「私の個人主義」 意訳的要約
夏目漱石の「私の個人主義」を意訳しながら要約してみました。
全57段落。
◆導入、◆第一編、◆第二編の三章の構成です。
◆導入
【挨拶】
1 学習院には初めて来た。
2 岡田さんからここの講演の依頼を受けたのだが、
病気で何も考えることができなかった。
約束の日が近づいて、怖がっていた。
3 約束の日が来ても音沙汰がなかったので流れたのかと思ったら、
一月後に延期ということになっていた。
改めてお願いされ、驚きながらも請け負った。
4 一ヶ月考える時間はあったが、考えるのが面倒くさかった。
気を紛らわせるために、絵を描いて壁に貼って、
それを見たりしていた。
5 結局今日の朝、考えをまとめた。
うまい話は出来ないかもしれない。
【物珍しさ】
6 面白い講演というのは、
どんな人を引っ張ってきても簡単に聞くことは出来ない。
あなたたちは、ただよその人を珍しがっているだけではないか。
7 私を呼んだのは、物珍しさを欲するがゆえではないだろうか。
8 話は逸れるが、大森教授が「生徒が話を聞かない」と愚痴っていた。
9 「君の話を聞く生徒などいない」と言ったが、失礼な意味ではなく、
この年の青年たちはそういうものだという意味だ。
この場を借りて謝っておく。
10 話が逸れてしまったので戻す。
11 他のありがたい先生を差し置いて私の話を聞いても、
熱心や好奇心は起こらないと思うのだがどうだろう。
12 私はここ学習院の教師になろうとして、落ちたことがある。
もし落ちずに教師になっていたらこうした講演もなかっただろうし、
あなたがたが半年近く、この学校の先生ではなく
私のような人間の講演を待ち望んでいたということも、
あなたがたが物珍しいものを求めている証拠ではないか。
◆第一編
【英国へ留学するまでのこと】
13 学習院の教師に落第した後のことを、これから話そうと思う。
講演に必要な部分だから聴いてほしい。
14 自分はあちこちの就職先にいい顔をして、
そのために問題が起きたりしたが、
なんだかんだあって高等師範になることになった。
15 仕事には息苦しさを感じていた。自分には向いてなかった。
16 一年後、田舎の中学へ赴任した。
17 そこでも一ヶ月しかいなかった。
そして今度は熊本の高等学校に腰を据えた。
18 熊本でそうこうしていると、
突然文部省から英国への留学の誘いがあった。
反対する理由もないので行ってはみたが、することがなかった。
19 その説明のために、それまでの自分のことを話さなければならない。
それも今日の講演で大事なことだから聴いてほしい。
【大学時代、教師時代の煩悶】
20 自分は大学の時に英文学を専攻していた。
英文学というのはどういうものかと聞かれると、
自分にもわからない。
大学の授業はつまらなくて、得るものはなかった。
三年勉強しても英文学というものが理解できなかったので、
もやもやしたものが残った。
21 そんな流れでなんとなく自分は教師になってしまった。
お茶を濁しながら日々を過ごしたが、内心は空虚であった。
ただ、心のどこかでもやもやしたものがあった。
教育者の才能は自分にはなかったが、
他の違う場所へ飛び移る勇気もなかった。
22 生まれた以上は何かしたいと思ってはいたが、
何をすればいいのか見当がつかなかった。
希望があちらから来るのを待つより、
自分の手で探そうと思ったが、どこを探しても見つからなかった。
解決法は見つからず、ぼんやりと陰鬱な日々を送っていた。
23 そんな不安を持ちながら大学を卒業し、
色んな場所を転々としたが、
ついには英国に渡るまでその不安は解消されなかった。
留学することへの多少の責任は感じたが、
ロンドンの街を歩いても本を読んでもつまらなかった。
なんで本を読むのかもわからなくなってきた。
【受け売りをやめる決意】
24 この時、文学とはなにか、その概念を自分で作り上げるより他に、
自分を救う道はないと悟った。
今までは他人本位だったから駄目だったということに気がついた。
他人本位というのは、他人の品評に自分が引っ張られるということ。
自分も西洋人の言うことを盲従して威張る人間たちの一人であった。
そしてまた、それをみんなが褒める時代でもあった。
25 しかしいくら人から褒められても、他人のふんどしを借りて
威張っているだけだから、内心は不安だった。
虚ではなく実に生きなければ、
自分の心はいつまでたっても安心を得られないことに気がついた。
26 西洋人の受け売りをやめて、私は私に正直でいなければならない。
27 自分は英文学を専攻するし、
本場の意見と自分の意見が違えるのは普通は気が引ける。
しかしその意見の違いは、
英国と日本の国民の性格の違いに基づいている。
国によって好みというものは分かれるのだから、
他の国と意見の違いがあってもしょうがない。
その説明だけでも、日本の文壇に一条の光明を与えるだろう。
自分はそれをその時初めて悟った。
悟りが遅く無念ではあるが、事実なのだから偽りなく言うのだ。
【自己本位】
28 それから自分は、文芸というものの立脚地を堅める、
というより新しく建設するために、
文芸と関係のない本を読み始めた。
一口で言うと「自己本位」という四字をようやく考え、
それを立証するために色々な研究や思索をした。
29 自分は「自己本位」という言葉を手に入れてからとても強くなった。
もう迷うことがなくなった。
30 正直言うと自分はその四字から新たに出発した。
西洋人の受け売りをせずによい理由を人々に差し出せれば、
自分も人もさぞ喜ぶだろうと思い、
著書やその他の手段によってそれを成し遂げることを、
自分の人生の目標とした。
31 その時、自分の不安は全く消えた。
自分は軽快な心で陰鬱なロンドンを眺めた。
自分はずっと探し求めていたものを、ようやく掘り当てた。
