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noteを書く

初めまして。大学院で物理学を専攻しています、びぐです。
ビーグルが好きなもので。

気づけば高校時代の友人は一人残らずと言っていいほど就職し、そんな彼らと結婚式などで顔を合わせることも増えてきました。そして自分の身の上や、研究に至った経緯などを説明することも。
「—物事の成り立ちや仕組みを少数の原理から説明出来たら、その原理や体系そのものに世界の本質的な姿が立ち上ってくるような気がして。」
そうしていくうちに、なんだか自分に嘘をついているような、そんな気がしてきました。
というのも、よくありがちな、「幼い頃から自然に興味津々、星空は何時間でも眺められ、図書館で図鑑に熱中」といった幼少期とは無縁であるばかりか、高校時代も特に物理には興味が持てず、一番の苦手科目と言って良いくらいでした。

そんな自分が物理学を専攻したのは、就職のために学部を選ぶことへの違和感があったのと、その頃耳学問程度に知っていた相対論と量子論の体系になんとなくのかっこよさと憧れのようなものを感じたからでした。

実際に研究に従事してみて分かったのは、日々の研究活動の大半、および毎日投稿される論文の殆どは地道な仕事であって、かつて感じた理論への憧憬を掻き立てるようなものではないということです。
研究と勉強とは違う、とよく言われることの一側面ですね。当時の自分もそんなことは百も承知、と言っていたような気がしますが、頭じゃ分かっていても心が追いついていなかったんだと思います。

じゃあ研究なんかやめちまえばいいじゃないかということになるわけですが、そうは行かないのが僕の性。これがnoteを始めた理由にも繋がります。

先ほども書いた通り、自分が物理学を専攻したのは、いささか後ろめたい理由からでした。やりたいことがわからず、なんとなく尊大で高尚なものに憧れを抱いただけのようなもの。ついでに言うと、勉強が比較的得意で、そのことで賞賛を浴びることが気持ちよかったと言うのもあると思います。

そんな自分が、実際の研究活動とそのような憧れとのズレを認識したからと言って、すぐに他に舵を切れるわけがなかったのです。舵を切る先がわからない。

思えばこれまでの人生、自ら何かを好きになったり、そしてその好きという感情を表現したりしてこなかったと思います。他人の受け売りで音楽を好きになり、誰かが良いと言ったものにしか目を向けず、良さがわからずともわかるふりをしていたこともしばしば。
おまけに自ら考えるということもしてこなかった。学校の勉強はまず初めに答えをみて、なんとなくのパターンを(非論理的に)掴んで、なんとなく解けてしまう。そんな学生でした。まるで劣化版生成AI。
そんな性分だから、地に足つけて論理的に物を考え、意味をきちんと想像するようになったのはつい最近のことです。いまだに覚束なく、気を抜くとかつての思考停止、autopilot状態に戻ってしまいます。研究者失格ですね。

noteを始めたのは、そんな自分が今一度自分の心を解き放ち、心の声を聴き、身を委ね、表現するためです。
日々のどんな些細なことでも、自ら感じ、自ら考え、判断を下すと言うことを意識的にやってみようと思ったからです。

差し当たっては日々の研究に彩りを与えるため。
ゆくゆくは人生の重要な局面を前向きな気持ちで決断していけるように。

このnoteでは、自分の思ったことや好きなことを雑多に記していこうと思います。
好きな食べ物。好きな本。好きな音楽。…
普段の自分はこれらを聞かれても口ごもってしまいます。
本当に好きかどうか、わからないからです。そしてそれによって、誤った自分の像が規定されてしまうような、恐怖があるからです(これはまた別の問題かもしれませんが、、)。
少なくとも、どうにかして自分の好きを自信を持って表現できるようになりたい。

自分の研究テーマの些細な側面にも、「こんなのは本質じゃない」と冷笑的な態度を取るのではなく、そのうちに潜む旨みを味わっていけたらいいなと思います。もちろん、自然の本質に触れることは今でも大好きです、笑。今になっては、そのような納得感を得るには、物理学ではなくて哲学を選ぶべきだったのかなぁと思うところもありつつ。これについてはまた後日書こうと思います。

長くなってしまったので、この辺りにしておきます。
続くと良いなぁ。


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