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渡辺久志氏の「蓮舫氏「二重国籍」の期間はなかった ー人権と国籍ー」について(3)

渡辺氏の論考はこちら

(渡辺氏の論考は、たびたび改訂されていますので、今後、当方の記述内容と、かみ合わない部分が生じるかもしれません。その点はお含みおきください。)

本稿は、渡辺氏の論考に関する

の続きです。


法務省の「解釈変更」

今回は渡辺氏の論考

5.法務省の「解釈変更」
(1) 法務省の「解釈変更」の経緯
 いままで述べてきたとおり、法務省が、「台湾籍」の人が日本国籍を取得すると国籍については中華人民共和国の国籍法により「中国」国籍は自動的に喪失し、「日本国籍の単一国籍者」であるとしていたことは、明らかです。

の箇所に関して。

金沢地方法務局平成8年説明

 実際、金沢地方法務局の平成8年の説明にも

「日台聞の国籍をめぐる法的諸問題」
(専修大学社会科学研究所月報 No.418 p38  1998年4月20日森川幸一 )
https://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/geppo1998/smr418-e.pdf

とあるように、「明らか」ですね。

理由付けと結論

 ただ、当事者側の立場に立つなら、この「理屈」自体の是非には、あまり固執しすぎることなく、説明の「位置づけ」を考えてみるべきかな、と思っています。
 この説明部分は、あくまで「理由付け」です。より肝心な「結論」部分は、
・日本国民が「中華民国国籍を取得」しても、「外国国籍を取得」したという扱いをしていない。
・・というファクト。これがまず、真ん中にある。そのうえで「中華民国国籍」の取得が、日本の国籍法上で「外国国籍」の取得の扱いにならないことを当事者・関係者に説明する際の、補助的な「理由付け」として「中華人民共和国の国籍法を適用」と言う理屈が使われてきた。

 この肝心な「結論」部分は、昭和49年12月26日付法務省民五6674号民事局長回答(日本加除出版「親族、相続、戸籍に関する訓令通牒録」7綴9225頁に掲載)

(昭和49年10月21日付戸1976号那覇地方法務局長照会)
「日中国交回復後に帰化したとして台湾政府発行の帰化証明書を添付した国籍喪失届の取り扱いについて」
 日中国交回復後に中華民国に帰化したとして台湾省政府発行の帰化証明書を添付し国籍喪失届があった場合の取り扱いについて、このたび別紙証明書を添付して国籍喪失の届け出がなされたが、該証明書により中国国籍を取得したものと認め、所要の手続きをすべきかどうかにつきいささか疑義がありますので、何分のご指示を得たく、照会いたします。

(昭和49年12月26日付法務省民五6674号民事局長回答)
本年十月二十一日付け戸第一、九七六号をもって照会のあった標記の件については、不受理として取り扱うのが相当と考える。

昭和49年12月26日付法務省民五6674号民事局長回答
(日本加除出版「親族、相続、戸籍に関する訓令通牒録」7綴9225頁

まで遡れます。この最初の時点の説明にはまだ、「中華人民共和国の国籍法を適用」と言う理屈は出てきていない。(但し、「中国国籍を取得したものと認めて手続きすべきか?」との照会に「不受理」と回答しているので「中華民国国籍」の取得では「中国国籍を取得したもの」とは「認めない」ということは読み取れます。)
・日中国交回復後は、台湾政府発行の帰化証明書を添付してされた国籍喪失届は不受理として扱う。
 さらに、上で引用した森川教授の論文中、平成8年の金沢地方法務局の説明ですが、当方が赤線を引いた部分で、「(又は離脱)」というのを赤四角で囲って特別に強調した箇所からわかるように、台湾籍の取得・保有を理由にしては「国籍喪失」だけでなく「国籍離脱」も受け付けないよ、と言う扱いになっていました。これが結論。

 「理由付け」というのは、まあ「飾り」みたいなもの。まずは、結論ありき。その結論を、一般向けに「こう考えることで納得してよね」というのが「理由付け部分」。
 なので当方の捉え方としては、仮に「理由付け」が多少変更されたとしても、結論が変わらないならば、それほど目くじら立てる話ではないだろうと思います。
 従って肝心な、扱いの根幹(結論部分)は

※「台湾籍」を志望取得した日本国民からは、「外国の国籍」を取得した場合の日本国籍の喪失届を受け付けない。
※「台湾籍」を併有する日本国民からは、「外国の国籍」を有することを要件とする日本国籍の離脱届を受け付けない。