行くべき道を見つけることが出来たのである。
32 このように閃いた時には、留学してから一年以上が経っていた。
外国でこの目標を達成するわけにはいかないので、
できるだけ資料を集めて日本に帰った後に始末をつけようと思った。
外国へ行った時より帰ってきた時の方が力を得たことになる。
33 しかし帰ってくると他のことで忙しくなり、
くだらないことを色々するはめになった。
結局その目標は中止せざるを得なかった。
34 しかし「自己本位」という考えは、いまだに自分の中に生きている。
むしろ年を経るごとに段々強くなっている。
著作としては失敗したけど、
その信念は今なお自分に自信と安心を与える。
今生きていられるのも、こうして講演できるのも、
その力のおかげかもしれない。
【自分の道を見つけよ】
35 自分の経験を話してみたけど、参考になれば幸いである。
とにかく、自分の道を見つけるまで突き進んだ方がいい。
突き進んで探し求めなければ道を見つけることも出来ず、
不愉快な思いをしながら世の中をまごまごすることになる。
自分の道を見つけることが出来れば、
他人からとやかく言われても気にしなくてすむようになる。
36 もやもやしているものを抱えている人がいるなら、
「ああ、ここにおれの道があった!」と
心の底から言えるようになるまで探し求めた方がいい。
それは自分の幸福のために絶対に必要なことだと思うから言うのだ。
どう進めばいいと聞かれたら、
とにかく何かにぶつかるまでと言うほかない。
自分は三十を越えるまでそのもやもやに苦しめられた。
自分はあなたたちが勇猛に進み、
生涯の安心と自信を得られるものを見つけられることを切に願う。
◆第二編
【権力と金力】
37 幸福と安心は、仕事と個性がしっくり合った時に得られる。
38 権力とは、自分の個性を他人の頭に無理やり押しつける道具である。
39 権力に次ぐのは金力で、これは他人を誘惑する道具である。
40 権力と金力は、道具として大変便利である。
この道具を持っていることは偉いようでいて、
しかし実際は非常に危険である。
41 自分で自分の道を見つけていない人は、自他の区別をせず、
他人を自分の仲間にして道連れにしようとする。
そういう人が権力や金力を使用すると、
それらは自分勝手な目的のために用いる。
それは非常に危険なことである。
【個性の尊重、権力の義務、金力の責任】
42 自分の個性の尊重が社会から許されるならば、
他人の個性も尊重して然るべきであり、それが公正な態度である。
43 近頃、自分の個性をあくまで尊重するような事を言いながら、
他人の個性を認めないような人たちがいる。
公平に考えれば、自分の個性を伸ばすのと同時に、
他人にもその自由を与えるべきだと思う。
我々は他人がその個性を伸ばすことを理由なく妨害してはならない。
なぜこんなことを言うのかというと、
この中に権力や金力を用いる地位に立つ人もいるだろうからである。
44 そもそも、義務なき権力というものは世の中にはない。
高いところで話す自分も、
それ相応のことを話さなければならない義務がある。
教師に権力があるならば、教師の義務もまたある。
45 金力も同じで、責任を持たない金力家は世の中にあってはならない。
徳義心なき金力の使用は、人心の腐敗を招くからである。
46 まとめると、以下の三ヶ条に帰着する。
1 自分の個性を伸ばそうと思うなら他人の個性も尊重すること。
2 権力には義務が伴うということ。
3 金力には責任が伴うということ。
47 倫理の修養を積んでいない人は、個性を伸ばす資格も、
権力を使う資格も、金力を使う資格もない。
人格なき個性、権力、金力は、社会の腐敗をもたらす。
だからあなたたちは、人格ある立派な人間にならなければいけない。
【個人主義は危ない考えではない】
48 話が逸れるが、英国は大変自由を尊ぶ国でありながら、
秩序が整っている。
それは自分の自由を愛するとともに、
他者の自由を尊重するよう教育を受けているからである。
自由というものの背後には、義務が存在するのだ。
49 英国人は不平があると迷惑にならないようにデモを起こす。
政府はそれを黙って放っておく。
近頃はフェミニストが暴れ回っているが、あれは例外である。
50 義務なき自由というものは、社会から排斥されるものである。
だから自由には義務が伴うことを得心してほしい。
この意味で自分は個人主義であると公言する。
51 個人の自由は個性の発展に必要なものであり、
個性の発展は幸福をもたらす。
だからいくら相手が気に食わないからといって、
そんな理由で相手の自由を奪ってはならない。
52 そういった問題は道義上の個人主義を理解していないから起こる。
個人主義自体は決して危険な考えではなく、
立派な考えであると思っている。
【党派主義と個人主義】
53 党派主義は数の暴力で個人の意見を弾圧しようとすることがあるが、
個人主義は個人の意見の自由を尊重する。
個人主義は党派主義と違って一人で戦わなければならないから、
寂しい思いをすることもあるだろう。
【国家主義と個人主義】
54 個人主義は国家主義の反対のものではない。
自分たちは個人主義であり、国家主義であり、
同時に世界主義でもある。
55 個人主義における個人の自由は、国の情勢によって変わる。
国家が安全なら増えるし、危機なら減るのは当然のこと。
またいくら国家主義であっても、
四六時中国家だけのことを考えるのは不可能である。
56 個人主義と国家主義は矛盾するものではない。
国家が危なくなれば、誰であれ国家のことを考える。
国家間の道徳よりは個人の道徳の方が高いので、
国家が平穏な時は個人主義に重きを置いた方がいいと思う。
【結び】
57 今日は個人主義について話したが、
もしわからないことがあったら私の家まで来て聞いてほしい。