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女はたった一人の王子に焦がれ、男は複数のプリンセスを想う。

「男と女は、”運命の人”に対する考え方が全く違うんだよ」

友人の家で夜ご飯を食べていた時のこと。
スロベニア人女子の恋愛話を聴く中で、フランス人男子のアンドレアが言った。

その日集まったのは、アンドレア以外みんな女子。それもあって、「貴重な男子の意見を聴かせていただこうじゃないか!」と、冒頭のアンドレアの言葉に、女子は全員前のめりになった。

「つまりさ、女子は、”白馬の王子様”はたった一人だと考えてるんだよね。一方、男子は、”僕のプリンセス”は複数存在すると考えている」

「ほぉぉぉ〜ぅ!面白い。で、そうするとどうなの?」
さらに前のめりになる女子たち。

「だから男子はさ、よっぽど好きな人でも、それなりに頑張っても手応えがなかったら、”次のプリンセスを探そう”と、さっと次に切り替えられるんだよ。でも女子はさ、すごく好きな人に出会うと、”もうこの人しかいない!この人が、ずっと探し求めていた、世界でたった一人の白馬の王子様だわ”って思い込んじゃう。そうすると、たとえその恋がうまくいかなくても、なかなか次に気持ちを切り替えることができないんだよね。ほんとは世界には複数の”白馬の王子”がいるのに」

「なるほど〜!」
「やっぱフランス人は言うこと違うわ〜。さすがアムール(愛)の国だわ〜」
日本、オランダ、スペイン、スロベニア、中国、で構成されたインターナショナルな女子チーム我々は、アンドレアが作ってくれたクレームブリュレをコンコンと割りながら、唸った。
(アンドレアはフレンチのシェフなので、いつも美味しい料理でもてなしてくれる)

「じゃあ、私はどうしたらいいの?」
今回、恋愛話を披露(というか相談)していたスロベニア人の友人がアンドレアに訊いた。

「だからさ、彼ももちろん運命の人の一人かもしれないけど、世界中にはまだたくさんの運命の人がいると理解すること。まずはそこ。彼が唯一の存在じゃないと思えば、余裕が生まれるでしょ?」

すると、冷静&頭脳派のシャオヤンが異議を唱えた。
「アンドレアの理屈は分かるわ。実際、運命の人がこの地球上にたった一人だなんて、私も思わない。でも問題は、複数いる運命の人に、必ず出会えるとは限らないってことよ。出会えなかったら、存在してないのと同じでしょ?」

うーむ!さすがシャオヤン。鋭い。私もそれを考えていた。

「出会えるとは限らないけど、出会えないとも限らない。あとはもう確率の問題だから、数打ちゃ当たるで、ティンダーでも友達の紹介でも、なんでも使って、出会いまくるしかないよ。一人でも多くの人と会えば、”運命の人”と出会える確率は高まるんだから」
お茶のおかわりを入れてくれながら、アンドレアが言った。

私の個人的な嗜好としては、”運命の人”と出会うためにガンガン人と出会いまくるのは、あまり好きではない。しかし、この数学的というか、論理的な考え方は、非常に男性的というか、西洋的だなぁと感じ、面白かった。

何よりアンドレアが言っていた、男女による”運命の人”への考え方の違いというのは初耳だったので、とても興味深い。

実際、どうなのだろう。
私自身、まだ明確な答えは持っていない。
現状の仮説として私が考えているのは、「”運命の人”(=ソウルメイト的な存在)というのは複数いるけれど、その中でも、”超運命の人”(いわゆる”ツインソウル”的な存在)は、たった一人なんじゃないか?」と言うこと。
そして、自分の成熟&成長度合いに応じて、出会える(引き合う)”運命の人”が変わる気がしている。
自分が成長&成熟すればするほど、”超運命の人(=ツインソウル)”と出会える可能性が高まるというのが、現状の私の仮説。
(こんなふうに、他のソウルメイトとは別格の、”超運命の人(=ツインソウル的な存在)”を想定している時点で、私はある意味、アンドレアの言うところの「”運命の人はたった一人”と思い込んでいる女子」なのかもしれないが・・・)

ちなみに、私の仮説では、「ソウルメイト的な存在(=運命の人)」というのは、恋愛関係となる相手とは限らず、親友やメンターのような存在も含む。

「ソウルメイト的な存在」の中で、恋愛感情が芽生えたら、パートナーになり、それが恋愛対象ではなければ、親友とか、愛弟子と師匠のような関係になったりするのではないか。
”関係の名前”は何であれ、深い絆で結ばれた存在というのは、魂レベルの深いご縁があるのだと、私は考えている。

もっとも、この件については、「本当はどうなのか?」確認しようがない(人間には分かりようがない)。
だから一番大事なのは、自分が”運命の人”だと感じ、誓った相手こそが、「最高の運命の人」だと揺らぎなく確信し、最幸のパートナーシップを育んでいくこと。
(恋愛に限らず、「自分が選んだ道を正解にしていく」のと同じ理論)

そして、そのように信じる(強く確信する)には、自分の感覚への信頼(=自分への信頼)が必要になる。
つまりは、自分を整え、自分と繋がり、自分の感覚を磨き、自分を信頼して生きていくこと。
結局のところ、それがすべてのベースなのである。


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