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Hip Hopの4大要素プラス5~ストリートファッション編~

Hip Hopを取り巻く要素において、ラップをはじめとする音楽市場に匹敵する飛躍した分野と言えば、ストリートファッション(Street Fashion)であろう。

Hip Hopの4大要素(ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティ)以外の5つの要素の一つであるストリートファッションについて、Hip Hop界の生ける伝説、KRS-Oneは次のように定義づけている。

ストリートファッションとは「Hip Hopの文化的形式や慣習の突出部を現したもの」であり、「Hip Hopの特徴的な個性を体現する重要な表現方法」である。

KRS-Oneも述べる通り、ストリートファッションとはHip Hop文化のトレンドとスタイルを顕著に現わせる媒体であり、様々な変遷を経たスタイルやブランドは多岐にわたる。よって今回は、ネルソン・ジョージ(Nelson George)の著書『ヒップホップ・アメリカ(Hip Hop America)』を参考に、①「ギャングスタラップ・アーティストによるスポーツブランドのHip Hop化」、②「Hip Hopの台頭とファッションブランドのマーケティング戦略」、③「Hip Hopファンによるリアルさの追求」の3点に絞って展開したい。

①ギャングスタラップ・アーティストによるスポーツブランドのHip Hop化

現在では、ニューヨーク・ヤンキースやロサンジェルス・ドジャースなど、野球チームのベースボールキャップを被ったスタイルがHip Hopスタイルの雛形のようになっているが、Hip Hopの黎明期の1970年代※1ではまだこのスタイルは誕生していない。

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このスタイルは、80年代の西海岸のギャングスタラップの流行とともに全国的に一気に広がることとなる。※2

アメフトの有名チームとしても知られる、オークランド・レイダースが80年代にロサンジェルスに本拠地を移すと、剣と海賊の顔で知られるチームのロゴ(キャップ)は、ロスアンジェルスの2大ギャングブラッズ[Bloods]クリップス[Crips])※3のメンバーや、どちらにも属さない若者にも好まれるようになり、腕っぷしの強さを表すシンボルとなった

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さらに、当時のレイダースと同じく、ロサンジェルスに拠点を置くアイスホッケー・チームのキングスのキャップや服が西海岸のラップ・アーティストの装いに欠かせないアイテムとなり、暴力的イメージを全面に押し出すギャングスタラップ・アーティストのスタイルとなった

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西海岸のギャングスタラップがアメリカ全土で流行するとともに、Hip Hopファンやギャングなどの若者がスポーツ・ブランドを好んで身につけるようになり、Hip Hopとスポーツ・ブランドとの繋がりが一層強いものとなっていった。

この他にも、アウトドア・ブランドとして有名なティンバーランド(Timberland)の冬用ブーツも、街角で時間を潰すことの多いドラッグ・ディーラーによって重宝されるようになり、ドラッグ・ディーラーというライフスタイルから、都会の若者のファッションスタイルへと変貌を遂げた

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<Survival of the Fittest / Mobb Deep(ブーツ着用)>

②Hip Hopの台頭とファッションブランドのマーケティング戦略

Hip Hopとの繋がりを拒絶していた大手ファッション・ブランドも、Hip Hopの流行とともに徐々に路線を変更し、ポロ・ラルフローレン(Polo Ralph Lauren)など大手ブランドが積極的にラップ・アーティストをモデルなどに起用し、衣装を提供するようになった。

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この大手ブランドの路線変更に大きな影響を与えたブランドが、日本のHip Hopperにも長年愛されているトミー・ヒルフィガー(Tommy Hilfiger)の存在である。

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トミー・ヒルフィガーのHip Hop界における大流行のきっかけとなったのが、ブランド・ヌビアン(Brand Nubian)というラップ・グループのメンバーであるグランド・プーバ(Grand Puba)※4がトミー・ヒルフィガーを愛用していたからである。

