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妻と歩んだ日23〜結婚・不妊治療・死産〜


時はだいぶ遡って
2010年2月

妻と入籍する。
お互い28歳。

1年間は2人で遊んで、来年から子どもの事を考える。
そう話してた。

2011年
子どもが出来るとしばらく旅行に行けないから、たくさん旅行に行った。

2012年
なかなか子どもが出来ない。
不妊治療を開始。
行ける範囲でなるべく一緒に行く…
病院は肩身とトイレが狭かった…
なかなか出来ない焦りとなかなかの出費でストレス…

ストレス解消に2人でジムに行くように。

2013年春
運動とストレス発散が功を奏したのか、子どもを授かる。
早く産まれて欲しいな。
2人で名前候補を考える

2013年夏
少しずつ膨らみ始めたお腹をさする。
妻のお腹越しに蹴りを感じた時は感動した。
早く会いたい。

2013年秋
安定期に入った直後。
妻から電話。
一言…
赤ちゃんダメだった…

急いで病院へ…

医者から説明…

もし、次の子どもを考えるなら、切開せずに薬を使っての自然分娩を勧められる…

その時も、特別に処置が終わる数日間、病室に泊まらせてくれた。

治療は子宮口を数日掛けて、少しずつ広げる処置から…

病室に居ても処置中の妻の泣き声が聞こえる…

地獄のような時間…

そして、最後やっと薬を使って分娩…

カーテン越しなら立ち会えるけどどうするか?と聞かれる…

もちろん、立ち会う。

こんな痛く辛い思いしても、元気な赤ちゃんに会うことは無い…

カーテン越しに妻の泣き声を聞きながら、自分の無力さを噛み締めるだけの悲しい時間…



そして、静かになる…


産声もなく、ただ妻の嗚咽だけが聞こえて来て、この出産が終わったのだと知った…

自分の手が開かない…
無意識に力いっぱい握っていたのか…
掌に爪で出来た傷…
痛みなんか感じない…

翌日、胎児用の棺桶に入れられて、初めて赤ちゃんと対面…

小さいな…けど、しっかり赤ちゃんだった。
男の子だったんだな…

出生届も無く、戸籍にも載らないけど、死産届を書かなければならない…

書くところは少ないのに、手が震えて全然書けない…

その夜、数日ぶりに家で寝た…

妻はもう少し入院…

その日の晩、1人っきりで号泣した…
それまで我慢していたけど、もう無理だった…

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