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映画 PIGGY ピギー 感想

公開日: 2022年10月14日 (スペイン)
監督: カーロータ・マルティネス・ペレーダ
出演:ラウラ・ガラン

2018年のショートフィルム”CERDITA”を長編化したもの。ショートフィルムはYoutubeでも見られます。鑑賞するか迷っている方はこっちを先に見てみるといいかも!

日本公開は9/22ということで、公開初日に新宿武蔵野館にいってきました。今年はパールやダッシュカム等、女の子が主人公の良作ホラーが多くてとても嬉しいです。

この映画の物語はホラーではありません。ホラーの手法で撮影されたグロテスクなビルドゥングスロマンといった感じでした。

見ようか迷っていて、グロさや怖さを知りたい方のためにまとめると
●ゴアや拷問の描写は、さほどありません
●血は少しでます
●直接的な性的虐待表現はありません
●田舎の閉塞的な社会で、容姿の悪口を言われ続ける精神的にかなりキツいシーンがあります
●暴力描写ありますが、暴力自体はさほどキツくありません
総じて、描写自体はさほど過激ではないけれど、状況と社会が過酷すぎて心にはかなりキツかったです。キツいけど、主人公のサラがたまらなく愛しくて、苦しい映画でした。

以下は映画「PIGGY ピギー」のネタバレに触れる文章になるため、これから鑑賞予定の方はブラウザバック推奨です。

サラ、普通に綺麗なんだけど、”普通に綺麗”とかそういう言葉自体を拒否する映画でした

同世代の者たちからは豚と呼ばれいじめられ、親からは強烈な支配を受け、社会からの承認が得られずおどおどしているサラ。隠れられる場所が布団の中だけという最悪な街での最悪なプールの帰り、自分をいじめたクラウが血まみれで拉致されかけているのを発見します。
しかも犯人は割とイケメンでセクシーな男。”わたしは黙っているよ”とアイコンタクトをしてバスタオルを受け取ります。ここまでがショートフィルムの中身。

“もう子豚とは呼ばせない”というのが日本版ポスターのキャッチコピーでした。このコピーを見て、映画前半部(ショートフィルム部分)までを映画館で見たとき「ああ、この映画は、サラ(=”太った女性や虐げられた女性たち”)による復讐もしくは革命の物語なんだな」と思いましたし、当然、その革命と復讐には”太っていても美しい”というセルフラブ(もしくは誰かからのラブ)も含まれているんだろうなと期待しました。

わたしは、サラが自分を豚と呼んだ人間を皆殺しにすることを望んだし、彼女を”助けにきた”謎のセクシー殺人鬼とお互いを認め合いこれまで得られなかった承認を得て、はみ出し者同士で幸せに暮らしていくのかなと思っていました。

サラは社会の中で居場所を失っていく、というより最初からない。そんななかで唯一自分を認めたのは殺人鬼です。序盤で若者たちの間で語られていた祭りの花火の中、殺人鬼とキスする5秒前という謎の状況に、胸がチクチクと痛みときめきました。

はみ出し者でも誰かが理解してくれるし、自分が自分を愛せば幸せになれる・・・・・?は?

この映画では、サラが大きな自分の身体を愛する/愛せないということはほぼ語られません。
太った女性が主人公の映画の多くは、”これはわたし/わたしたちだ”的な連帯を押し付けて、鼓舞を求め、無理やりにポジティブなエンディングを迎えます。「そういうも、違うし、嫌なんだよ、みんな死んじゃえ」っていう感じの映画で、ものすごく良かったです。
わたし自身、サラになんとなく”排斥された女性”としての自分を重ねて、連帯を求めたことを明らかにされたみたいで、深く傷つきました。そう、わたしはサラじゃないのよ。

“太っていても”キレイだとか、幸せになれるとか、うるせえよ、誰も何も言ってないよ、という

最終的にサラは、自分を愛する努力も、自分を愛した人と暮らすことも、豚と呼んだ者たちを皆殺しにすることも選びません。社会からの承認がくじけても、社会を壊すことも作ることもせず、愛される形に変わることもせず、くじけた承認を”気にしない”というめちゃくちゃ現実的な選択をします。きつい!えぐい!シュガーコーティングしてよ!!皆殺しにして、、、。

わたしが抱いたご都合主義のリベンジやロマンスへの期待はすべて砕かれて、太陽に照らされた長い道路、町に帰るサラの背中を見守ることしかできない。なんて辛くて苦しく、美しいエンディングなんだろう。一生忘れない映画になりましたし、たぶんDVDを買います。


みんな、もうダイナソー・ファイターはみたかな?素手で恐竜倒す、インディペンデントカンフーSF映画だよ🦕🦕🦕

最後まで読んでくれてありがとう。これからも、suzukaの映画日記をご照覧ください。

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