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使徒
私の地元の酪農家に嫁いだ友人とは、私が大学院にて手痛い挫折を経験し、
療養のために故郷へと帰らせてもらった、27歳の時に出逢った。
彼女は、もとはまったく違う生き方をしていた人だった。
お嬢様。
韓国の出身で、才女。頭が良く、それでいて豊かな人生経験とその霊格の高さにより、思いやりにあふれた人だ。
私はこれまで、彼女の存在に、どれだけ助けられてきたことだろう。
私が人生のどん底にいた時に、神様が私に与えてくださったかけがえのない友人だ。
年齢は私よりずいぶん上で、人生の先輩、お姉さんなのだけれど、彼女も私を姪っ子かなにかのように可愛がってくれてきた。
故郷に帰ると私はいつも、彼女と会う。
私の故郷は、どえらい田舎なのだけれど、なにもないところだったからということもあってか、私は子どもの頃から外国や外国人への興味がつよかった。
という割には、全然外国になんて行けてない人生を送ってきたけれど笑
彼女は、クリスチャン。たしか、カトリックだったと思う。
彼女とはいつも、結局神様の話になる。
彼女も、私の存在をありがたがってくれる。
私は自分の故郷が田舎すぎて実はあまり好きではなくて笑、このままここにいたら自分の人生は終わると思ったから、
大学で関東に出てきた。
たいして偏差値が高かったわけでもないけれど、当時は今より全然ガチガチの学歴信仰社会だったと思う。
田舎で、情報がとても少なかったし、地元にもあまり魅力を感じることはできなかったので、私はたまたま少しはできた勉強を頑張って、自分の未来を繋ごうとした。
今思えば、自分は自分、とガンとして自分を譲らない、譲ることのできない子の方が、どれほど可能性に溢れているだろう、と思う。
彼女も、いつも私の心に浮かぶ人の一人。
神様に、いつも感謝を伝えているという。
だからだろうか、彼女は予知夢をみるという。
彼女と話していると、豊かな気持ちになる。
苦難を経験すると、私たちは自我の鎧が壊される。
そして、真実をみることのできる新たな主体としての生まれ変わりを経験させていただく。
だからやはり、人生における困難、苦難は、浄化であり、霊性進化のための磨き砂であるといえると思う。
この夏に一度、母方の祖母にお線香を上げに帰ろうと思う。
彼女にも会いたいし、実家の家族にも会いたい。
ピンチの時にはいつも、神様はわたしに使徒を与えてくださる。
それは人だったり、猫だったり、気づきだったりする。
この人生で成し遂げると決めてきたことはすべてやってから、死にたい。
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