物語のはじまり『千代女』
女は、やっぱり、駄目なものなのね。女のうちでも、私という女ひとりが、だめなのかも知れませんけれども、つくづく私は、自分を駄目だと思います。
そう言いながらも、また、心の隅で、それでもどこか一ついいところがあるのだと、自分をたのみにしている頑固なものが、根づよく黒く、わだかまって居るような気がして、いよいよ自分が、わからなくなります
『千代女』太宰治
自己肯定感の低い女性の一人語りではじまる。
「自分を駄目」だと決めつける女の物語。
なにがそんなにだめなの?と聞きたくなるような
彼女の身に何があったんだろうかと「心配」
もしくは「めんどくさい女」だという印象から
スタートする『千代女』
ダメなわたしとそんな自分でもいいところはある。
そう信じたいわたしと。
って言うこのはじまりがすごくしっくりくる。
認められない自分と認めたい自分。
矛盾に見える感情を常に抱いている感じ。
しかもその感覚の表現方法が独特で
私は、いま、自分の頭に錆びた鍋でも被っているような、とっても重くるしい、やり切れないものを感じて居ります。私は、きっと、頭が悪いのです。本当に、頭が悪いのです。
「錆びた鍋でも被っているような」という
表現方法が、すごく好きだったりする。
ただの鍋じゃなくて、綺麗な鍋ではなくて
以前はたくさん使ったけど、しばらく放置されて
「錆び」ている鍋というのがこの主人公を
より際立たせるような表現。
作品の書き出しはするめみたいに
噛めば噛むほど味が出てくる。
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