新人。

映像表現への批評をしているつもりです。質問、疑問点など気軽にどうぞ。出来る限り返答致します。 嘘はつきたくないので、本音で記事を書いています。どうぞ宜しく。

新人。

映像表現への批評をしているつもりです。質問、疑問点など気軽にどうぞ。出来る限り返答致します。 嘘はつきたくないので、本音で記事を書いています。どうぞ宜しく。

最近の記事

  • 固定された記事

「聲の形」は障害を克服する物語ではなく、欠陥を受け入れる物語である。

2016年と2023年のアニメーション 『聲の形』は2016年に公開された、京都アニメーション制作の劇場作品だ。 また、2016年のほぼ同時期に新海誠監督の『君の名は。』が公開され、大ヒットを記録したことにより、残念ながら興行的に影を潜める結果となった作品でもある。 それについては、「見る目のない奴が多いな」等、言いたいことが多々あるが、そんなことよりもここで言いたいのは、2016年に起きた『君の名は。』の記録的な大ヒットと『聲の形』の小規模なヒットの差は何だったのか?が、

    • この記事を読んで不快に感じたあなたは一度、「絶望の谷」へ落ちるべき。

      本文に入る前にまず、このポストを読んで欲しい。 このポストは、所謂クリエイターに向けたメッセージとしていけみ ゆこ氏は投稿されたわけですが、「note」の利用者(主に見るだけでなく、記事を作る人)にも当てはまる内容だと思います。 というのも 記事作成プラットフォーム「note」には、ユーザー(noterと言うらしいですが)から作品を観た感想が日々、投稿されています。 そこで、考えてほしい問題が一つ。 「あなたは、あなたの文章を読む人のことを意識してその記事を書いていま

      • 評価経済社会下にある現在、SNS上でのマ―ケティングは必須である。それこそが損得の壁の正体。要は手っ取り早く換金するには、中身のない文章を書ける奴の方がプロの批評家よりも都合が良い。なぜなら中身のない文章しか読めない者がSNSでは多数派だから。多数派に媚びる=金になる。

        • 同感。「繊細な心理描写」のような抽象表現を感想の中で多用するのはその作品について深く考えられていない証拠。「どのシーンのどのセリフに」という具体例を添えないとどう感じたのかの結果だけ書いても読み手は筆者の感動を想像できない。つまり、読者の事を考えていない自己満足な文章になる。

        • 固定された記事

        「聲の形」は障害を克服する物語ではなく、欠陥を受け入れる物語である。

        • この記事を読んで不快に感じたあなたは一度、「絶望の谷」へ落ちるべき。

        • 評価経済社会下にある現在、SNS上でのマ―ケティングは必須である。それこそが損得の壁の正体。要は手っ取り早く換金するには、中身のない文章を書ける奴の方がプロの批評家よりも都合が良い。なぜなら中身のない文章しか読めない者がSNSでは多数派だから。多数派に媚びる=金になる。

        • 同感。「繊細な心理描写」のような抽象表現を感想の中で多用するのはその作品について深く考えられていない証拠。「どのシーンのどのセリフに」という具体例を添えないとどう感じたのかの結果だけ書いても読み手は筆者の感動を想像できない。つまり、読者の事を考えていない自己満足な文章になる。

          私がなぜ、「聲の形」や「アリスとテレスのまぼろし工場」を評価するのかというと作品の中で描かれた思想やテーマへの作り手の批評的な視点が施された演出に垣間見ることができるから。つまり「観客にこう見てほしい」ではなく「私はこう考えます」という創作者の意思に触れることが観る価値に繋がる。

          私がなぜ、「聲の形」や「アリスとテレスのまぼろし工場」を評価するのかというと作品の中で描かれた思想やテーマへの作り手の批評的な視点が施された演出に垣間見ることができるから。つまり「観客にこう見てほしい」ではなく「私はこう考えます」という創作者の意思に触れることが観る価値に繋がる。

          「ルックバック」はアニメの技術的側面と創作者故の孤独や葛藤を大衆にも理解できるレベルにまでジェネリックした上で物語を成立させたその娯楽性は優れていると思う。が、娯楽性と芸術性は両立できるというのが私の理想なのでそういう意味では物足りない部分が多かったというのが正直な評価です。

          「ルックバック」はアニメの技術的側面と創作者故の孤独や葛藤を大衆にも理解できるレベルにまでジェネリックした上で物語を成立させたその娯楽性は優れていると思う。が、娯楽性と芸術性は両立できるというのが私の理想なのでそういう意味では物足りない部分が多かったというのが正直な評価です。

          「ルックバック」に限った話ではないが「SNS上で盛り上がった作品を褒めない奴は非国民!」みたいな全体主義的思想に染まったアニメオタク達はかなり危険だと思う。差別や偏見を声高に批判しておいて、好きな作品にケチを付けられると相手を異端者のように扱う。その行為は差別や偏見ではないのか?

          「ルックバック」に限った話ではないが「SNS上で盛り上がった作品を褒めない奴は非国民!」みたいな全体主義的思想に染まったアニメオタク達はかなり危険だと思う。差別や偏見を声高に批判しておいて、好きな作品にケチを付けられると相手を異端者のように扱う。その行為は差別や偏見ではないのか?

