映画日記『LAMB ラム』
自分勝手な感想及び考察ですがネタバレを含みます
あんなに何もないところ、ばーんと山と空だけがものすごい美しさであるところに、家族だけで暮らしていたら、多少おかしなものであっても、わりとあっさり「うん、受け容れよう」となる気がする。
それに、異形のものといってもそんなに怖くも気持ち悪くもない。私はもっと、日野日出志的なものや、TOCANAの超閲覧注意、みたいなものを想像していた。なんだ、普通にかわいいじゃないの。
終始言葉を話すことはできず、吐息のような息遣いしか発しないところや、若干「なりそこない」みたいな体であることは少々不気味だけど。全体的には「少しおとなしい子ども」となんら変わらない。
この夫婦には悲しい過去があるから、この「子羊」はそれを書き換えるための、神の采配によるタイムマシンだったのだろう。
時間旅行で過去に戻るのではなく(最初のほうにそういう会話が出てくる)、やり直したいものが実体化して現れた…そんな感じだ。だがその奇跡を自分たちのものにするためには、ずいぶんと傲慢なやり方もする。
産みの母がしつこく取り戻しに来るのを、まるでうるさい虫を殺すが如く追い払う。なんの躊躇もなく。
そういうところに和辻哲郎いうところの「牧場型」のヨーロッパ的自然観がごく当たり前のものとして刻まれているように感じて、興味深い。
日本の民話にも、子どものいない夫婦に不思議な赤ちゃんがもたらされる話は多々あるけど、もしその型に当てはめるなら、「子羊をお母さんに返しました。そして、羊の神さまからたくさんの宝物をもらって幸せに暮らしましたとさ」みたくなるのかもしれない。
もちろんそれは「風土」による違いであるから、どちらが良い悪いということではない。その差を考えながら観ると、なるほどと思うところがたくさんあった。
そうすると、最後に出てくる、村上春樹的なものとはまるで違う羊男はなんなのか。
子羊を人間の子ども同様に、世話をし、可愛がってきたことをまるで嘲笑うかのような見た目である。そんなふうにしたって結局はモンスターなんだよ、ということなのだろうか。
長い歴史の中で、人間が管理し飼い慣らしてきた自然による逆襲?だったら、あそこで銃というのも腑に落ちる。けど、そうするとヴィジュアルとの釣り合いがとれない。
唐突に現れたワイルドなスナイパー、って感じ。
まるで連れ去られる子羊の困惑が伝染したかのように、えっ?となってしまった。
私はてっきり、このあと夫婦のあいだに本物の人間の子どもが産まれて、そのあとどうにかなっていくのだとばかり思っていた。
でもそういう説明がつかないところも、自然の不条理といえばそんなものかもしれない。
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