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それぞれの間(ま)
冬の午後、実家の片付けをしていて見つけた古いアルバム。ページをめくる手が、ふと止まった。表紙が反り返った集合写真が、そこにあった。
二十年以上前の書道教室での集合写真。小学生の子どもたちとその面倒を見てくれた大学生のお兄さんお姉さんと先生が、床の間の前でぎゅうぎゅうに並んで写っている。前の列、畳の上に正座して並ぶ子どもたちの中に、私もいる。
教室は古い民家を改装したもので、冬は障子越しの日差しが畳を淡く照らしていた。春を祝う水墨画がかけられた床の間は、特別な場所に思えた。その下で、私たちは毎週、呼吸を整え、席に戻り、先生の手本に沿って字を書いていた。
この冬の帰省で、写真に写る数人と偶然に会った。それぞれが、仕事に家庭に、普通の暮らしを営んでいる。今も書を続けている者は誰もいなかった。
写真の奥端には、後に世界的なアーティストとなる久保田さんと、現在は東北地方のとある寺で高僧となった佐伯さんの姿もあった。あの頃の大学生のお兄さんたちが、これほど異なる道を歩むとは想像もしていなかっただろう。
先生は、毎回の授業の始めに、必ず「呼吸の時間」を設けていた。壁に向かって正座し、三分間じっと呼吸を整える。集中力を高めるためだと言われたが、子どもたちの多くはその意味を理解できずにいた。
冬の寒い日は、壁に向かって座っているだけで、背筋から冷気が伝わってきた。それでも、みんな黙って座っている。
壁に残る墨のあとを数えたり、障子の向こうに揺れる木の枝の影を見つめたり。それぞれが、三分という時間を自分なりに過ごしていた。
私は時々、足のしびれと戦いながら、久保田さんと佐伯さんの背中を見ていた。小学生にとって大学生はとても大人に思えた。二人とも、まっすぐに壁を見つめ、静かに呼吸をしている。今思えば、同じ姿勢で同じ時を過ごしながら、二人は全く異なるものを見ていたのかもしれない。
久保田さんは、筆を持つことが何より好きだった。
彼が書くところを、皆と見ていたことがある。大きな紙に向かい、口をきゅっと引き結んで、「生」という字を書きあげた。筆をおいた後の笑顔を、今でも覚えている。
彼が墨をすって和紙に向かう時の、その表情には常に期待に似た輝きがあった。
後年、彼は「書は命を映したものだ」とインタビューで語っていたと聞く。文字を書くことは、彼にとって自由な表現への入り口だった。
一方の佐伯さんは、書く前の「間」を大切にしていた。私は時々、彼が呼吸の時間の後も、しばらく動かないでいるのを見かけた。「あの静けさが好きだった」と、彼が先生に送ってきた雑誌のなかで、そう語っていたと知った。その静けさの中に、後の人生を決める何かがあったのかもしれない。
同じ教室で、同じ時を過ごしながら、二人は異なる扉を開いていった。しかし不思議なことに、二人の語る思い出には共通するものがある。「楽しかった」という言葉だ。
久保田さんは筆の自由な動きに、佐伯さんは静寂の深さに、それぞれの「楽しさ」を見出していた。同じ「楽しい」という言葉でも、その内実は違っている。けれど、その感情の純度は同じように澄んでいたように思う。
写真を見つめていると、あの頃の畳の感触が蘇ってくる。足のしびれを我慢しながら、壁に向かって座っていた時間。
あの「呼吸の時間」は、それぞれの子どもたちに、自分だけの「間」を与えてくれていたのではないか。それぞれの生きる道の中で、自分だけの「間」を感じ取る大切さを教えてくれようとしていたのではないか、と今になって気づいた。
その「間」の中で、ある者は表現の自由を、ある者は沈黙の深さを見出していった。それは決して偶然ではなかったのだろう。先生は、きっとそのことを伝えたかったに違いない。
アルバムを閉じながら、ふと窓の外を見る。冬の陽が傾きかけている。いつの間にか息を詰めていたことに気づき、深呼吸をした。
§
今でも、何かに迷った時、静かな壁に向かって座ることがある。三分という時間は、あの頃と変わらず続いている。そうしていると不思議と、あの教室の空気が蘇ってくる。墨の香り、畳の感触、障子を透かす冬の日差し。そして、久保田さんと佐伯さんの、まっすぐな背中。
私たちはそれぞれの道を歩んでいる。けれど、あの教室で見つけた「自分だけの時間」は、今も確かに息づいている。
静かに目を閉じれば、今も、皆の呼吸の音が聞こえる。
そして、あの頃の「無限の可能性」が今もここにあると気づく。
月白堂