六華
2006年夏、新疆ウイグル自治区の旅。中国語が通じない村、羊の食べ過ぎ……
1996年から訪れ続けている中国の旅をまとめています。主に、かつて「joyful music」という自サイトに掲載していた記事に加筆修正したものです。
おまけの、と言っては大変失礼でございますが、敦煌はウイグルではないので、ウイグル旅行としてはおまけだったんです。 敦煌へ ウルムチに帰ってから急遽敦煌に行くことが決まった。先生のお一人が敦煌に行きたいと思っておられたらしく、ミニツアーの手配をしたいとおっしゃった。それに乗っかったのだ。一泊二日の短い旅の始まりだ。 敦煌といえば井上靖の小説『敦煌』、佐藤浩市さん主演で映画化(Yahoo!映画での紹介ページ)もされたので覚えておられるかたも多いのではないか。 上の紹介
ウルムチを出発してタクラマカン砂漠を時計回りに一周、ついにウルムチに帰ってきた。旅も終わりに近づいてきた。 コルラを出発してウルムチへ コルラを出てしばらく行くと、 再び天山越え。 ごろごろした岩の景色。 この山を越えたら、 風力発電設備があった。 平地の向こうに背の高いポプラが見え、ウルムチの町がはっきり視界に入ってきたとき、ほんの数日しか滞在していなかった町なのにとても懐かしくなった。 天山天池 ウルムチでは2泊する。 ウルムチの観光地
今回旅した最西端はカシュガル。そこから今度は天山南路を通り、アクス経由でウルムチへと戻っていく。 「シルクロード」 今更ながら、シルクロード解説。 いわゆるシルクロードには、次のルートがある。 まず西安から敦煌までの河西回廊。ここまではまだ漢民族エリアだ。 さらに敦煌からハミ~トルファンに出たのちに天山山脈の北側を通って、ウルムチ、イーニンへと出る天山北路。 ハミ~トルファンから天山山脈の南(タクラマカン砂漠の北側)を通ってクチャ、カシュガルと行く天山南路。
ようやくカシュガルに到着。市場を通り抜けて町の真ん中の広場に出ると、なんとも美しい寺院があった。 エティガル寺院 カシュガルの中心部に鎮座するモスク、エティガル寺院。 一般的にモスクには観光客がみだりに立ち入ることは良くない。ましてや女性が入ることはできないが、このモスクは観光客、女性にも開放されている。モスク内部を見ることはほとんど無いだろうから、私も入ってみた。 仏教寺院や道教の道観、キリスト教教会など、偶像にあふれた宗教施設を見慣れた私にとって、メッカの方向
今日は少し時間を戻して、ホータンの町に着く前に立ち寄った村の話から。そして今日はカシュガルに入ります。 中国語が通じない村 2006年当時、新疆ウイグル自治区ではバイリンガル教育が行われていた。中国語で教育する学校、ウイグル語で教育する学校とに分かれていたという。新疆ウイグル自治区のわりと大きな町、また都市の人々はおおむね中国語が話せたが、小さな村となると全く話せない人たちもまだ存在した。 ホータンの町に着く直前に、我々はとある村に立ち寄った。トイレと、水や少しの食べ
沙漠公路でタクラマカン砂漠の南側、崑崙山脈北側のルートに出た我々はニヤを通過しホータンとポスカムで一泊、ヤルカンドでアマニシャーハンのお墓にお参りした。 アルトゥンルク周辺の市場 宗教施設や観光地周辺にお店が集まるのは世の東西を問わず見られること。ここ、ヤルカンド・ハン国の歴代王墓やアマニシャーハンのお墓があるアルトゥンルク周辺にも多くのお店が集まっていた。 前回ご紹介したミナレット装飾品屋さん以外にも、 羊肉やさん、 ポロやさんなど様々。顔が映っているのでこ
ポスカムの隣、ヤルカンドへ。ここには伝統音楽をまとめたお妃様、アマニシャーハンのお墓がある。 北京時間と新疆時間 一週間の旅で、我々はここまでたどり着いた。 写真真ん中の「ヤルカンド」すぐ下の「沢普(ズォープー)」が、ポスカムの中国名である。ちなみにポスカムのずっと南にはちょうどニューデリーがあり、ほぼ北にはカザフスタンのアルマトイがある(アルマトイのほうが少し西)。インドと日本の時差は3時間30分なので、新疆の西の方も時間間隔としては日本と3時間差くらいなのであるが
ウルムチ→トルファン→コルラ→輪台→沙漠公路→ニヤ経由ホータンと旅をしてきた我々が次に目指したのは、ポスカム(前回ヤルカンドと書いていたのは間違いです。訂正します)。ここは石油が出るので豊かなのだそうだ。今回はそのあたりのことをご紹介する。 ホータンは玉の町 知られていることだが、ホータンは良玉を産する。玉は中国文化ではたいへん尊ばれており、君子が身に佩びるものとされていた。我々もトイレ休憩の際にそのへんを探してみると、強い風が吹く中、玉……なのか石ころなのか、ともかくそ
