虐待のニュースに私が思うこと。
連日、虐待のニュースが流れていました。
幼い命、救いたかった命。被害者の女の子を思うと、胸が押しつぶされそうになります。
私も、虐待被害者です。今回の被害者の女の子の状況とは異なりますが、逃げだせない環境、助けを求められないつらさ、怖さ、諦め。それは今でも夢に見ます。
虐待の事件のあとに、たびたび、「虐待した人は、したことと同じことをされたらいいのに」ということを耳にしました。
被害者のことを思うと、憤り、悲しさが生まれるのは至極当然のことですし、私自身悲しさや憤りを感じないわけではありません。
ただ、本質を考えていったときに、この言葉についても少し考えさせられます。
虐待をした人はもしかしたら既にしたことと同じこと(もしくはそれと同等のこと)をされていた、という可能性はないでしょうか。
虐待の連鎖、というのは本当に根深くて恐ろしくて、その人がどんな思いをしていたのかは、誰にも想像がつきません。
もちろん、被害者の方だって、どれ程辛い思いをしていたかは想像以上なのだと思います。決して、加害者がしたことを肯定しているわけではなく、許されることではないと思っています。
ただ、機能不全家庭、虐待の連鎖、と考えたときに加害者は果たして最初から加害者だったのだろうか、と思うのです。
加害者が幼い頃、同じように虐待をされていたという可能性はないのだろうか、という視点も、本当に今回のような事件を減らすためには必要になってくると思います。そして、加害者にならないための資源や環境はあったのか、ということも。
加害者が幼い頃どうであったか。それは今、ビデオのように再生することはできません。
あるのは、小さな命が、奪われてしまったという事実で、それを悲しむのも憤るのも、すごく理解はできるのですが、根っこの根っこにある問題から目を背け続けては、今回のような事件はなくならないと思います。
人というのは心が穏やかなときに人に敵意を向けることはないと私は思っています。
人に敵意が向くときというのは、自分が満たされていないときか、自分の大切なものを傷つけられたときか、だと思うのです。
今回のような事件の時に必要なのは、同じ思いをさせることではなくて、もっと根本的な部分のように思います。
根本的な問題から目をそらさずに、いかに解決していくかを考えること。
それこそが、今回のような悲しい事件を減らす方法だと、私は思っています。