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2006年ウイグルの旅 11*おまけの敦煌

 おまけの、と言っては大変失礼でございますが、敦煌はウイグルではないので、ウイグル旅行としてはおまけだったんです。

敦煌へ

 ウルムチに帰ってから急遽敦煌に行くことが決まった。先生のお一人が敦煌に行きたいと思っておられたらしく、ミニツアーの手配をしたいとおっしゃった。それに乗っかったのだ。一泊二日の短い旅の始まりだ。

 敦煌といえば井上靖の小説『敦煌』、佐藤浩市さん主演で映画化(Yahoo!映画での紹介ページ)もされたので覚えておられるかたも多いのではないか。

 上の紹介ページでのレビューは結構辛口のものが多いが、個人的には面白い作品になっていたと思う。とはいえずいぶん前に見たので忘れかけているところもある。井上先生の原作とともに、映画もまた見たいものだ。

 閑話休題。

 2006年9月2日朝、我々はウルムチ空港を出発した。

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 上の写真を撮ったのが北京時間7時半、新疆時間にすれば5時半。美しい夜明けである。

 そして1時間半後。

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 敦煌の空港に到着。いつもながら、中国の空港の表記は達筆ですよね。

 ここで現地ツアーガイドさんと合流、敦煌の旅が始まった。

莫高窟

 敦煌といえば莫高窟。まずはここを目指した。

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 車で走っていくと

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 崖に穿たれた多くの洞穴が。

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 この入り口を入ると撮影できないのだが、すでに彩色された壁画が見える。

 そして……。

 ちゃんと外から、

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 第96窟、九層楼が見えるのだ!

 以降撮影できないので写真はご紹介できないが、275窟の交脚菩薩像、そして57窟の菩薩像、通称「美人菩薩」の精緻さには圧倒された。簡単ですみません。

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 さらに車でゴビを行くと、

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 鳴沙山、月牙泉エリアに到着。ここからはラクダに乗ってみた。

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 ぽわぽわに見えますが、ラクダの毛はけっこう固いです。バシバシです。

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乗せてくれてありがとうね。

 さて、時はすでに9月。秋の季節に入っているということで、周囲には風が強く吹いていた。

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 強い風におたおたしているうちに、どうやら月牙泉の写真を撮り忘れたらしい……。

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 帰りもラクダに揺られ、風に吹かれて、我々はすっかり砂まみれになってしまった。そこでガイドさんに尋ねると、いま台湾シャンプーとして知られているシャンプーを紹介してもらった。(写真はとっておりません。)

 ちなみにこのシャンプー法、ウルムチでも一度試した。座ったままいきなり頭のてっぺんにシャンプーをたらされ、霧吹きで水分を足しながらわしわしと泡立て、髪の毛を上につーんと立ててくれる。最後にシャンプー台で洗い流しておしまい。
 髪の毛がさらさらになり、敦煌では耳の後ろまでびっしり付いた砂もきれいに流れ落ち、本当にすっきりした。

玉門関と漢の長城

 翌日は昼から中国の匈奴対策がよく見える場所へ。

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 敦煌市の象徴、莫高窟の壁画に描かれた天女の像を見つつ町を出る。この天女、反弾琵琶というアクロバティックな演奏法をしている。
 普通、琵琶は体の前に持って演奏するものだ。しかしこの天女、踊りながら琵琶を背負って演奏しているのである。

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 実際にこんな演奏法があったのかもしれないが、描かれた壁画は仏の世界で天女たちが音楽を演奏している楽し気な場面なので、「現世とは違う、超越した世界」の象徴なのかもしれない。

 車で1時間ほどゴビを走ると、砂漠の真ん中に遺跡が見えてきた。

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 玉門関である。

 関所とはいえ、単に門があるだけではない。そこに市場がたち、人々が交流していたのである。

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 建物はすでに崩れ去っている。そしてその近くに、こんな遺跡があった。

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 漢の武帝(在位:前141~前87)が修築させた長城である。

 万里の長城自体は、一説には春秋時代に作られ始めたとされ、戦国時代には各国が建造していた。これらを一つにつなげたのが紀元前221年に中国を初めて統一した秦の始皇帝である。本来長城とは中国エリア内において、各国が互いに防ぎあうために建造したものであった。始皇帝は統一後、国内にある長城はもう不要であるために取り壊し、対外防御として役立つように一つにつなげた。漢の武帝はこの長城を修築した。現在北京近郊で見ることができる八達嶺などの石造りの長城は明代に修築したものである。

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 版築で作られたとおぼしき長城。一部は柵で囲んで保護してあったが、そのほかは近づくことができた。

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 触ってみても砂は崩れない。2000年以上経過しているのに、こんなに固いとは。ただやはり、おおむね風化し、また砂に埋もれてしまっていた。

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 ちなみに、玉門関を経て長城の向こうには川が流れ、草原が広がっている。ここが異民族と中国との境目なのだということを実感した。

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向こうから匈奴の騎馬の大群が押し寄せてきたこともあったろう

ウルムチへ

 敦煌の町に戻り夕食をとったら、もうウルムチへの帰還である。

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沙漠の模様が美しい

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 天山山脈

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 ウルムチ、ただいま。

上海経由で帰国

 翌日、我々はウルムチを発ち上海へと向かった。ここで一泊し、いよいよ帰国である。

 上海では、

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 マンゴーヨーグルトを楽しみました。

 そして我々が夕飯に所望したもの。それは……

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 豚肉!

 豚骨ラーメンがたいへん食べたくなってからすでに1週間以上経過していた。敦煌では豚の炒め物なども食べたが、やわらかい豚を思いっきり食べたかった。そこで注文したのが粉蒸肉(フェンジェンロウ)。高菜漬けのような漬物の上に豚肉を敷き、小麦粉をかけて蒸しあげたものである。久しぶりのおいしい豚肉……。とろけるお肉……最高でした。

 最終日は上海から福岡へ飛ぶだけ。18日間の長い旅が終わった。

 帰国後、夕食に選んだのは

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 インドカレー。もはやスパイスなしではいられない体になってしまった私。

 ウイグルにいるときにとても不思議だったのが、インドカレーと同じスパイスをふんだんに使用しているのに、インドカレーの味にならないことだった。配合の妙とはこのことですね。


 次にウイグルに行くことができるのはいつになるのか。国際情勢国内情勢いろいろと観察しつつ、またぜひ訪れたいものである。

 長々とお読みいただきありがとうございました。

(終)

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