【ココロ】奴隷を作り出す「体罰/暴力、暴言の教育」
親が子どもを怒鳴ったり叩いたりするのと、指導者の暴言や暴力との違いはなんでしょうか?
親から子へは躾だ。親には愛情がある。親には義務がある。だからOK?
熱意のある指導者。発破をかけているだけ。だからOK?
例①「お前、何やってんだよっ!触るなって言ってんだよ。触ってんじゃねーよ!」
例②「あ〜もう、お前のせいであとがつっかえてんだよ。さっさとやれよ。」
どちらも実際、私が見聞きしたものです。
これらをみて、どんな場面で、どのような間柄でなされた会話だと思いますか?そして、この言葉を発した人は、普段はどのような人で、どんな気持ちでこの言葉を発したと思いますか?
例①の言葉を発したのは、街中のパン屋さんの外で幼い女の子を叱っている若いママ(多分)でした。私の想像ですが、幼い子が売り物のパンを触ってしまったのでしょう。最初は静かに怒っていたのですが、徐々にヒートアップしていきました。我を忘れたように大声で怒鳴っています。怒鳴られている女の子は無言で全く動かずじっとしていました。周囲に通行人がいるにも関わらず、大きな声でこのような罵声を浴びせるということは、普段からもこのような叱り方をしていて、それがおかしいことだと思っていないのか、もしくは、何度注意をしても子が周囲に迷惑をかける行動をとってしまい、溜まりに溜まった感情がたまたま爆発してしまったのでしょうか。
例②はあるスポーツチームの女子コーチが選手にかけていた言葉です。あるトレーニング中、1人の選手がそのトレーニングが怖くてできないと言って躊躇していた時のことです。
ちなみにこのコーチは、選手からも保護者からもとても信頼されていました。なぜならとても熱意があり、選手思いだからです。この時も心の底から「早くやれよ!」と怒っていたのではなく、背中を押すつもりだったのでしょう。
良いと悪い、OKとNGの線引きはどこにあるのでしょうか?
知り合いの場合は「熱意があるから」「本当は優しい人だから」と感情的に許容してしまい、似通った立場で同じよう経験をしていると「わかる、わかる!」とやはり感情的に共感してしまい、全く知らない人だと「ダメだ!」と事実に対して判断しているように思います。
どちらであろうとも体罰・暴力、暴言による教育はダメです。親であろうが、保護者であろうが、指導者であろうが、熱意があろうが、愛情があろうがダメなものはダメなのです。なぜなら、そのように教育された子は、人の言いなりになる奴隷のような人生を送ることになる可能性が高いからです。
頭の中身はメモリがある
頭の中にはメモリのようなものがあると思ってください。
その一つ一つのメモリにはタグがついていて「自分」というものを作り出し「わたしとはこういう人間だ」と主張します。
メモリの中には、自分のことだけではなく「自分以外の他人」についてのタグもあります。わたし(自分)がその人(他人)をどのように思っているのかを示しています。そして「〇〇はこういう人間だ」と思い込んでいます。 これは、その人(〇〇さんやXX君)自身がどう思っているか(主観)は全く関係ありません。
さらに、信念や価値など、あらゆるものにも同じようにメモリがあります。「わたしは〇〇に価値があると信じている」「わたしは〇〇だと思っている」など。 これらの「印の位置」が人それぞれ違うために意見のすれ違いがあります。「価値観の違い」とはこれです。 「友情よりお金を取るなんて信じられない!」という人は、友情に高い価値をおき、お金に価値を置いてないのかもしれません。反対に「お金が全てだ。お金がなければ自分は卑屈になり、友情さえも大切にすることはできない。だからお金が必要だ。」という人は、友情とお金を天秤にかけた時、お金のほうが重く価値のあるという信念があるのでしょう。
これらはどうやって作り出されたのか?