          「ルックバック」という作品の良し悪しよりも受容のされ方に疑問を感じる。どんなに素晴らしい作品でも欠点は必ずあるので良い点だけを称賛するのではなく、クリティカル(批判的)に観る必要がある。例えば、「不審者云々のシーンやパラレルワールド的な展開は本当に必要だったのか?」とか。

          「ルックバック」という作品の良し悪しよりも受容のされ方に疑問を感じる。どんなに素晴らしい作品でも欠点は必ずあるので良い点だけを称賛するのではなく、クリティカル(批判的)に観る必要がある。例えば、「不審者云々のシーンやパラレルワールド的な展開は本当に必要だったのか?」とか。

          「ルックバック」サイコーみたいな言説がSNS上で蔓延していることに不安を感じる。なぜなら、「もしかして私にもクリエイターの才能があるかも」と希望を持ち現実に拒絶され狂ったからあのような凄惨な事件が起きたというのにまた偽の希望を売りつけるような言説とそれを良しとする風潮だから。

          「ルックバック」サイコーみたいな言説がSNS上で蔓延していることに不安を感じる。なぜなら、「もしかして私にもクリエイターの才能があるかも」と希望を持ち現実に拒絶され狂ったからあのような凄惨な事件が起きたというのにまた偽の希望を売りつけるような言説とそれを良しとする風潮だから。

          ドラマ「宙わたる教室」が非常に良い。本作のテーマは「本当の学びというものは損得の外側にあるもの。だからこそ純粋に学びを求める者達の間に差別や偏見はなく共通目的の元に絆が生まれ、仲間ができる」だと思う。決して、可哀想な人達を哀れみ同情を促す感動ポルノ的なドラマではない。

          ドラマ「宙わたる教室」が非常に良い。本作のテーマは「本当の学びというものは損得の外側にあるもの。だからこそ純粋に学びを求める者達の間に差別や偏見はなく共通目的の元に絆が生まれ、仲間ができる」だと思う。決して、可哀想な人達を哀れみ同情を促す感動ポルノ的なドラマではない。

          SNSに全体主義が蔓延っているのは、責任を取りたくないから。「みんなが叩いているから自分も叩いた」という言い訳を使えば、少なくとも自分だけが悪いことにはならない。群れることで責任を分散させ、人を叩く罪悪感を紛わす。卑怯過ぎるだろ。自分の尻を自分で拭けない奴に人を裁く権利はない。

          SNSに全体主義が蔓延っているのは、責任を取りたくないから。「みんなが叩いているから自分も叩いた」という言い訳を使えば、少なくとも自分だけが悪いことにはならない。群れることで責任を分散させ、人を叩く罪悪感を紛わす。卑怯過ぎるだろ。自分の尻を自分で拭けない奴に人を裁く権利はない。

          「チ。」の世界では宮台真司の言う「言外•法外•損得外」に地動説という真理が存在する。何にも縛られない純粋な真理。故に美しいし、命を賭けてでもその美しさの探究、証明を試みる。自らの足で「言外•法外•損得外」へ出たことのない者は一生、真理に触れることができない=死んでいるも同然。

          「チ。」の世界では宮台真司の言う「言外•法外•損得外」に地動説という真理が存在する。何にも縛られない純粋な真理。故に美しいし、命を賭けてでもその美しさの探究、証明を試みる。自らの足で「言外•法外•損得外」へ出たことのない者は一生、真理に触れることができない=死んでいるも同然。

          「チ。-地球の運動について-」を批判したいならオルテガの「大衆の反逆」や吉本隆明の「共同幻想論」ぐらい読んでから物言え。何が「歴史学上正しくない」だ。「チ。」を漫画でわかる歴史シリーズの中の一冊だと勘違いしてるんじゃないか。批判する以前にお前には教養が足りない。出直してこい。

          「チ。-地球の運動について-」を批判したいならオルテガの「大衆の反逆」や吉本隆明の「共同幻想論」ぐらい読んでから物言え。何が「歴史学上正しくない」だ。「チ。」を漫画でわかる歴史シリーズの中の一冊だと勘違いしてるんじゃないか。批判する以前にお前には教養が足りない。出直してこい。

          好き、嫌いと良い、悪いを区別出来ない人は感情に支配されている。そんな人にまともな鑑賞力、批判力が備わっているわけがない。にも関わらず評論家気取りで作品に評価をつける。まず、自分自身を批評しろと思う。己の評価を見誤る感情の奴隷に他者の作品を評価する権利はない。顔洗って出直してこい。

          好き、嫌いと良い、悪いを区別出来ない人は感情に支配されている。そんな人にまともな鑑賞力、批判力が備わっているわけがない。にも関わらず評論家気取りで作品に評価をつける。まず、自分自身を批評しろと思う。己の評価を見誤る感情の奴隷に他者の作品を評価する権利はない。顔洗って出直してこい。

          「チ。」は、トーンを使って、レンズフレアやゴーストを表現したり、イマジナリィ・ラインを意識したコマ割りをしてみたり、映像演出的なアプローチを多用している。なのでアニメ化する際、表現する余地が他の漫画よりも少なく、絵コンテが切りにくいかもしれない。さぞかし大変でしょう。演出家は。

          「チ。」は、トーンを使って、レンズフレアやゴーストを表現したり、イマジナリィ・ラインを意識したコマ割りをしてみたり、映像演出的なアプローチを多用している。なのでアニメ化する際、表現する余地が他の漫画よりも少なく、絵コンテが切りにくいかもしれない。さぞかし大変でしょう。演出家は。

          そもそも論理的に思考できる人が少ないのに映像に関する批評や評論を読み、アニメーションの制作工程や映像理論を学んだ上で他者を納得させ得る根拠を提示し、作品を評価するアニオタなんているはずがない。「私はどれだけマイナーな層に向けて記事を書いているのだろう」と思う今日この頃。

          そもそも論理的に思考できる人が少ないのに映像に関する批評や評論を読み、アニメーションの制作工程や映像理論を学んだ上で他者を納得させ得る根拠を提示し、作品を評価するアニオタなんているはずがない。「私はどれだけマイナーな層に向けて記事を書いているのだろう」と思う今日この頃。