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トミーの弟であるアンディーが大のHip Hopファンであり、トミー・ヒルフィガーの大ファンであったプーバがアンディーと交友関係を持ち始めるとともに、トミーやブランドそのものとの関係も強くなった。彼らの交友関係や、プーバのトミー・ヒルフィガー・スタイルがHip Hop界に広がるにつれ、同ブランドを着こなすラップ・アーティストが増え、ラップでブランドについて触れるアーティストも増えるようになった。

このようなHip Hop界でのブランドの広がりに対し、トミー・ヒルフィガーは、ラップ・アーティストやHip Hopファンがブランド・ロゴをより大きくアピールし、ゆったりとしたサイズの服を好むことに着目し、Hip Hop界でのニーズを商品に反映させ、業界でのブランドの地位を確固たるものにした。

③Hip Hopファンによるリアルさの追求

トミー・ヒルフィガーに追随する形で、ポロ・ラルフローレンなど、その他大手ブランドがHip Hopのマーケットに次々と参入する一方で、マニアックな服好きは、黒人のデザイナーの服を探し求めることで、Hip Hopファッションの「リアルさ」を追求するようになった

その結果が、カール・カナイ(Karl Kani)など黒人アパレル・ブランドの大流行である。

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<Still Dre / Dr.Dre Ft. Snoop Dogg(Kani着用)>

黒人アパレル・ブランドではカール・カナイの他に、フーブー(FUBU)メッカ(Mecca)などが人気を博したが、1997年の時点でカール・カナイは5000万ドルもの売り上げをあげ、その当時最大の黒人アパレル企業となった

ちなみに、2000年代初頭に日本でもカール・カナイやフーブーがHip Hopファンの間で大流行したが、Hip Hopのヒの字も知らないヤンキーが、これらブランドのジャージを好んで着用していたため、ガルフィー(Galfy)※5のようなヤンキー・ブランドと一緒くたにして認識している方もいるかもしれない。

以上のように、Hip Hopの大きな要素であるストリートファッションについて、①「ギャングスタラップ・アーティストによるスポーツブランドのHip Hop化」②「Hip Hopの台頭とファッションブランドのマーケティング戦略」③「Hip Hopファンによるリアルさの追求」の3点に絞って説明してきた。

フォトショップやイラストレーターの普及により、誰でも簡単に服をデザインできる時代になり、今日におけるストリートファッション・ブランド(規模は関係なく)はごまんと存在する。しかしいずれにせよ、Hip Hopにおいて、ストリートファッションが「Hip Hopの特徴的な個性を体現する重要な表現方法」であることは、今も昔も何も変わっていない。

【同記事はアメブロに投稿した記事の再投稿である】

(現在アメブロからnoteへ移動中のため、過去のブログを再掲載しています)

※1:Hip Hopが誕生した70年代は、Hip Hopとの誕生とも深く関係する、ギャングのファッションスタイルが流行の一つであった。彼らは手作りのギャング団のロゴを上着などに、スプレー塗料などで型写していた。

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※2:80年代において、ランDMC(Run DMC)アディダス(adidas)の関係は、その時代の若者に多大なる影響を与え、オールド・スクール(Old School)スタイルとしてど定番だが、この流行には、ランDMCが所属していたマネジメント会社(ラッシュ・マネジメント[Rush Management])によるビジネス的策略が背景にあり、「ストリートからの流行」という本稿の本質とは逸れるため、本稿では触れない。

※3:この2大ギャングは、ロサンジェルスをはじめ、アメリカ全土に広がるカラー・ギャング組織であり、ブラッズは赤、クリップスは青の服やキャップを身につけている。2つの組織はお互いに敵対しており、組織同士の抗争も絶えない。

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※4:ブランド・ヌビアンは80年代後半から90年代にかけ活躍したグループであり、グランド・プーバはその中でも伊達男として認知されていた。

※5:犬がトレードマークのブランド。

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