チャーターしたバスでタクラマカン砂漠へと踏み出した我々取材班(ぜひとも石坂浩二さんのナレーションで脳内再生ください)。砂漠を半分ほど進んだとき、事件は起こった。 ※ なお前回の投稿でおなかを壊したと書いておりますが、事件はその関係ではありません。どうぞご安心ください。 タクラマカンの真ん中で 思えば沙漠公路に入ったばかりのとき、すでにその前兆があったのだ。 道にトラックを停め、トラックの作る日影に二人の男性が座っていた。なんでもトラックが故障したが、修理するため
★この記事の内容は、ブログ「のんびりアジア旅」に遷しました。今後、旅行記はブログで更新します。こちらも宜しくお願い致します。 -------------- 全行程を地図で見る 当時旅行に携行した『地球の歩き方 西安とシルクロード '05~'06』が出てきた。 この中の地図に、行程が描き込んであったのでご紹介します。 行程は「その1」に書いたように、ウルムチ→(天山山脈越え)→トルファン→コルラ→輪台→(沙漠公路)→ニヤ→ホータン→ポスカム(その1で触れていませんでし
★この記事の内容は、ブログ「のんびりアジア旅」に遷しました。「のんびりアジア旅」も宜しくお願い致します。 -------------- 大学の先生や研究仲間と新疆ウイグル自治区を訪れたのは2006年夏であった。 私は、というか私も、NHK特集「シルクロード」でこの地域にあこがれたクチである。 このノートは2006年に新疆ウイグル自治区の南疆、タクラマカン砂漠を時計回りに旅した風景を紹介する。 上海からウルムチへ 我々は福岡を出発し上海浦東空港へ入り、そのまま1時間か
今年も長春へ。 今年も懲りずに長春へ行く。ただし、今回は学校の短期留学ではなく、自費で一ヶ月の遊学。旅行代理店には福岡~ソウル~長春の飛行機と、ソウルでの宿を手配してもらい、イザ出陣! ソウルで一泊して、アシアナ航空で長春へ飛ぶ。それにしてもアシアナって、機内食が素晴らしいねえ……。 飛行機の中で、長春市のサッカーチームと一緒になった。右にはザイールから来たという黒人のキーパーさん、右にはコーチさん。私の前の席の男の子(多分韓国人)が、私(日本人)とキーパーさん(黒人)
2回目の中国短期語学留学に関する日記です。かつて自サイト「joyful music」(すでに閉鎖)に掲載していた記事に加筆修正したものです。 再び北京へ 去年の日程と同じく、私たちは再び北京へと向かった。ただし、今回は飛行機での移動となった。 今年もやはり万里の長城でしょう! しかも去年は雨だったけど、今年は快晴♪長城から臥仏寺へまわって…それから、……もっもーだめだ! トイレ! そう、私は完璧にお腹を壊してしまったんです。寺の清潔な(!)トイレと、トイレ前の日
2回目の中国、吉林省長春市にある吉林大学での短期留学で体験した出来事。かつて自サイト「joyful music」(すでに閉鎖)で公開していた記事に加筆修正したものです。 1997年夏の風景 留学生活自体は1996年とほぼ変わることがないので、1997年夏の風景をご紹介します。 長春から吉林、ハルビンへの土日を利用したショートトリップがありました。これは前年と同様です。上掲写真は吉林へ行くバスから撮影した、どこまでも真直ぐな道。私の住む福岡ではこのような風景にお目にかか
飛行機怖い! 今年も、大学の短期留学班に参加する。7月16日~8月11日の予定だ。行き先は昨年と同じ、吉林大学。宿泊場所も同じだ。 友達に見送られて飛行機に乗る。今回は、一日で福岡~大連(乗り換え)~北京(乗り換え)~長春なのだ。乗り込む直前、先生からお土産を頼まれていたのを思い出し、買い求めた。中国や台湾へのタバコのお土産は、「峰」が喜ばれるらしい(1997年夏時点)。 今日はどうやら気流が乱れているようで、えらく飛行機が上下する。でも、空中小姐たちは平然としている
この記事はかつて「joyful music」という自サイト(すでに閉鎖)で公開していた旅日記を移設し、加筆修正したものです。 中国で汽車に乗る 8月7日、私たちは長春での勉強生活を終え、北京へと向かった。天津まで汽車で15時間、それから北京へバスで行くのだ。 汽車は「火車(フオチョーhuo3 che1)」。15時間も乗ってたら、日本では相当の距離を移動できるだろう。しかし、中国地図ではほんの少ししか動いてないことになるので、ビックリだ。 13時30分、汽車が動き出す