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稲垣吾郎 主演「窓辺にて」病めるとき、人は河原に石を拾いにいくとよい

稲垣吾郎主演・今泉力哉監督の映画「窓辺にて」を見てきました。

フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当している売れっ子小説家と浮気しているのを知っている。しかし、それを妻には言えずにいた。また、浮気を知った時に自分の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。ある日、とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、久保にその小説にはモデルがいるのかと尋ねる。いるのであれば会わせてほしい、と…。

公式サイト

稲垣吾郎が演技なのか素なのかわからないくらいぴったりなキャラクターだった。たぶん素なんじゃないのかなと思うんですが(違ったら演技力がすごい)これが稲垣吾郎か~となる。

稲垣吾郎の素なのか演技なのかわからなさがこの作品のテーマでもある(と思われる)人間性とはなんなのか、感情とは何かということへのキャスティング的な回答になっているように感じる。

わからないものをわからないものとして(解釈を遠ざけ)心の中に持っておく能力を詩人のジョン・キーツはネガティブケイパビリティと名付けました。

浮気する妻、そしてそのことにそれほどショックを受けない自分に戸惑う稲垣吾郎。
このわからなさを稲垣吾郎は玉城ティナ演じる女子高生小説家とその周辺の人間との出会いから考えていくことになります。

女子高生小説家の彼氏(作中における一般人。見ている人の眼差しでもある)。
叔父(河原で拾った石をくれる)。
タクシーの運転手(馬がかわいそうで競馬を辞めたけど馬肉は好き)。

この叔父さんが山奥に住んでいて雨上がりの日に近くの河原で一番きれいな石を拾うという話をします。そしてその石をくれる。
わたしも河原に石を拾いにいったことがあるのでなんとなくわかるのですが河原に石を拾いにいくということは自分自身の感受性を確かめる行為でもあります。河原の石は無料なので資本主義的には価値はないけどそこに価値を見出せるのなら、それはまぎれもなく自分自身の中から出てきた感情だからです。

この映画はわからなさとわからないなりにも人生の選択をしていかなければならないというごく当たり前の事実が描かれます。
そしてそうしていくしかないのだという、生きるということはそういうことなのだということでもあるわけです。

沈黙の中にいてはわからない。でも生き続けなくてはならない。いやできない。
でも生き続けよう。

サミュエル・ベケット「名づけえぬもの」

いい恋愛映画は人生映画になるとライムスター宇多丸が言ってましたがそれにならうならこの映画はいい恋愛映画です。

わたしはこの映画を晴れた日曜の昼前に見ました。
そして映画館を出て公園に向かいました。
これがchillです。

カジュアルでコメディな映画でもあり見やすいと思うのでぜひ。

あと病んだときは河原に石を拾いにいこうな。きれいな石を。




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