 この二つです。

禁反言

すると、この「受理しない」扱いをされた人は、当然に「日台複数籍」の状態になるわけですが、この立場の人たちを「重国籍」者扱いしてさらに、「国籍選択」の義務を課すなどと言う話が成り立つのか?
 法律の専門家の皆さんがこれをどう判断するか知りませんが、私の(法律素人なりの)素朴な感覚では「成り立つはずあるまい」です。
 「台湾籍を取得した日本国民=(日台複数籍者)」に「(日本の国籍法の上では)外国国籍を取得したことにならない」と説明してきた。
 その一方で、法的に同じ立場の人に「外国国籍を持つと扱うから義務だ」などと言えるのか? 法の下の平等はどこへ行ってしまうのか?
 もしそんなことをすれば、真正面から「禁反言」をやらかしていることになってしまうじゃないか?と思うのです。

 「禁反言」:法律素人の私でも知っているような、そんな基本的なタブーを、超絶優秀な日本の法務官僚がやらかすはずはない。そうすると
A)法務当局が本当に禁反言をやらかしている。
B)法務当局が叙述トリックで一般世論をミスリードしている。
どちらがより、ありそうか?と考えてみると、B)のほうがずっと「ありそう」な可能性が高いと思われます。

 B)はそれこそ「霞が関文学」やら「ごはん論法」やらと、官庁の「やらかし」を表現する言葉が、広く浸透しているくらいですから、そういった可能性に疑いを持ちながら(批判的思考で)、報道内容を追いかけてみると新たな「気づき」があるかもしれません。
(だいたい、なんで他の問題では官庁の「霞が関文学」「ごはん論法」を指摘できる読解力のある人々が、蓮舫氏が絡む問題では、これを全く疑わずに、誘導されるがままになってしまうのか、不思議でなりません)

金田法相発言

 追い討ちをかけるように、2016年9月18日に金田勝年法務大臣が「一般論」としながらも、期限後に日本国籍の選択宣言をするのは「国籍選択義務14条に違反」と述べたと、産経新聞は次のように報じました。

(渡辺氏には失礼ながら、ここは「2016年10月18日」でしょうね。
2016年9月18日
は日曜日です。)

 金田法相発言については、こう言ってはなんですが、「霞が関文学」「ごはん論法」「叙述トリック」のオンパレードと言う風に感じられます。正面から真摯に回答するならそんな表現しないだろう・・と思えてしまうのです。報道では、その前提の「アヤシイ部分」を省略してしまっているので、あたかも「断言した」かのように一般に浸透してしまう。

>産経新聞は次のように報じました。

 民進党の蓮舫代表のいわゆる「二重国籍」問題について、金田勝年法相は18日の記者会見で、一般論と断りながら、「法律の定める期限後に日本国籍の選択宣言を行った場合、それまでの間、国籍法上の国籍選択義務14条に違反していた」と述べた。
 国籍法は20歳未満の人が二重国籍になった場合、22歳までの国籍選択を定めている。蓮舫氏の国籍選択宣言は今月で、国籍法違反の状態が25年以上続いていた可能性が高まっている。〔←この文は産経新聞記者の見解〕

2016年10月19日 産経新聞、
蓮舫氏は25年以上違法状態か「二重国籍」で法相見解

これで、
>「民進党の蓮舫代表のいわゆる「二重国籍」問題について」
と報道するので、「一般論」ながら蓮舫氏はここで言っている話に、当然に該当する・・と思い込まされてしまう。
 ところが、この「一般論」が大変曲者です。当時、法務省が公表した文書を読むと、奇妙な表現に引っ掛かりを感じます。

「法務大臣閣議後記者会見の概要(平成28年10月18日(火))」

によると大臣の発言は次のようなものです。

《【記者】
 先日,民進党の蓮舫代表が二重国籍の問題をめぐって,10月7日に選択宣言をしたということを記者団に発表しました。国籍法第14条に今まで違反していたのではないかという指摘もありますが,国籍法にこれまで違反していたかどうかという指摘についてはどうお考えですか。
 
【大臣】
 個別具体的な事案については,お答えは差し控えたいと思います。そして,基本的には戸籍の届出をしたのか,いつどのようにしたのかといった御質問については,事柄の性質上,御自身で説明すべき問題だと思います。
 一般論で言いますと,法律の定める期限後に日本国籍の選択宣言の届出を行った場合,それまでの間,国籍法第14条第1項の国籍法上の国籍選択義務に違反していた事実がなくなるものではないものの,日本国籍の選択宣言の届出は国籍選択義務の履行に当たると考えています。そして,台湾当局から国籍喪失許可証の発行を受けることは,国籍法第16条第1項の外国国籍の離脱の努力に当たると考えています。一般論として,こうした課題について説明を求められればこういう回答をしています。
 したがって,繰り返しになりますが,一般論として,台湾出身の重国籍者については,法律の定める期限までに日本国籍の選択の宣言をし,これは国籍法第14条第1項,従前の外国国籍の離脱に努めなければならない,これは国籍法第16条第1項ということになります。期限後にこれらの義務を履行したとしても,それまでの間は,これらの国籍法上の義務に違反していたことになります。この点について説明を求められた場合には,同様の説明をすることになります。
 
