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#49 力には力だ。話し合おうと思っても天上人とつりあうだけこっちも強くしないと相手にされないだろ。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

戦争は、武器を使ってやる外交であり、外交は、武器を使わないでやる戦争である。

 日本の歴史作家 塩野七生

同じテーブルを囲う。とか、同じテーブルにつく。という言葉がある。

互いに立場や所属の違いがある人同士が、一つの同じテーブルを囲うように座って話し合いをするという情景が浮かんでくる。

その立場や所属の違いは対立を孕んでいるかも知れず、その主張も相容れない可能性がある。しかし両者は同じテーブルについて、その議題について話し合うという姿勢を見せている。

少なくとも、その対立しているかも知れない部分や、合意に至るかも知れない部分を明らかにしようと、そうしている訳だ。

ごく普通の事でもある。ビジネスでも打ち合わせをしたり、友人や家族間でも同じテーブルについて話し合う事は一般的だし、出来ればそうあるべきである。

だが、ある渉外では、自分の抱える大きな課題をクリアしてからではないと、このテーブルにつく事すら難しい時があるようである。

「テーブルについた時点で、負け」または、その可能性がある。と言う状況が起こり得る渉外がある。そんな一面があるのが、外交である。

外交(がいこう)
外交には、対外「政策」を決定する面と、決定された政策を相手国との「交渉」によって実現する面との両面がある。』とされている。そして「外交とは両面の統一である。

wikipedia 「外交」

わかりにくい、どうも上の定義はやや難しい気がするので噛み砕いてみる。

外交とは 噛み砕き版
①「外国に対してぁーしらは、こういう方向性で行くかんね!ま、わっかんないけどぉ」と言う事を決める

②「ぁーしらはぁんたら外国に対してこういう政策で行きたいって決めてんよね、だからみんなもヨロシクね。ぇ?ぁーしらだけいい思いしてんじゃないかって?そこは妥協点見つけてさ、ウィンウィンとかギブアンドテイクで、いきまっしょい。だって、ぁーしらはズッ友っしょ!ぁ、でも譲れないところは譲れないょ!」という交渉

出典などありません

なんか違うかも知れないが、この①と②のどちらもが含まれているという事である。

要するに、諸外国に対して自分はどうするかを決めて、そうなるように、またはそれに近しくなるように交渉していく。のが外交という事だ。(この文章だけでよかったんじゃないだろうか)

この外交をする上で、どうしても重要になってくるのが、国家間のヒエラルキーだ。

ヒエラルキーとは階層の事である。下の図を見て欲しい。

こんな感じの階層の事をヒエラルキーと言います

上に行くほど強くて、下に行くほど弱い。この強い弱いというのは、国家間の場合、経済力、影響力、人口、文化、世界への貢献度や、武力という事になる。

なぜこのヒエラルキーが重要かと言うと、たとえ同じテーブルについても、「神」と「マジでザコ」では、文字通り話にならないのである。

ぇ?神はザコにも平等だろって?そうかもしれないが、今は、ぁーしの話をきけっつーの。・・・と言うのは実は冗談でもない。なぜならば、世界は平等や公平を謳っているからである。

アチコチで全ての人は平等であり、等しい権利を持っていると。残念ながら、社会にはヒエラルキーがあるという事は、そうではない事の証明でもある。

例えば、国々を先進国と発展途上国とカテゴリー分けするのは、ヒエラルキー形成以外の何物でもない。だが、世界を客観視すればするほど、階層がある事を否定できない。平等や公平などと、いくらキレイごとを並べても、そこに確かにあるのがヒエラルキーだと言ってももはや過言ではない。

誤解してほしくないのだが、世の中に存在する事柄を否定したくてこの文章を書いている訳では無い。それは、そういうものだとしか言いようがない。個人的な見解を言うとすれば、中道で立ち止まり、上下左右を見てただポツネンとしているだけなのである。

世の中に確かにあるヒエラルキーの中、自分が下の階層の立場になった時、一体どのように外交していけばいいのだろうか。損得を越えて平和的に交渉のテーブルにつけるだろうか、それとも・・・?

このコマを見て欲しい。

てんとう虫コミックス 大長編ドラえもん12「ドラえもん のび太と雲の王国」 P164

環境破壊を辞めようとしない地球上の文明を、大雨と洪水によって洗い流し、環境汚染を止めようとする天上人の「ノア計画」。それを知ったドラえもんが、何とか辞めさせたいと出したのが、天上王国の地面の様に固まった雲を破壊してしまう「雲もどしガス」である。そんな危険な物を使用するのを断固反対するのび太に対し、これはあくまでもノア計画実行への切り札であり、いわば「抑止力」である事を説明するドラえもん。そして、そんな危険な抑止力を持たねばならない理由を説明するコマである。

あまりにも不利な条件かつ、人知を越えた技術でもって、自分たちの文明を洗い流されてしまうのを、一方的に決められてしまっていることからも天上人に対して、ドラえもん達地上人がヒエラルキー的に下の階層にいるという事がわかる。

