父の推しが日の丸を背負う日まで
「ユニフォームぶん投げてぇわ」
父はそう吐き捨てた。
ヴァンフォーレ甲府の経営危機問題の前から甲府を応援している父は、サッカーに関して熱くなることはあまりない。
すべてのJ1昇格・J2降格を経験しているからか、シーズン中に連勝しても連敗しても、高揚することもなければ落ち込むこともない。
2016年まで父はユニフォームに背番号を入れなかったし、2017年以降に選手の背番号を入れるようになっても「なんとなく」という理由だった。
しかし2021年の新体制発表会見で、大卒ルーキーとして加入したある選手を見て、父の目の色が変わる。
新加入選手が背番号順に話すため、背番号2を背負う彼は各質問に対する答えが毎回トップバッターになってしまっていた。
それでもハキハキとした口調で淀みなく話す彼を見て、父は笑顔でこう言った。
「俺、今年のユニフォーム須貝にするわ!」
父が須貝英大選手を推し始めた瞬間だった。
ただ2021シーズン終了までは「須貝が移籍するまで新しいユニフォームは買わん」と言い切っていた。
その後須貝選手が契約更新を発表したため、私は父の判断を待った。
その結果、父は2022シーズンの須貝選手の新しいユニフォームをあっさり購入。
今年も須貝選手のユニフォームとタオルマフラーを新調し、父の手元にはそれぞれ3枚のユニフォームと名前入りタオルマフラーがある。
ACLユニフォームも迷わず須貝選手のものを注文した。
そんな矢先の7月下旬、須貝選手がJ1の鹿島アントラーズへ移籍することが決まった。
Web報道が出た時も、地元紙の山梨日日新聞の報道が出た時も、父は何も言わなかった。
私が父を相手にどんなに嘆いても喚いても、父は無言を貫いていた。
しかし公式リリースが出た数時間後、父は吐き捨てるように言ったのだ。
「ユニフォームぶん投げてぇわ」
と。
地元出身。
幼い頃は自身も甲府サポーター。
そして今は甲府のキャプテン。
父も日に日にたくましく頼もしい「甲府の漢」になっていく須貝選手の成長を楽しみにしているようだった。
それだけにシーズン途中の移籍は受け入れられなかったらしい。
もちろん須貝選手やご家族の人生を考えれば、年俸の高いクラブに行くのは自然だということは、父も重々承知している。
ただサポーターとして、割り切れない気持ちがあることもまた事実なのだ。
8月6日のホーム金沢戦。
その日はJ1の中断期間が終わった鹿島の試合もあり、サポーターの間で「須貝くんが加入後即スタメン」という話題が上がっていた。
私はスタジアムの観客席で父に「須貝くん、鹿島でもうスタメンだよ」と伝えた。
父は「本当か!?」と驚いた様子だったので、私がスマートフォンで鹿島のスタメン表を見せる。
鹿島の名だたる選手達と共に「須貝英大」が名を連ねている。
それを見た父は「まあ、どっちでもいいわ」と小瀬のピッチに視線を移した。
その目はなんとも寂しげで、私は何も言わずにスマートフォンの画面を消した。
その日の甲府は0-2で金沢に完敗。
帰りの車の中で、父は強い口調でこう言った。
「早く勝ってくれ。『須貝がいないから負けた』なんてこんは、絶対に許さん」
今までどんな主力選手が移籍しても、父がそんなことを言ったことは一度もなかった。
父の須貝選手への思い入れの強さを感じ、私は車の中で拳を突き上げた。
「今年絶対昇格して、来年の鹿島戦で思いっきりブーイングしてやらないと気が済まないよね!」
「おう!そうだそうだ!」
土砂降りの環状線で、父はアクセルを踏んだ。
翌日。洗濯を終えた須貝選手の名前入りタオルマフラーを父に渡した。
ホーム金沢戦でも父は須貝選手のタオルマフラーをショルダーバッグの中に入れていたらしい。
「もう、これ要らんな」
父が物憂げな表情を見せて私に返そうとするので、私はタオルマフラーを父に押し付けた。
「須貝くんが日本代表になったら掲げるためにとっておきなよ」
父は何も言わずにタオルマフラーを受け取る。
そして自分のクローゼットに大事そうにしまった。
いつかそのタオルマフラーが日の目を見る時まで。
「またな」