父が移籍した推しに声を張り上げた日
この記事は「父の推しが日の丸を背負う日まで」の続編です。
須貝英大選手がヴァンフォーレ甲府から鹿島アントラーズへ移籍してからの一年間、父は複雑な感情を抱えていた。
須貝選手は昨季夏に鹿島へ移籍したものの、日の丸を背負うどころか鹿島でスタメン出場する機会もあまりない。
私が時々父に須貝選手の情報を伝えると、決まって父は「どっちでもいいわ」と言う。
しかしそこで会話が終わるわけではなく、いつも父はボソッと「甲府にいた方が良かったのにな」と呟く。
もちろん須貝選手のこれからも人生のためには、上位のクラブへ行った方がいいことは父もわかっている。
ただ私から見て、父はまだ気持ちを消化できていないのだと感じた。
須貝選手がスタメン出場した昨年の川崎フロンターレ対鹿島アントラーズ戦は父もDAZNで見た。
その試合で須貝選手は失点に直結するミスをしてしまう。
川崎側の歓喜とは対照的な須貝選手が大写しになり、私はため息をつく。
しかし父はそんな須貝選手を無表情で見つめていた。
父の表情からは怒りも悲しみもやるせなさも、何も感じなかった。
むしろすべてが混ざった結果、無になったという方が正しいか。
いずれにしろ父にしかわからない複雑な胸の内があるのだ。
7月。天皇杯の組み合わせ抽選の結果、甲府は須貝選手のいる鹿島と対戦することになった。
実に3年連続の対戦。
甲府サポーターとしては3年連続鹿島撃破に燃える気持ちと、須貝選手に一泡吹かせたい気持ちが重なり、他のどのクラブと対戦するより思いが高ぶったことだろう。
ただ父は抽選会の様子を見て「そうか」と言っただけだった。
「お父さん! 須貝と対戦するんだよ!? もっとこう……何かないの!?」
「別にない」
父の冷静な返事に、私は父の気持ちがわからなくなった。
天皇杯鹿島戦が近づき、私は父にこう尋ねた。
「選手紹介の時、須貝にブーイングする? それとも拍手する?」
「無視だ」
「試合が終わった後、もし甲府の方へ挨拶に来たら?」
父はそこで少し考えた後「……まあ、その時はその時で考えるわ」と言い残してその場を去っていった。
試合当日。父の観戦バッグの中には須貝選手の甲府時代のユニフォームとタオルマフラーが入っていた。
その日、須貝選手はスタメンだった。
メインスタンド指定席に着き、私が父にメンバー表を見せると「そうか、スタメンか……」と父は感慨深げにピッチを見つめる。
父の目にこのメンバー表はどう映ったのだろう。
父はこれから鹿島の選手として小瀬のピッチに立つ須貝選手を、どのような気持ちで見るのだろう。
ピッチ内アップが始まり、いよいよ両チームの選手紹介が始まる。
「DF背番号16、須貝英大」
アナウンスと同時に、甲府のゴール裏からはブーイングが飛ぶ。
私が父の方を見ると、父はピッチを見つめて微笑んでいた。
ブーイングも拍手もしないが、無視というほど冷たい様子でもなかった。
久々にスタジアムで聞いた「須貝英大」の名に、どこか懐かしさを感じたのだろうか。
試合開始直前、父は呟いた。
「試合が終わって須貝が挨拶に来たら、ユニを掲げてやるか」
試合は甲府が先制するも鹿島に追いつかれ、試合終了間際のコーナーキックで鹿島に決勝点を献上。
甲府は逆転負けで天皇杯ラウンド16での敗退が決まった。
選手達のスタジアム周回が終わってしばらく経っても、甲府サポーターはかなりの人数が残っていた。
皆、須貝選手を待っているのだ。
父もユニフォームをバッグからすぐ取り出せる状態にして、須貝選手を待つ。
「来ないのか」
父はいつになく落ち着かない様子だった。
しばらくして、須貝選手が姿を見せた。
父は急いでユニフォームを持ち、甲府のゴール裏へ小走りで向かう須貝選手を見つめる。
須貝選手はゴール裏のサポーターへ一礼。ゴール裏からは大きな拍手が送られる。
須貝選手は再び小走りで甲府のゴール裏を後にして、私たちのいるメインスタンドの方に戻ってきた。
父はまっすぐユニフォームを掲げ、大きく息を吸った。
「須貝ー! 頑張れよー!」
客席に響く父の声には、一年間しまい込んでいた思いがあふれていた。
「ユニフォームぶん投げてえわ」と言ったあの日から、父の心の内にはさまざまな葛藤があったことだろう。
須貝選手の情報を「どっちでもいい」と言いつつも「甲府にいた方が良かった」と呟き、須貝選手のことになると常に感情が揺らめいていた。
しかし父は今、ぶん投げたかったユニフォームを高々と掲げ、須貝選手に心からのエールを送っている。
これこそ、父が一年間かけて出した答えだったのだ。
須貝選手は結局、私たちには気づかなかった。
「須貝、こっち見てくれなかったなあ……」
帰りの車の中で、父は思いのほかショックを受けていた。
「声が届かなくても気づかれなくてもさ、須貝に『頑張れよー!』って言えたじゃん? 応援の気持ちを送ったじゃん。それだけでいいんだよ」
私の励ましに対して、父は何も返さない。ただ表情は晴れやかだった。
小瀬周辺の畑道を抜けて環状線に入る頃、父はぽつりとこう言った。
「またJ1行かなきゃな」
父の心に光が灯った。
【完】