そんな圧倒的な天上人を、同じテーブルにつかせて交渉するために「雲もどしガス」を出したのである。

では、このコマのセリフをそのまま起こしてみる。これは皆が愛してやまない名作漫画ドラえもんの、ドラえもんが言ったセリフだ。ぜひ今一度、向き合って欲しい。

「力には力だ。話し合おうと思っても天上人とつりあうだけこっちも強くしないと相手にされないだろ」

ハムラビ法典の一説宜しく、なんともパワーのあるセリフである。

ご存じの通り、大長編ドラえもん「雲の王国」という作品は、賛否の分かれる内容だ。全体的にエコ思想が強すぎるとか、ドラえもんの責任の取り方、自己犠牲についてとか、ノア計画を考えて実行しようとする天上人のエゴさとか、株式王国の概念とか、のび太の敷いた王政についてとか、密猟者の存在とか、天上世界での管理社会とか、天上人との交渉会議であるとか、まぁあげればいろいろある。そのため様々な感想があり、この辺から純粋な作品としては楽しめなくなったという声もあるほどだ。

ドラえもん本人は本当に使う気はなかったとしても、実際には、そうは思わない人達によって雲もどしガスは実行された。そして、ガスはよりによって雲の王国全土に対してエネルギーを送っていた「エネルギー州」を壊したのである。

個人的に、僕がこの雲の王国という作品から読み取ったのはただ一つである。それは、

「生き(生き続け)ると言うのは、キレイごとでは済まされないんだぞ。」

である。

物語としては何となくハッピーエンドになる。

しかし、そこに一旦ドラえもんの活動停止という犠牲があった事。地上を守るためには、天上人を止め最終的には追い出すしかなかったという事。天上世界を守るためには、地上文明を洗い流すしかないとするぐらいに追い詰めれていた事。乱獲によって絶滅する動物は、自然淘汰ではないとはいえ、弱肉強食の世界という意味では結果的に絶滅せざる得なかったのかも知れないという事。もしかしたら、密猟者は密猟で生計を立てていたのかも知れない事。

そういった見方をしていくと、常にすべての選択に、相反する代償が存在するのである。ここもキレイごとでは無いのだ。

雲の王国のエネルギー州が壊れたのは偶然かも知れないが、エネルギー州を失った天上人は、もはや地球では生きていけない。描かれていないが、エネルギーが枯渇したことによって失われた命もあったのではないだろうか。

どういうことかと言うと、今、世界から電気が一切なくなったと考えて欲しい。大混乱どころではない、もしかしたら本当に命や文明の危機かも知れない。そんな状況を雲もどしガスは作ったのだ。

最終的に天上人は植物星へと移住していく訳だが、エネルギーという自分たちの生活の基盤を壊した地上人と、もはや一緒に暮らせないのは心情的にも当たり前なのではないだろうか。

我々は生きるためには、エネルギーを必要とする(Aとする)。残念ながら今のところエネルギーの為には、環境を破壊しなくてはいけない(Bとする)。昨今ではクリーンなエネルギーという物も存在しつつあるが、それを作るための機械を作る為にはより多くのエネルギーがいる。

A=B、B=Cであるとき、A=Cであるとする場合。

要するに、我々が生きるためには環境を破壊しなくてはいけない(C)。という事だ。いろいろな見解があると思うし、是々非々ではないのだが、あえて言うと、この場合のA≠Cはキレイごとである。なんかもう、嘘つくなと言いたい。

「環境を大事にしよう!というメッセージが強すぎる」という人がいるこの雲の王国という作品だが、僕の視点は違う。環境保護のメッセージこそカムフラージュなのである。

ここにあるのは、世界は外交と戦争の上に、生きている。という事なのではないだろうか。キレイごとではないのだ。

結局のところ、地上人対天上人の外交は戦争という形を持って、天上人の生活基盤(エネルギー州)を破壊したので地上人は勝った。という事になってしまうのではないだろうか。その後、移民(追放)という形を持って天上人との戦後交渉も終わったのである。但し、環境がキレイになったら戻ってくるという言葉を残して。

本当に、遺恨など無いのだろうか。

植物星の連中も割と過激思想で、知性の無い植物を守る行動はしても、その他の生物についてはあまり関心が無いようにも見えた。それはさらばキー棒を読めばわかる。天上人は、さらなる難しい外交を必要とするだろう。

別に戦争賛美でも、戦争肯定でもない。雲の王国とはそういう物語であって、地上人による環境破壊は、天上人との戦争のキッカケに過ぎなかったと言いたい。

逆を言えば、そういう環境破壊でさえ戦争のキッカケにも成り得る。とも言える。環境破壊のヒエラルキーが存在すると考えればいい。環境保護のヒエラルキーもあるだろう。

実は、世界のヒエラルキーの数は増え続けていて、その形や順序も変わり続けている。そんな膨大な数のヒエラルキー毎で戦争が行われるのかも知れない。

この世界で生き続けるためには、交渉し続けなくてならない。このグローバリズムの中では、外交なしには何も出来ない。

そんな人類の歴史や生きる事の本質を雲の王国というSFに落とし込んで、物語にしたF先生が、「エコ」を伝えたい訳がないのである。それはその断片でしかない、僕は勝手にそう思っている。

我々も外交、この場合、他人との関係なしには生きていけない。だから願わくば、ぁーしとぁんたらの外交がうまくいって、ズッ友でいられますよーに。

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