「幕の内大作戦」 ◆文喫イベント開催記念『おいしいもので できている』より特別公開!
幕の内大作戦
漫画家ユニット泉昌之(『孤独のグルメ』で有名な久住昌之さんが原作担当)の作品に「夜行」という傑作があります。これは、一人の男が夜行電車で一折の幕の内弁当を食べる、ただそれだけを描いた短い作品。作中で主人公はおかずの順番やご飯のペース配分をひたすら真剣に考えつつ食べ進めます。そして最後の最後に思わぬ悲劇が起こるのですが、その衝撃的な結末がどういうものかは読んでみてのお楽しみ、ということでここでは触れずにおきましょう。
とにかく僕はこの作品を読んだ時に主人公に(原作者に?)心の底から共感しました。そうそう!幕の内弁当を食べる時ってこうだよね!と。
しかし巻末の解説を読んでたいへん驚いたことがありました。この文庫版の解説は、とある人気女性ミュージシャンによるもの。そこには彼女の素直な感想としてこんなことが書かれていたのです。
「まさかお弁当を食べるのにここまで真剣に考える人がいるなんて思わなかったからとても面白かった」
僕としては、この解説の方のように幕の内弁当を食べるのに真剣に考えない人もいる、ということの方がむしろ驚きでした。いや、驚いたというのはもしかしたら正確ではないかもしれません。むしろそっちが当たり前なのかもしれないということに今更ながらハッと気づかされた、という感じでしょうか。ここで僕が何を言いたいかというと、こういうことです。
「世の中には二種類の人間がいる。幕の内弁当を真剣に考えて食べる人間とそうではない人間である」
僕自身は当然前者に属します。皆さんはいかがでしょうか?
僕が幕の内弁当を食べるシチュエーションとして最も多いのは、出張帰りの新幹線です。一仕事終えた充実感と開放感の中で何にも邪魔されず楽しむ晩餐は、ささやかだけど確かな幸福のひと時。この時、僕はまず間違いなくホームの売店でビールも買い込みます。なので、幕の内弁当の蓋を開けてまず行うことは、幕の内ならではの多彩なおかず陣営を「ビールのつまみ軍」と「ご飯のおかず軍」に編成するということなのです。
幸い僕は、少量のおかずでライスマネージメント、つまりおかずとご飯をいかに過不足ないバランスで食べ進めるかという調整を行うことに長けた有能な軍師なので、軍の編成にはかなりの自由度を持ち得ます。思い切った物量を「つまみ軍」に投入することもできるし、あえてそうしないこともできるということ。ただしここには一定の定石もあります。例えば、多彩な個性が割拠する幕の内において主役とも言える「焼き魚」は、基本的には常に「おかず軍」の大将として抜擢されます。「佃煮」「しぐれ煮」は言わば副将といったところでしょうか。
「卵焼き」も幕の内弁当に欠かせない要素のひとつですが、それが関西風のだし巻きに近いものなのか、関東風の甘じょっぱいものなのかによって振り分けが変わります。前者であれば「つまみ軍」、後者なら「おかず軍」。僕は、幕の内を食べる時も基本的な日本料理のマナーに則り、おかずは必ず一品ずつ完全に食べ切ってから次に箸を付けることを自らに課しています。つまり一口かじって味見をする、ということは明確な理由がない限りタブー。なので卵焼きの味付けは、見た目や製造者、価格帯、全体のコンセプトなどから総合的に推理する必要があるということになります。
そして安い価格帯の弁当だと、往々にしてそのどちらでもないのっぺりとした卵焼きもどきがペランと入っているだけということがあります。紅白カマボコと重ねられて初期配置されている卵焼きはだいたいそのパターン。これはどちらの軍でも戦力にならないため、進行途中でうやむやのうちに食べてしまって「なかったこと」にしてしまう必要があります。
漬物が「おかず軍」の戦力になり得る力を持ったものかどうかの判断も大事です。例えば僕が苦手中の苦手とする「黄色いタクアン」だったらそれは卵焼きもどき同様、「なかったこと」枠に編成せざるを得ません。逆に、見るからに高品質な大粒の梅干しが配備されていたりすると、戦況が大きく変わります。この場合、極端な話、おかず軍は焼き魚と梅干しの2オペで充分ということになります。まさしく精鋭部隊です。「上等な梅干し」以外に、例えば「きゃらぶき」「小ナスの辛子漬け」などの場合もまた同様に、少数精鋭のエレガントな戦い方を可能にします。
「茄子」はいつだってオールマイティな戦力ですが、煮物の中の一品としてではなく単体で登場した場合、それが煮浸しなどの甘じょっぱい系なのか、ポン酢などの酸味系なのかを判断してよりベターな配備を行いたいものです。これは見た目で判断しづらいので原材料表記のシールを確認するのが確実。こういうこともあるので、弁当の外装のビニールを剝がす時は「絶対に」原材料シールを破かないように最新の注意を払う必要があります。適当に破いてクシャクシャに丸めて捨ててしまったりすると、後で良くても遺跡の土偶、悪いと恐竜の化石並みの過酷な修復作業を強いられます。
ご飯が炊き込みご飯だと、なかなか大変なことになります。この場合は焼き魚すらも「つまみ軍」に編成されるからです。これは嬉しい悲鳴でもありますが、同時に、ビールの物資不足が戦況を悪化させる可能性がある諸刃の剣。
二軍の振り分けが終わったら次は各兵力の出撃の順番を決定していくわけですが、僕の場合は基本的に「懐石料理の流れ」をベースに組み立てを行います。ただしその時にビールの価値を最大に高めることは懐石料理のしきたりよりも優先されます。なので本来ならば最後に登場するはずの「揚げ物」は、あまりにもビールに合いすぎるという才能を買われ、大抵の場合、序盤に繰り上げられます。
