時代と料理
今回は時代と料理についてです。
現在、私は海外の新規和食店オープンの準備をしています。また、国内ではリゾート施設において、あるコンセプトのレシピや料理人のトレーニングをしています。過去には都内で小料理屋を14年間経営してきました。そんな一昔前に分類される私の立ち位置からこれからの時代に求められる仕事観と料理について書いていきたいと思います。
これからの時代に求められる料理と仕事観
私が10代の頃は人生70年でした。一昔前の価値観は「人生太く、短く、」「人生は何を成し遂げたかが重要である」「他人様に迷惑を掛けるような生き方はしてはいけない」などなど、年配の人によく言われて育った記憶があります。
戦後からの高度経済成長ですから長生きするのは難しいですし、全てがブルーオーシャンであれば努力して何か物を残す事に意義を感じるのも理解出来ます。戦後のカオスを想像するに他人に迷惑を掛けても自分が生き延びる為にはしょうがないという現実があったんだろうなあとも想像します。
今の10代、20代前半の人にはこれらの台詞を聞いてもピンとこないのでは?と思います。言いたい事は分かるけど自分の人生に置き換えるとズレてるように感じると思います。
これを料理業界に例えると、「法人接待」「一流のお店には一流の客が集まる」「取材拒否のお店」、こんな感じでしょうか、
残業代のつかない法人接待は理解できないでしょうし、お店側に品定めされるのは・・・。写真撮っちゃ駄目なら行かない。という感じかなあと。
私の修業した時代では、お客様が料理屋を選ぶ時の判断基準は「美味しい」という絶対軸の主観があり、その下に「値段が良心的」「使い勝手が良い」「食べたことがない物が食べられる」などのいくつかの項目があるように思います。
現在ではお店を選ぶ判断基準は「見た目」が軸となりその下に「コストパフォーマンス」「好きな味」「自分にとって都合の良い店」などがあるように感じます。
この話は善し悪しの話ではありません。なぜこのように私が感じるか、あくまで主観になりますが副腎疲労を経験した上でいくつか説明させて頂きます。
都市化と料理の関係性
都市化と料理には関係性があると思います。なぜ「見た目」に判断基準が変わったのか私見を書かせて頂きます。
ソーシャルメディア
味は言語化が難しいが視覚からの情報は他者に伝えやすい
視覚からの情報の方が脳にとってインパクトがあるらしい
同じ料理を13回ぐらい食べると脳が味を記憶し、同系統の映像を見ただけで唾液が分泌されるらしい
都市化が進めば進むほど副腎疲労になりやすい環境になります。例えば座っている時間が長く運動不足。空調が効いた空間の為に汗をかく習慣が無い。屋内が多く日光に当たらない。便利な外食が多い。など他にも多数あります。これまでの投稿でもお伝えしたように副腎疲労は呼吸器系に影響が出ます。呼吸器系に炎症が起きると香辛料などの強い香りはわかっても良い食材からでる風味が分からなくなり評価出来なくなります。そうなると料理人は「引き算」ではなく「足し算」で戦うしかなく、いろんな食材など足した結果、演出や見た目が1番評価してもらいやすいので双方が「見た目」を求めるようになったと思います。ちなみに東京は味が濃いと言われますが、コロナで味覚が感じなくなるのと同じで鼻と舌の神経が近い為に炎症があると味覚も鈍くなるらしいです。
おわりに
これからの低価格料理は、経費削減の為に既製品(~のタレ)をアレンジし、デザインなどの見た目で勝負するお店がほとんどになるはずです。。結果、違うものを食べてはいるけど後味や余韻は同じに感じるでしょう。私の感覚の話になりますが、1回目に安くて美味しく感じるお店を見つけたらすぐに2回目食べに行きます。2回目でも1回目と同様の感動があればその料理は素材の良さを活かす調理法で仕上げていると思います。そうではなく2回目食べて飽きが来たり喉がイガイガすれば過度な味付けや味の素など添加物で美味しさを偽装している可能性があります。味の素に関しては1500円以下の単価ならばごく僅か少量使うのは必要悪だと思います。ですが食後喉に違和感を感じる量を使っている場合は料理人の感覚を疑った方が良いと思います。自分の感覚を保つためには毎日1~2回の鼻洗浄がお勧めです。私の場合はこれをしないとパニック発作が必ず出てしまいます。是非皆さんにもお勧めです。
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