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不動明王と線香

 不動明王の予感がした。ぼくは名掛丁を歩いていた。予感は正しかった。アーケードの中にお寺があった。汚れたビルの間にすっぽりとおさまっているお寺だった。線香の香りがした。ぼくは冷やかしに小銭を投げ、授与所のおばあを口説いた。口説きおとされたのはこっちだった。そういうわけで線香を一束買った。

 しまった。由々しき事態だ。家からお寺の香りがする。線香を焚いたせいだ。こんなことなら焚くんじゃなかった。
 線香は人死にの時に焚くもんだ。でも、人死にでないのに線香を焚くとしたら、それはお寺ということになる。お寺となれば話は早かった。ぼくは自室にいながら神妙な面持ちでテレビをみたり、本を読んだりした。幸い、線香は長持ちしなかった。はかない命だ!

 安いライターは長く火をつけていると、持てないほど熱くなる。ぼくは線香の束をひも解き、アパートの庭に順序良く立て、片っ端から火をつけていった。見事だった。不動明王も喜ぶだろうと、しみじみ思った。黙っちゃいないのは大家だった。大家は警察を呼ぶ代わりに、神妙な面持ちをしたぼくにひどく怒鳴りつけてきた。大家と関わるとろくなことがなかった。

 ぼくは、じいの墓に線香をあげにいくことにした。六年ぶりだった。滅多にいかなかった。それに、じいの墓石は手違われて動物霊園に立てられたので、じいは動物みたいなもんだった。動物に線香をあげるなんて時間の無駄だった。時間の無駄だったけどぼくはほっこりした。これでじいも思い残すことなくあの世へ行けるだろう。天国へのこねを作っておくのは大事なことだ。

 天国ときいて思い出すのはいとこだった。いとこは交通事故で死んだ。仲良くなかったので泣かなかった。

 ぼくはお寺の次に、神社が好きだった。いろんなところでおみくじを引いた。たくさんの神様を争わせるのが好きだった。ぼくは伊勢神宮のお守りと大崎八幡宮のお守りを同じ引き出しにしまっている。しかるべき時に決着がつくだろう。

 それに僕はどんと祭にいかなかった。お守りは家庭ごみの日に捨てる質だった。お守りを捨てるために神社に行くなんて馬鹿げていた。お守りを燃やすくらいなら、もっと燃やすべきものがあるはずだった。しかし、何も思い浮かばなかった。

 ぼくのじいは大したもんだった。じいは宮城一の盗人だった。マンションの花壇から花を、アパートのベランダから洗濯物を盗んできた。
 やむを得ず。ぼくはじいの墓に線香をあげたあと、となりの墓石に添えてあったワンカップをいただいた。踏襲。ぼくもまた盗人だった。

 

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