生きること働くこと
働くことは人間の欲求そのもの。
僕の中で”働く”ということの認識を大きく変えられた一本の映画がある。
数年前に見た「モンテッソーリ 子どもの家」というドキュメンタリー映画で、とても面白かった。というより、めちゃくちゃ感覚が揺さぶられたのを憶えている。
まずは、百聞は一見にしかず。と言いたいところだが、現在は上映が終了している場所がほとんど。
※一部、不定期上映しているところもあるので、機会があれば是非観てほしい。
映画の内容に少し触れておくと、
医師であり教育家であるマリア・モンテッソーリ博士が「子どもには自分で自分を教育する、育てる力がある」という考えのもと提唱された教育法で、それを実践する場所が「子どもの家」と呼ばれる施設。
そこでは、2歳〜6歳の子どもが集まり、同じ教室で時間を過ごす。
大人は必要最低限子どもたちをサポートをし、基本的にその様子を観察している。
だから、子どもたち自身が、その日、その時、何をするかを自分で決める。
子どもたちは様々な形で自分の”お仕事”をしている。
数字の勉強をする子や料理をする子、いろんな道具の使い方を試行錯誤しながら触ってみる子、中には何もしていなように見えて、いろんな子の姿を観察したり、見て真似したりする。
そこには、誰かの為にとかはなく、自分の興味関心の赴くままにお仕事をする。
映画の中で、教室は子どもたちにとって、観察する場であり実験室である。と言っている。
まさに、彼らにとって、そこには学びがあり、その瞬間を生きている。
だから、やりたいことをやっている時、できないことや難しいことは、むしろ彼らの欲求を高め、夢中になっている瞬間でもある。
他年齢の子どもがいる教室では、自分のできないことができるお兄ちゃん、知らないことを知っているお姉ちゃんたちが周りにいる。
そんな人生の先輩を、憧れや称賛の気持ちを持って観察する。
できないことが恥ずかしいとか、妬みなどの気持ちは一切ない。
それは、感覚的に、大きくなったら自分もできるようになることを知っているからだ。
彼らには、褒めて欲しいとか、怒られるからやらなくてはいけない。といったものがない。学ぼうとしている子どもたちにとって、外的な欲求はむしろ彼らの成長や学びを妨げてしまう。
誰のためのものでも、何のためのものでもなく、自分自身がやりたい、やってみたい、ただそれだけのこと。
これは、僕たち大人も同じなんだと感じた。
僕たちは、生きている世界そのものが人生の実験室であり、日々、目の前のことを観察しながら試行錯誤して生きている。
しかし、大人になればなるほど、僕たちは様々なことを経験し、必要以上の思考と感情を身に纏い、守ること、しがみつく事に多く時間と労力を使ってしまっているように思う。
本来、僕たちの内側にある感覚や欲求は、未だ見ぬ世界への好奇心を満たすというとてもシンプルなもので、今この瞬間にある感覚を、僕たちの生きる世界の中で、どう探求していくか。
そんな”お仕事"への自然な欲求が僕たち人間の本質にはあると思う。
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