何があっても、何がなくても、幸せであれる心
ほんのり甘いリコリスティーを飲んでいたら、ふと、「あ〜幸せだなぁ〜」と、じんわり至福な気持ちが湧き上がってきた。
特に何ってことがあったわけではない、というか、何も起きていない普通の朝なのだけど。
(むしろ風邪こじらせからの、微妙に左耳が中耳炎気味で聞こえづらいのだけど。)
お恥ずかしい話だけれど、カッコつけても仕方ないので全部言うと、実は、少し前までの私は、こういう至福感から少し遠ざかっていた。
理由を考えてみると、今あるモノの有り難さを忘れ、無いものを見て、ブーブー文句タレ子になっていたからだと思う。
例えば、今の私のオランダの部屋にはちゃんとしたキッチンがない。そして、洗濯機もない。(もっというと、ちゃんとしたドアもない(笑))。
卓上IHコンロ1つを使って、なんとか料理(的なもの)をつくり、バスルームの小さな洗面台で食器や鍋を洗っている。
シンクは小さいので、すぐに水が跳ねて、とても洗いづらい。
水が跳ねるたびに、「あ〜もう!ほんっと洗い辛い!普通のキッチンがある部屋に引っ越したいなぁ。でもオランダで部屋探すの大変なんだよな〜」と、ため息をついていた。
洗濯機はありがたいことに、上に住んでいる大家さんが「いつでも使っていいよ」と言ってくれている。
しかし、人様の家の洗濯機を使わせてもらうのは、やはり気兼ねする。
だから、なるべく洗濯機を使う回数を減らすため、小さなモノは手洗いするようにし、大きな洗濯物が溜まった時だけ、2週間に1回くらい、洗濯機を借りている。
オランダでは基本的に洗濯物は外に干さない(干す場所がない)ので、部屋の中に干す。だけど、狭い私の部屋には、洗濯物を干すスペースがあまりない。だから、あちこち罠を仕掛けるように紐を渡して、ぶら下げている。
そんなふうに、”室内スラム街状態”で洗濯物を干しているときは、トイレに行くにもいちいち頭を下げて、しゃがんで、洗濯物の下を潜らねば移動できない。
このあいだ、頭に洗濯物が引っかかって、洗ったばかりの洗濯物が落ちてしまった時、「あ〜もう!!洗濯機と乾燥機のある部屋に引っ越したい!」とイラッとしてしまった。
こんな感じで、文句ブーブー・タレ子になっていたのである。
しかし。
私は昨年、オランダのこの部屋に引っ越してきたばかりの時は、幸せでいっぱいだった。
まともなキッチンがないことも、洗濯機がないことも、干す場所がほとんどないことも、何もかも同じなのに。
あの時の私は、地元の人さえ部屋探しが大変な国オランダで、部屋を見つけることができたことが本当にありがたく、嬉しく、感謝しかなかった。
キッチンのない不便さも、洗濯機がない不便さも、
「歩く旅をしていると思えば全然オッケー!」
「船上生活に比べたら、快適で本当ありがたい!」
「ヴァンライフにも興味があるから、その練習だと思えば超楽しい」
そんな風にポジティブに転換し、工夫をしながら、楽しく毎日を過ごしていた。
ではなぜ、数日前まで文句タレ子になっていたのか。
それは、体調不良で心身が弱っていた、と言うこともあるけれど、一番の理由は、少し前まで、大きなオープン・キッチンがあり、洗濯・乾燥機完備、大きなバスタブ付きの快適空間に滞在していたからだと思う。
気づかぬうちに、その快適空間の便利生活に慣れてしまい、ちょっと不便な小さな部屋の生活に戻った時、「無いもの」ばかりが目について、「今あるもの」「その有り難さ」が見えなくなってしまったのだ。
そのことに先日、気づいた。だから、それからは意識して、「今あるもの」に目を向けることにした。
親切な大家さんが上に住んでいること。
狭いけれど、シンプルでスタイリッシュな落ち着くインテリアの部屋に住めていること。
プライベート・バスルームがあること。
念願のオランダのビザを取得できたこと。
大好きな可愛い街に住めていること。
駅まで歩いて徒歩5〜8分、街の中心まで歩いて5〜8分という、超好立地に住めていること。
定期的に連絡をしてくれる家族が日本にいること。
インターネットのおかげで、日本の友人たちとリアルタイムでやりとりできること。
素敵な人たちが集まる、オンライン・コミュニティに所属できていること。
親友たちがたくさんヨーロッパに住んでいて、すぐに会えること。
最近、天気が良い日が多く、青空や太陽が見れること。
マイペースで生活できていること。
...etc
こんなふうに、意識的に、今あること、恵まれていること、有り難いことに目を向ける数日を過ごしていたら、冒頭に書いたように、突然、じんわりと至福な気持ちが湧き上がってきた。
よく聞く話だけど、幸せというのは、本当に、状況とか、出来事とか、何を持ってるかどうか、などの外側の要因ではなく、自分の心の持ち方、感じ方次第なのだと実感した。
この世は諸行無常。
何一つ、常なるものはなく、すべては変化する。
今持っているものを失うこともあるだろうし、いま持っていないものを得ることもあるだろう。
便利で快適な暮らしができる時もあれば、不便な暮らしをする必要がある時もあるかもしれない。
だからこそ、自分の幸・不幸を外側の状況と結びつけるのではなく、何があっても、何がなくても、じんわり幸せを味わうことができる、そんな心を養いたいものである。