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みんなわかってくれない

人に自分がどう見えているのか、自分が把握している以上に、違っていることが多いのはよくあることだと思う。

ライフステージが変わるに連れて、自分の趣味嗜好が変わってくることもそうだ。例えば、実は金継ぎが趣味だ、とかは話してみないとわからないし、それ、見た目的に意外〜とはよくある話だ。昨日もちょうど、呑みそうなのに飲めない、仕事で2度目に会ったキャリアウーマンは、ヨットが趣味で、バーベキューなぞしてもドタキャンされることに業を煮やし、ついにはひとりでヨットを漕いで近郊の沖合に船出をしているそうだ。ヨットといえば男たちがぐるぐると帆を巻きながら荒波に立ち向かうイメージの私にとって、筋肉がモリモリないと操れなさそうなヨットが趣味だなんて最高にイカしてる。

自己表現ツールのインフラが整ったところで、目に見えなかったことが伝えやすくなり「趣味嗜好」「願望」「現状報告」などなど、一言で言い切れないことを秒で世界中に伝達できるようになった。便利すぎて名刺屋も商売上がったりだ。郵便屋のヤギの歌が子供達に歌い続けられることがなくなるかもしれない。

このインフラを巧みに使い分ける猛者も、マイペースに日記化させている人も、それはそれでなんだって自分が楽しけりゃいいと思う。この人工的ペルソナによって金を稼ぐものもあれば、それを情報源とするものもいる。ただこれを仕事に結びつけることで、どうしても見られていることを意識せざるおえない。見られていることを意識すると、自分の多様性の解放にブレーキがかかる。いいねが欲しいからかもしれないし、いい感じって思われたいからかもしれない。かもしれないじゃない、確実にそうだ。

あぁ面倒くさい。自分は自分だ。そう言いたいが、よく見られたいし仕事は欲しい。自分は一目瞭然じゃないし、過去も現在も未来も変わっていくし多様でしかない。

そう、それでいいんだ。そう思えることが一番だと思う。

人に正しくわかってもらいたいなら、それなりの努力が必要だ。そのための方法がひとつじゃないなんて、わかりきったことだ。

面倒くさがらず、伝えていくことも大切だし、結果はついてくるものだ。

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