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ローティが唱える「文化左翼」は、オタクで言うところの「ファッションオタク」。オタクはこれまでどんな扱いを受けてきたのかも知らずに社会的に認められた瞬間、「得になる属性」としてオタクを利用する。まあ。オタク程度なら問題はないがそのマインドが政治思想に変わるととんでもないことになる。
メモアプリの中にある批評の草案だけがどんどん溜まっていく。書くの面倒くさい。だってお金にはならないし、誰にも褒めてもらえないし、モチベーション0。それでも書かなければいけない。どうしようか。自己満足にも限界がある。それでもいつか書きます。お楽しみに。
「有料記事を買ってもらえないならあなたの記事に価値はない」というある編集者の呟きに「金や名声を気にした創作物を作品とは呼ばない。それは、'商品'と呼ぶのです。創作に携わる仕事が編集者だと思っていたけど、あなたはただの販売員じゃないですか?」と言い返したかったが我慢します。
「考察」vs「批評」論争について興味深かったのは、考察は批評するための手段なのにそれを理解せずに考察=批評と勘違いしてる人や考察と批評が同価値だと自己正当化したい人(考察厨)が思いの外多いのが顕在化したこと。いい歳して考察に止まっている人は批評や評論を読んで勉強しましょう。
改めて思うのがTVアニメの一般視聴者層は物語・作画・声優の三つにしか興味がなく、物語の外側の文脈(思想やテーマをもった脚本・思想やテーマを表現するための演出等)には全く興味がないんだな。と。そして、問題はそれらに興味のない人が次世代の作り手になるかもしれないということ。