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#17 忘れたほうがいいことだってあるんだよ。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

過去からは逃れられない。

こんな経験はないだろうか。

ふっとした瞬間に何か失敗した時の記憶がよみがえってしまい、この場から消えたくなるような、枕に顔を埋めながら大声を出してしまいたくなるような、そんな気持になることが。

これは心理学用語としては、フラッシュバックと言うものである。

フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つである。

要するに、過去に受けたストレスが突然甦ってきて、また新たなストレスとして繰り返す。とそんな具合である。

過去は変える事が出来ない。残念ながらこれが真実である。大事なのは、そうであるからこそ、そうであっても、この後どうしていくべきか。であると思う。

そうはいっても、なかなか前を向くのは難しい。そもそもフラッシュバックするほどの強いストレスを受けるという事は、その事象に対して自分自身がそれを「重大な事」として捕らえてしまっているのである。そしてそれは、強く心に、記憶に残ってしまう。忘れてしまいたい過去こそ、忘れられない物になっているのである。

「人生100年時代」と世の中では言われている。

もし僕らが100歳まで生きるとしたら、この忘れられないような過去、フラッシュバックしては僕らを悩ませるような過去は、一体いくつ出来てしまうのだろうか。長く生きれば生きるほど、この忌々しい記憶は増えていってしまうのだろうか。

なかなか早めに死なせてはくれない世の中であると言える現在。その長生きの先には、ゾッとするような未来が待っているのだろうか。

F先生は読者に、こんなメッセージを残してくれていた。

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キテレツ大百科 藤子・F・不二雄大全集2掲載「わすれん帽」からの1コマ。

デートの日に、寝坊して慌てたためにメガネを忘れて出て来てしまった勉三さん。目が良く見えないばかりにガールフレンドの君子さんと別の女の人を勘違いしてしまう。その場面を運悪く君子さんに見られてしまい、勉三さんと君子さんは喧嘩別れになってしまったという。何とか誤解を解こうとする勉三さんに、君子さんは取り付く島も与えない。思いつめた勉三さんは、そもそも君子さんのような綺麗な人と付き合うのが無理があったが、自分はどうしても君子さんを忘れられないと、君子さんに関わる記憶を消してほしいとキテレツに依頼する。それを受けて「わすれん帽」を作るキテレツに「物忘れの機械なんておかしな発明ナリ」と疑問を呈するコロ助。そうでもないさ、とキテレツが言ったのが、この1コマである。

キテレツの表情を見ていただきたい。

微笑んでいるけれど、それだけじゃない。かといって憐れんでいるだけでもない。たぶんこれは、「慈しみ」とか「慈悲」とかそういうたぐいの顔である。悲しみを知っている人の顔であり、その眼差しである。キテレツこと、木手英一は小学5年生である。この表情は10歳とか11歳するの顔ではない。

つまりキテレツと言うキャラクターを通して、F先生がしている慈愛の表情なのだろうと考える。この「わすれん帽」が掲載されたのは、1976年である。この時F先生は、42、3歳であった。

40歳を超えた大人にとって、忘れたい事なんて1つや2つではない。のではなかろうか。筆者は30代半ばであるが、もうすでに数え切れないほどの忘れたい事があるような気がする。皆さんも、そうではないだろうか。

F先生の恋愛譚については、A先生の「まんが道」を読むと垣間見る事が出来る。A先生視点ではある物の、お二人が美少女に恋をしながらも「まんが」の為に、邪念を振り払う(時に振り回される)様は、おそらく非モテ達からの共感を大いに集めただろう。筆者も当然そうである。

とまぁ、本当かどうかはわからないがA先生もF先生も若かりし頃は夢に向かって走っていたので、女のコとの縁は薄かったのだ。

と考えれば、今回の勉三さんの優遇ぶりには、少し目を見張るものがある。大学浪人を6年間していたって、美人の彼女が出来るのだ。何かそのF先生の願望の表れなのだろうか。ダメな身分でも受け入れてくれるような美人が現れるというのは。

と少し話がそれたが、キテレツはそんな勉三さんのために、忘れる為の道具作りをしているのだ、恋愛の傷は忘れるしかないと言わんばかりの表情で。

小学五年生のころ、筆者は何をしていたかさえ思い出せない。雲泥の差がキテレツと筆者にはあるようだ。

さて、台詞を見ていただきたい。

忘れたほうがいいことだってあるんだよ。いやなことはさっぱり忘れて、明るく暮らすことだ。

是非、実際に口に出して言っていただきたい。まるで自分に言い聞かせるているかのように、聞こえてこないだろうか。

さっぱり忘れてしまう事が出来たら、確かに明るく暮らすことができるだろう。しかし、それが出来ないからクヨクヨと後悔しては、フラッシュバックによって心をすり減らしてしまう。

しかし、それでも生きて行かなくてはならない。辛い、恥ずかしい過去も忘れないで生きて行かなくてはならないのだ。

キテレツの表情と、この台詞を見た時、このコマには過去を受け入れて前を向こうとする人の直向さが表現されているのではないだろうかと感じた。

そして最後に、コロ助を見ていただきたい。

「そんなものナリかね」とでも言わんばかりの表情。「ワガハイには理解できないナリ」でも良いかもしれない。聞いてはいるけど理解していないであろう表情である。そして大きくトンカチを振りかぶっている。聞いておきながら、もう作業に移っているのだ。

設定上、コロ助の精神年齢は保育園児なみとかなり幼い。だから、彼には理解できないのだろうと推測する。

そしてこの対比こそが、内容に重みが増している要因であると見る。

見事である。

何気ない1コマに秘められたテクニック、そして思いが光っている。このコマだけでどれだけの要素があるのか、と舌を巻く程である。

マンガの世界では、1コマには1つの話題にした方が分かり易くなる為、読みやすくなる。という基本形があると聞いた事がある。F先生の作品は、どれも驚くほどに読みやすい。それはおそらくこういった事を意識的に行い、書きたい事を引き算していって洗練させるからなのだろうと思う。

コロ助は、この表情だけですべてを語っていると言える。もはやセリフは必要ないのだ。しかし、なんと雄弁で饒舌なのだろう。

さて「わすれん帽」は「人には忘れたい過去がある」という観点で見れば、とても人道的な道具なのかも知れない。

キテレツ斎さまが、どのような経緯でこういった物を作ったのかは全くわからないが、いつの時代も死別や別離などの悲しみは必ず付きまとい、それはいつの時代にも忘れたい事だったかもしれない。

どのような思いで道具を作り、そして使うか。と言う事がこのエピソードには託されているのかも知れない。

勉三さんはすっかり君子さんの事を忘れてしまったが、同じように勉三さんの事を忘れてしまった君子さんが、犬に襲われているところを助けたため、2人はまた恋に落ちた。

忘れてしまいたい過去よりも、忘れてしまった過去よりも、今ある恋の力の方が勝るという事なのだ。

僕たちには「わすれん帽」はないけれど失敗しても、やり直せばいい。気持ちがあれば、また出来るのだ。その時には、前の事は忘れてしまったかのように、気持ちを新たにすればいいのだ。

思い出したくもない過去を忘れられなくても、いいのだ。前を向けるのだ。

だから、キテレツとのび太がいとこであるというデマ(海賊版設定)を信じていた頃があったって、ワガハイは全然平気ナリよ。

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