生まれた瞬間から「わたしは足が速い!」「お金こそ全てだ!」なんて思う乳児はいません。
①周囲の人たちから繰り返し言われた言葉の積み重ね
によって出来上がります。それから、
②自分自身が繰り返し呟いた言葉の積み重ね(セルフ・トーク)
によってより強固なものにしていきます。
①周囲の人たちから繰り返された言葉
子どもの頃は家族、学校の先生、習い事の指導者、友人などからの言葉の積み重ねによってうっすらと出来上がっていきます。
大人になると、友人や組織(会社など所属するもの)、組織の仲間などの言葉の積み重ねによって変化していきます。
②自分が実際に発した言葉、頭の中で呟いた言葉の積み重ねでそれを強固にする 周囲から言われた言葉を、実際に発したり、頭の中で繰り返しつぶやいたり(セルフ・トーク)することで、それをより強固なものにしていきます。
暴力・体罰や暴言の教育によって指導されている人の脳内で起こっていること
脳内に「わたし=そこそこできる」という構図が出来上がっている子がいたとします。その子がいきなり先生や指導者から全否定されると反発します。なぜなら自分の脳内にある構図「わたし=そこそこできる」と、指導者の脳内にある構図「君=できない」が一致していないからです。
メモリが一致していないと、それを一致させようとします。自分のメモリが正しいのだと証明するために何かしら行動をします。その行動とは、例えば、練習をハードに行い成果を見せつけるなどして「ほら、僕はできるんだ!」と主張しようとします。
それにも関わらず怒鳴られ否定を繰り返されたりしていると、その子の脳内メモリの位置は少しずつ移動していきます。「わたし=そこそこできる」→「わたし=可もなく不可もな」→「わたし=できないかもしれない」→最終的には「わたし=できない」構図が出来上がります。
これは、指導者の脳内メモリに自分のメモリを一致させたことになります。「一致」すると違和感がなくなってしまうのです。そして「わたしが悪いんだ。わたしが悪いから怒られるんだ。仕方ない。」と思うようになります。
暴力的な家庭で毎日否定されて育つと、反発することさえしません。
「わたしが悪いんだ。わたしが悪いから怒られるんだ。わたしが悪いから殴られるんだ。」と自分が全て悪いと思い込むようになります。
先生/指導者から子への指導の場合、メモリの位置が移動するのは子だけではありません。それを見ている親や保護者のメモリも変わります。「うちの子=できる」といった揺るぎない自信があれば、そう簡単に移動することはありませんが、「子に対する構図」が曖昧なときに変化が起こりやすくなります。
否定され続ける子を見て、最初の頃は「あれ?うちの子そんなに出来が悪かったかな?」と疑問に思うようになります。
疑問を持ち始めた頃、他の保護者たちから「あの先生は熱心だから」「怒られるのは目をかけられている証拠」などと言われると、疑問を持つ自分の方がおかしいと思うようになります。そして、さらに否定される子を見ていると「出来が悪いから仕方ないか」と思うようになります。
脳内の構図が「うちの子=できない」に出来上がり、指導者のメモリと一致させてしまいます。繰り返しますが、「一致」すると違和感がなくなります。そして「うちの子が下手なのが悪いのに、熱心に教えてくれる。上手になるには厳しい指導が必要なんだ」と思い込むようになります。
否定され続けた子は、考えることをやめます。反発すれば怒鳴られたり、殴られたりするため言うことを聞いた方が楽だからです。そして怒られないようにすることばかり考えたり、または喜ばせようとすることばかり考えるようになります。
支配と思考停止
自分の考えを周囲に押し付け、同じ考えになるまで言い続ける。それでも同じ考えにならないなら殴る。それを繰り返す。ただの極悪支配者です。
暴力や体罰が明るみに出ると、時々擁護する保護者がいます。
「熱心な指導が空振りしてしまっただけ」「本当に勝たせてくれようとしていた」
大会への参加を取り消されたりすると、告発した選手に恨み節をいう選手たちもいます。
「どうしても勝ちたかった」「あいつのせいで」「監督は悪くないのに」
