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宗教の授業はつまらない!?

高校の授業実践について、公民科の授業実践について教員向けに綴っています。

高校の公民科には、倫理という授業があり、宗教について学ぶ単元がある。一方的な解説ばかりの授業になりがちだ。どうすればいいだろうか。

宗教の授業というだけで、自分には必要がないと思って耳を閉ざしてしまいそう。教義や成立過程を理解させるだけでは、つまらない。この事実を教員は受け止めるべきだ。宗教の概略についての知識を頭に入れるのは、興味がなければ、一般教養だと言われても辛さがある。

取り組みやすくする方法

興味を持っていない内容の授業は進めにくい。興味を持たせるには、自分に関係があると思わせる必要がある。関係があると思えないなら、宗教だって、深海魚だって、金属加工だって、何だって頭に入れるのは辛い。どうしてもテストに出題されるから頭に入れなければならないなら、割り切って要領よく暗記するだけだ。本来の学習ではない。日本国憲法に穴埋めを出題する先生がいるが、分量によっては、内容理解というより、要領のよさを測っているにすぎなくなる。

倫理の授業においては、優れた考察や見方を一例として示し、自分の考察や見方と比較させる。あるいは、クラスメイトの考察や見方と比較させる活動が、興味関心を引き出せる。

主なテーマ
信じるという人間の行為は、人間を変化させるか。
人間は弱い。自分の弱点とどう向き合うか。
自由は服従に勝るのか。

(  )を信じる

空欄にはどんな言葉が入れられるだろうか。例えば、仲間、親、先生、未来、勝利、サンタクロース、UFO、運命…

(  )を信じない

信じるか信じないかで、人の行動は変わるのか。信じるとはどういう意味なのかを考えてみる。あわせて、ユダヤ教の場合を見せる。

人間の弱さとは何だろう。

例えば、欲望に負ける、先延ばしにする、自分の都合を優先する、わかっていてもできない…

人間の弱さについて、弱い人間、しくじる人間の例を挙げてみる。具体的なものと、大掴みのものとが出てくるが、共通点は見つけやすい。あわせて、パウロの考察を紹介する。律法を守ろうとしても、守ることができずに罪の意識に苛まれる。人間は欲に引っ張られてしまうという。

制服のある高校と制服のない高校を比較する

登校前に服選び、クラスメイトに何て言われるかを気にしながら、同じ組み合わせは何回も着れるか、好きな服をけなされないか、似合わないことに気付いていないかもしれない…

制服の効用を考えさせる。制服は服従と換言して、服従のメリットはないかを考えさせる。服従すると自分に責任がなくなる。服従させている側の判断に従うので、服従して行う行動は、服従させている側から正解と言ってもらえる。制服が似合っていないとしても、着ていれば正解だ。あわせて、イスラームの思想について紹介する。神にすべてを任せれば安心、神への服従は安心をもたらす。

例やテーマはアレンジができる。公民科の授業では、宗教を文化の解説をする時間ととらえず、人間社会の見方を考えさせる機会と捉えて授業づくりをすれば、他の学習活動とも関連づけられ、生徒の視野を広げたり、進路や将来を考える活動にも役立つ。

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