また一般的な幕の内弁当の構成上、本来の懐石ならばこれもまた終盤に登場するはずの「野菜の煮物」を前菜的に扱うことが多くなります。というのも弁当には「お造り」や「胡麻どうふ」などの瑞々しい前菜は欠員であることが基本だから。そして、焼き物は前述の通り、終盤でご飯と共に。有名和食店「賛否両論」の店主でもある料理人の笠原将弘さんがかつて、夏場の和食コースは料理の順番を逆にする、ということを提唱されていました。夏場はビールから食べ進めるお客さんのために揚げ物を先、その後日本酒に切り替えることを想定してお造りを後半、といった感じで料理の順番を全体的にひっくり返すという、いわば「逆懐石」です。僕が幕の内弁当を食べる順番は、通年むしろこの逆懐石に近いスタイルかもしれません。
とは言え、やはり節目節目では日本料理の伝統に対するリスペクトは忘れてはいけません。例えば「甘く煮た豆」は、現代の感覚としてはデザート代わりに最後にと考えてしまいがちですが、これは古いスタイルの日本料理の伝統に則り、何よりも最初に手を付けることにしています。これはお茶会の作法を受け継ぐものでもあるのですが、まあ本音を言うと僕にとってはこれも「なかったことにして片付ける」という作戦行動の一部であったりもします。
といったような一連の流れを、弁当の蓋を開け、ビールを一口二口飲みながら十五秒から長くても三十秒の間に判断して計画を立てる必要があります。そしてあくまで意思固く計画通りに遂行することが、一折の弁当の価値を最大限に高めることを努努忘れることなかれ。しかし、思わぬ戦況の変化が突然訪れて臨機応変な計画変更を迫られることもまたしばしば。薄味かと思っていた煮物が実は極めてご飯を誘う味付けだった、ワゴンにビールを積んだ補給部隊のお姉さんが到着してしまった、ヒレカツだと思って大事にとっておいたものが玉ねぎフライだった、など、まったく世の中何が起こるかわかったものではありません。
かくの如く、幕の内弁当は難しい。実に難しい。しかし難しいからこそ、そのひと時は至福なのです。
(『おいしいもので できている』より)
10月20日(金)、稲田俊輔さんのスペシャルなイート&トークショーが開催されます。
稲田俊輔と「崎陽軒の幕の内弁当」を読む会
~今日の夜にふさわしい食べ方を真剣に考える~
日時:2023年10月20日(金)19:00 – 21:00
会場:文喫 六本木(東京都港区六本木6丁目1−20 六本木電気ビルディング)
詳細は文喫 六本木のWebサイトをご覧ください。
【参加申込みはこちら】文喫 六本木のpeatixサイト
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目の前の「幕の内弁当」をどう食べるか。
稲田俊輔さんと一緒に真剣に考え、そして食べる。
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これを読めば、食事は最高のエンターテインメントになる!
食べ物への偏愛が注ぎ込まれたエッセイ集。ミニマルレシピ4点付き。
■目次より
幸福の月見うどん / 一九六五年のアルデンテ / サンドイッチの薄さ / 手打ち蕎麦の困惑 / ヤマモトくんのおやつ、キリハラくんのおやつ / ホワイトアスパラガスの所在 / 菜っ葉とお揚げさんのたいたん / カツレツ贔屓 / コンソメスープの誇り / チキンライスの不遇 / 幕の内大作戦 / 史上最高のカツ丼 / ストイック宅配ピザ / 小籠包は十個以上 / カツカレー嫌い / 天ぬきの友情 / 食べるためだけの旅 / ビスクの信念 / お伽噺の醤油ラーメン / ポテトサラダの味 / ポトフとpot-au-feu / 麻婆豆腐の本質 / ミールスの物語 / 誰が為のカレーライス / かっこいいぬた / ミニサラダの永遠 / から揚げ稼業
■収録レシピ
・東海林式チャーシュー「改」とチャーシュー麺
・ミニマルポテトサラダ
・塩漬け豚のpot-au-feu
・ミニマル麻婆豆腐
■著者プロフィール
稲田俊輔(イナダシュンスケ)
料理人/飲食店プロデューサー/「エリックサウス」総料理長
鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て、円相フードサービスの設立に参加。居酒屋、和食店、洋食店、フレンチなど様々なジャンルの業態開発やメニュー監修、店舗プロデュースを手掛ける。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。南インド料理とミールスブームの火付け役となる。食べ物にまつわるエッセイや小説を執筆する文筆家としての顔も持ち、X( @inadashunsuke )でも人気を博す。
著書は『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『ミニマル料理 最小限の材料で最大のおいしさを手に入れる現代のレシピ85』(柴田書店)、小説集『キッチンが呼んでる!』(小学館)、エッセイ『おいしいもので できている』『食いしん坊のお悩み相談』(ともにリトルモア)、『お客さん物語』(新潮社)など多数。