こういった記事を目にすると、完全に支配されてしまったのだなと感じます。
DVを受けている女性が「本当は悪い人ではない」「私が悪いから彼が怒っただけ」「私が彼のいう通りにできれば怒ったりしない」というのと全く同じように思います。
奴隷マインドを植え付けられた人の未来
①何も判断できない
心を支配されて育ってきた人は、考えることをやめてしまっているため、思考が停止しています。何をしたらいいのか、自分は何をしたいのか判断できません。こういった人は指示をだすと素晴らしく能力を発揮する可能性があります。しかし、支配されていることに慣れすぎているために、指示がないととても不安になります。
自己判断ができない人が何かに悩むと、すぐにインターネットの情報に頼る傾向があります。脳内にある構図が「わたし=できない」と強固なものになっているため、自分の判断に自信がないのです。誰かに「あなたはこうですよ」と言われた方が安心するのです。だからとても騙されやすい傾向にあります。
②支配的な指導者になる
支配的な指導によって“成果“を出すと、それが「成功体験」となり正当化されます。「この指導方法が正しい」と思っている人が指導者になれば、同じような指導をするのは必然です。
また、心を支配されて育ってきた人が指導する立場になると、同じように支配者になる可能性が高くなります。なぜなら他の指導方法を知らないからです。指導者でなくとも、「昔はこのくらい体罰にならなかったよね。」「悪いことをすれば平手打ちなんて当たり前だよ。」といった言葉が出るのは “他の方法“ を知らない証明でもあります。
じゃぁどうする?
この項目は次次回に公開予定です。「方法」にとらわれず「目標や目的」に合わせて指導をすると考えやすくなります。
最初に目標/目的を明確に確認します。
そして、怒りが込み上げてきそうになったら冷静に考えてください。
・なぜイライラしているのか。
・なぜ相手は自分の期待とは違うことをしたのか?
・相手を納得させるにはどうしたらいいのか?
・これからすることは、目標達成につながるのか?
・目標を達成させるために、その解決方法が最善か?他にはないのか?
スポーツチームを例に挙げます。
①目標を確認する
例)1年後の県大会で優勝して全国大会に出場する
②今行っていることを繰り返すことが目標達成につながっているか?
②今行っていること全てが目標達成につながっているか?
例)まじめに練習に取り組まないメンバーがいる。
感情的に怒鳴ることで問題は解決するのか?
感情的に優しく言うことで問題は解決するのか?
そもそもどうしてまじめに取り組まないのか?何か理由があるのか?
例)食事
食事を細かくチェックすることで何が起こるのか?
それは目標達成につながっているのか?
例)休養
休みなく練習し続けることで何が起こるか?
それは目標達成につながっているのか?
感情的に怒鳴ったり叱ったりするのは、自分の思考力が足りていないと思ってください。一度止まって考える。そうすれば目標達成に大きく近づきます。
まとめ
最後まで読んでいただきありがとうございました。
少し長くなってしまいました。
私自身も以前は、き〜っ!となりがちで怒鳴り散らすことをしていました。自分が絶対正しいと思い込んでいたのと、感情のコントロールができなかったからです。脳の仕組みを学びそれが間違っていたことがわかり反省しました。
イライラすることがほとんどなくなり、とても楽になりました。
「怒る」と言う感情はとてもエネルギーを使い、とても疲れます。穏やかに過ごせた方がずっと楽な人生を送れます。それでもイライラしたり、叱らないといけない場面はあります。どんな立場だったとしても、感情をコントロールして、人生の中で怒鳴り散らす回数減らせると豊かな人生を送ることができると思います。まずは考えてみる、それが第一歩だと思います。
⭐️⭐️💫💫💫⭐️⭐️
株式会社りとるジム
www.littlegym.jp
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?