【記者】
 民進党の蓮舫代表は,法務省から国籍法違反に当たらないという見解を文書で頂いたという趣旨の発言をされているのですが,今の大臣の御説明を前提とすると,国籍法の違反に当たらないという説明をした事実はないということでよろしいでしょうか。
 
【大臣】
 そうした発言については,今の段階で承知していません。一般論で申し上げたように,台湾出身の重国籍者については,法律の定める期限までに日本国籍の選択の宣言をし,従前の外国国籍の離脱に努めなければならず,期限後に,これらの義務を履行したとしても,それまでの間はこれらの国籍法上の義務に違反していたということになります。法務省としては,この点について説明を求められれば,同様の説明をすることになります。(以下略)》

 記者は、蓮舫氏のことを聞いているのに対し、大臣は

・個別事案には答えない。
と前置きをしたうえで、
・「台湾出身」の「重国籍者」については・・(義務がある)

という説明をしています。
 これでは、万一、蓮舫氏が義務対象に該当しなかった、ということが明らかになっても、
・「個別事案には答えない」と言ったのであって、蓮舫氏のことを言ったわけではない。
・「「台湾出身」の「重国籍者」なら義務がある」と言ったのであって、台湾当局の籍を持つ日本国民が台湾出身の重国籍者だなどとは言っていない。
と逃げられる。そういうトリックが仕掛けてある。

重国籍の定義

そもそも「台湾出身」とはなにか?「重国籍者」と扱う要件は何か?
 これを追いかけていくと、蓮舫氏の騒動の後になって、法務当局が「重国籍」と扱う定義の説明を避ける姿勢が顕著になっているのが見て取れます。
 たとえば、たびたび取り上げている森川教授の論文では、
昭和50年8月19日付け京都地方法務局の説明として、

「外国」とは、わが国が承認している国を指すものと解されるので、
外国の国籍を有するかどうかについても、我が国の承認している国の法規に照らして、その有無が審査されるべきである

とあります。これなら、台湾の籍が問題になるとは解釈する余地はないでしょう。これが今年、令和六年二月の岸田内閣の答弁書には次のようにあります。

 御指摘の「多重国籍を有する者」及び「多重国籍を有していたことのある者」の意味するところが必ずしも明らかではないが、国家公務員(外務公務員を除く。)や国務大臣等について外国の国籍を有する日本国民である場合に関する明文の規定はないと承知しており、外国の国籍の有無については、それぞれの者の親の国籍、当該者の出生地、認知や婚姻による親族的身分関係の変動等を踏まえ、当該外国の政府が法令及びその解釈に従って判断するものであって、我が国政府が独自に判断するものではないことから、政府として、お尋ねの者が外国の国籍を有する日本国民であるか否かを網羅的に把握しておらず、また、調査を行うことも困難であるため、お尋ねの者の外国の国籍に係るお尋ねについてお答えすることは困難である。

第213回国会(常会)答弁書
内閣参質二一三第二三号 令和六年二月二十日

外国の国籍の有無については、(中略)当該外国の政府が法令及びその解釈に従って判断するものであって、我が国政府が独自に判断するものではない
これで、「重国籍(外国の国籍の有無)」について、(日本側では)判断を放棄していることがわかります。台湾籍を外国の国籍と扱うなら、その場合の「当該外国の政府」ってどこなのか?といったことが引っかかってくるわけです。

 法務当局は、「話を複雑にして、煙に巻いて逃げきろう」としているように思えます。

(補足)渡辺氏が追記されている件

 追記:蓮舫の「二重国籍」問題に際してなされた法務省や法務大臣の発言では、結局、日本国籍を持つ「台湾籍」の人が、日本国籍の単一国籍保持者であるという解釈は変更されていなかった訳です。

・変更はされていないと当方も思います。ここ、法務当局に言わせると
>日本国籍を持つ「台湾籍」の人が、一律に日本国籍の単一国籍保持者であるとは言っていない
というようなレトリックで否定してくるでしょう。例えば、情報公開請求の時の法務省の説明が、まさにこれで、前回書いた情報公開・個人情報保護審査会の答申書には次のように記載されています。

処分庁は,電話のみの照会や問合せにより判断を行うことはできない。したがって,特定年月日の 東京法務局の電話による問合せの回答である,一律に「台湾の籍を 有する日本国民は,日本側は当事者を日本国籍単一国籍者と扱 う。」という説明は,不正確だったといえる。 なお,当時対応した職員に聞き取りを行ったところ,記憶は定かで はないが,おそらく当時の電話での問合せに対する回答については, 資料を確認した上でのものではなかったと思う旨の回答を得ている。

令和元年度(行情)答申第295号
https://www.soumu.go.jp/main_content/000654465.pdf

が、一般論・原則論として肯定的な説明をしていた内容に、「一律に」をつけて否定することであたかもすべて間違いであったかのように錯覚させる叙述トリックですが、それまで肯定されていたものが全否定されたわけではない。論理的に考えれば、例外がありうるよ、というほどのことに過ぎないはずです。

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