二宮尊徳の名言???
※キャッチアイは Wikipediaでパブリックドメインとされているこちらの写真から。
切っ掛け
とある知人が、
経済の裏付けのない道徳は寝言である。
道徳を伴わない経済は犯罪である。
という言葉を「二宮尊徳の名言(?)」として書いていたので調べてみた。ご本人も、疑問に思っていらしたみたいだけど。
「経済 道徳 二宮尊徳 出典」あたりで検索すると、まあ、たくさん出てくる。こんな商品もアマゾンにあったよ。
しかし、二宮尊徳が亡くなったのは、Wikipediaによれば
安政3年10月20日(1856年11月17日)
だというし、一方、「経済」という言葉が今日的な(economy)の意味で使われたのが確認できるのは、これも、Wikipedia情報ながら、福澤諭吉とか西周とかによる
1862年
あたりらしい。
※但し、「経世済民」の略語として「統治」の意味での「経済」の語はもともとあったらしい。
とすると、尊徳自身が「経済」の語を使っていたのだとしても、(economy)の意味ではなかった可能性の方が高い。あるいは、本当に(economy)の意味だとすれば、当時は「別の表現」を用いていたものを、後の人が「意訳」した可能性もある。
「人力検索はてな」に同じテーマ
2009年の登録ですが、やはり同じような疑問を持つ人いたんだなぁと。
ベストアンサーにある。
「大日本報徳社副社長村松敬司氏が現代の経営者向けに大胆な編み変えを行い、全281話にまとめた」
村松敬司氏によるかなり大胆な意訳なのかも
どうも、その線が強いように私も思います。さて、上記ベストアンサーに「この辺をまとめたか?」と書かれている、村松氏が編み変えする前の「二宮翁夜話」の原文を見てみます。
「二宮翁夜話」第二一三
リンク先のコマ番号168です。
ざっと、
学者は理論に偏って実践活用ができない。理屈こねても社会の役に立たない。古語(論語)に「権量を謹み法度をつまびらかにす」(はかりやますなどの基準を均してルールをはっきりさせる)とあって、これが大切なんだけど天下国家の大きな話で自分と関係ないと思っているから役に立たないんだ。天下国家はさておいて、まず、自分の家の中で実践が大事。それが道徳経済の基本だ。(以下略)
といった内容。
「道徳経済」という表現が出てきますが、この本は明治42年(1909年)の出版ですから尊徳が亡くなってから半世紀以上経っています。村松氏が意訳する前のこの文献も既に意訳かもしれません。
やはり、道徳無き経済、経済無き道徳、という言葉から現代人が想像するような内容を尊徳が述べたわけではないんじゃないか。
まとめ
少なくともこの第213段に関しては
「道徳」と「経済」は車の両輪・・などと、あたかも資本主義の倫理、を論じたような話
「ではなくて」
天下を統治する(道徳経済)とかとかいうでかい話はおいておいて、まず、自分の家をちゃんとしようぜ!
くらいの趣旨なんじゃないかと思いました。
意訳に意訳を重ねて、尊徳本人が思ってもいなかったような意味が付加されてしまっているんじゃないでしょうか?
明治42年の「二宮翁夜話」の中、もしくはその他の一次情報と言える文献から、もし、もっと「そのものずばり」の記載が含まれる段をご存知・見つけられた方は、コメント欄にて教えていただけると幸いです。