渡辺久志氏の「蓮舫氏「二重国籍」の期間はなかった ー人権と国籍ー」について(3)
渡辺氏の論考はこちら
(渡辺氏の論考は、たびたび改訂されていますので、今後、当方の記述内容と、かみ合わない部分が生じるかもしれません。その点はお含みおきください。)
本稿は、渡辺氏の論考に関する
の続きです。
法務省の「解釈変更」
今回は渡辺氏の論考
の箇所に関して。
金沢地方法務局平成8年説明
実際、金沢地方法務局の平成8年の説明にも
とあるように、「明らか」ですね。
理由付けと結論
ただ、当事者側の立場に立つなら、この「理屈」自体の是非には、あまり固執しすぎることなく、説明の「位置づけ」を考えてみるべきかな、と思っています。
この説明部分は、あくまで「理由付け」です。より肝心な「結論」部分は、
・日本国民が「中華民国国籍を取得」しても、「外国国籍を取得」したという扱いをしていない。
・・というファクト。これがまず、真ん中にある。そのうえで「中華民国国籍」の取得が、日本の国籍法上で「外国国籍」の取得の扱いにならないことを当事者・関係者に説明する際の、補助的な「理由付け」として「中華人民共和国の国籍法を適用」と言う理屈が使われてきた。
この肝心な「結論」部分は、昭和49年12月26日付法務省民五6674号民事局長回答(日本加除出版「親族、相続、戸籍に関する訓令通牒録」7綴9225頁に掲載)
まで遡れます。この最初の時点の説明にはまだ、「中華人民共和国の国籍法を適用」と言う理屈は出てきていない。(但し、「中国国籍を取得したものと認めて手続きすべきか?」との照会に「不受理」と回答しているので「中華民国国籍」の取得では「中国国籍を取得したもの」とは「認めない」ということは読み取れます。)
・日中国交回復後は、台湾政府発行の帰化証明書を添付してされた国籍喪失届は不受理として扱う。
さらに、上で引用した森川教授の論文中、平成8年の金沢地方法務局の説明ですが、当方が赤線を引いた部分で、「(又は離脱)」というのを赤四角で囲って特別に強調した箇所からわかるように、台湾籍の取得・保有を理由にしては「国籍喪失」だけでなく「国籍離脱」も受け付けないよ、と言う扱いになっていました。これが結論。
「理由付け」というのは、まあ「飾り」みたいなもの。まずは、結論ありき。その結論を、一般向けに「こう考えることで納得してよね」というのが「理由付け部分」。
なので当方の捉え方としては、仮に「理由付け」が多少変更されたとしても、結論が変わらないならば、それほど目くじら立てる話ではないだろうと思います。
従って肝心な、扱いの根幹(結論部分)は
※「台湾籍」を志望取得した日本国民からは、「外国の国籍」を取得した場合の日本国籍の喪失届を受け付けない。
※「台湾籍」を併有する日本国民からは、「外国の国籍」を有することを要件とする日本国籍の離脱届を受け付けない。
この二つです。
禁反言
すると、この「受理しない」扱いをされた人は、当然に「日台複数籍」の状態になるわけですが、この立場の人たちを「重国籍」者扱いしてさらに、「国籍選択」の義務を課すなどと言う話が成り立つのか?
法律の専門家の皆さんがこれをどう判断するか知りませんが、私の(法律素人なりの)素朴な感覚では「成り立つはずあるまい」です。
「台湾籍を取得した日本国民=(日台複数籍者)」に「(日本の国籍法の上では)外国国籍を取得したことにならない」と説明してきた。
その一方で、法的に同じ立場の人に「外国国籍を持つと扱うから義務だ」などと言えるのか? 法の下の平等はどこへ行ってしまうのか?
