになって、振り回されなくなったんですよね。
そのきっかけの話はまた時期が来たらしたいと思うんですけど、
そんなふうになった時、自分が今まで大きな誤解をしてたことに気づいたんですよ。
それは、今まで感情に振り回されなくなると、喜怒哀楽が感じられなくて、生きてることに面白みが感じられないんじゃないか? って思ってたんだけど、全然そんなことはなかった、ってこと。
むしろ真逆で、日常生活での感動がひとしお。嬉しいこと、楽しいことは二倍嬉しいし楽しいし、嫌なことやムカつくこともなんか面白いなって思えるし、悲しいことにも心のどこかが感動で震える。マジでブレーキランプ5回点滅しただけで幸せになれたり、季節外れの花火に涙目になって感動できるような状態になれる。
若い人は知らんと思うので一応貼っとく。
そしたら、一般の人を苦しめようとしてる権力者たちが酷いことをしてるって噂を聞いても、嫌だなって思いつつ、そういう人たちが必死になって人を困らせようと頑張っている姿を想像したら、なんだか「馬鹿っ馬鹿しいだろ笑えよ」って言ってるコントみたいで、おかしくなっちゃって。
この前のブログ記事も、巷で話題になってる不正選挙疑惑が、なんかドラえもんとのび太みたいやん、って思ったら面白くて笑いがとまらなくなったので、書いてみた、笑。
一度にゲームのプレーヤーと中の登場人物の両方の気持ちになれるってことは、一粒で二度おいしいグリコみたいなものだったんですね。
確かに、生物がいわゆる宇宙ワンネス状態から個々の物質に分離してるのは、喜怒哀楽の感情を含め、分離してないとできない体験を楽しみたいからだ、って説には納得してたんだけど、
それでいうと、神的な自分を意識したって喜怒哀楽がなくなるわけないじゃん、逆にそれを思いっきり味わおうとしてる自分がわかるだけじゃん、ってよく考えたら当たり前のことだった。
つまり、次元上昇とかアセンションって全然喜怒哀楽がなくなって菩薩みたいになることではなくって、「ゲームの中だけじゃなくてゲームする人の気持ちにもなって人生を存分に楽しむこと」だったんですね。
ちなみに意識の次元が高くなるというより、増えるという感じ。多分「飛行機で俯瞰するように視点を上げる」っていえばわかりやすいから次元上昇って言ってるだけで別に偉いわけではない。逆に「意識高い系」じゃなくて「意識増える系」って言っちゃうとカッコよくもなんともなく聞こえるのはなぜ、笑。
で今アセンションの時代だと言われるのは、「ゲームの中だけで生きるのは飽きたから両方の視点で生きよ~」って思う人が増えることなんでしょうね。
これからの時代がますます楽しみになってきましたね(*´▽`*)