もしそんなことをすれば、真正面から「禁反言」をやらかしていることになってしまうじゃないか?と思うのです。
「禁反言」:法律素人の私でも知っているような、そんな基本的なタブーを、超絶優秀な日本の法務官僚がやらかすはずはない。そうすると
A)法務当局が本当に禁反言をやらかしている。
B)法務当局が叙述トリックで一般世論をミスリードしている。
どちらがより、ありそうか?と考えてみると、B)のほうがずっと「ありそう」な可能性が高いと思われます。
B)はそれこそ「霞が関文学」やら「ごはん論法」やらと、官庁の「やらかし」を表現する言葉が、広く浸透しているくらいですから、そういった可能性に疑いを持ちながら(批判的思考で)、報道内容を追いかけてみると新たな「気づき」があるかもしれません。
(だいたい、なんで他の問題では官庁の「霞が関文学」「ごはん論法」を指摘できる読解力のある人々が、蓮舫氏が絡む問題では、これを全く疑わずに、誘導されるがままになってしまうのか、不思議でなりません)
金田法相発言
(渡辺氏には失礼ながら、ここは「2016年10月18日」でしょうね。
2016年9月18日は日曜日です。)
金田法相発言については、こう言ってはなんですが、「霞が関文学」「ごはん論法」「叙述トリック」のオンパレードと言う風に感じられます。正面から真摯に回答するならそんな表現しないだろう・・と思えてしまうのです。報道では、その前提の「アヤシイ部分」を省略してしまっているので、あたかも「断言した」かのように一般に浸透してしまう。
>産経新聞は次のように報じました。
これで、
>「民進党の蓮舫代表のいわゆる「二重国籍」問題について」
と報道するので、「一般論」ながら蓮舫氏はここで言っている話に、当然に該当する・・と思い込まされてしまう。
ところが、この「一般論」が大変曲者です。当時、法務省が公表した文書を読むと、奇妙な表現に引っ掛かりを感じます。
「法務大臣閣議後記者会見の概要(平成28年10月18日(火))」
によると大臣の発言は次のようなものです。
記者は、蓮舫氏のことを聞いているのに対し、大臣は
・個別事案には答えない。
と前置きをしたうえで、
・「台湾出身」の「重国籍者」については・・(義務がある)
という説明をしています。
これでは、万一、蓮舫氏が義務対象に該当しなかった、ということが明らかになっても、
・「個別事案には答えない」と言ったのであって、蓮舫氏のことを言ったわけではない。
・「「台湾出身」の「重国籍者」なら義務がある」と言ったのであって、台湾当局の籍を持つ日本国民が台湾出身の重国籍者だなどとは言っていない。
と逃げられる。そういうトリックが仕掛けてある。
重国籍の定義
そもそも「台湾出身」とはなにか?「重国籍者」と扱う要件は何か?
これを追いかけていくと、蓮舫氏の騒動の後になって、法務当局が「重国籍」と扱う定義の説明を避ける姿勢が顕著になっているのが見て取れます。
たとえば、たびたび取り上げている森川教授の論文では、
昭和50年8月19日付け京都地方法務局の説明として、
とあります。これなら、台湾の籍が問題になるとは解釈する余地はないでしょう。これが今年、令和六年二月の岸田内閣の答弁書には次のようにあります。
・外国の国籍の有無については、(中略)当該外国の政府が法令及びその解釈に従って判断するものであって、我が国政府が独自に判断するものではない
これで、「重国籍(外国の国籍の有無)」について、(日本側では)判断を放棄していることがわかります。台湾籍を外国の国籍と扱うなら、その場合の「当該外国の政府」ってどこなのか?といったことが引っかかってくるわけです。
法務当局は、「話を複雑にして、煙に巻いて逃げきろう」としているように思えます。
(補足)渡辺氏が追記されている件
・変更はされていないと当方も思います。ここ、法務当局に言わせると
>日本国籍を持つ「台湾籍」の人が、一律に日本国籍の単一国籍保持者であるとは言っていない
というようなレトリックで否定してくるでしょう。例えば、情報公開請求の時の法務省の説明が、まさにこれで、前回書いた情報公開・個人情報保護審査会の答申書には次のように記載されています。
が、一般論・原則論として肯定的な説明をしていた内容に、「一律に」をつけて否定することであたかもすべて間違いであったかのように錯覚させる叙述トリックですが、それまで肯定されていたものが全否定されたわけではない。論理的に考えれば、例外がありうるよ、というほどのことに過ぎないはずです。
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