授業のねらい
教師が授業をはじめるまでには、いくつものステップがある。準備が必要だ。
授業準備のどの段階でも常に意識して考えることは、授業のねらいは何かということである。すごく当たり前で、簡単なことと思われるが、だからこそ不十分であったり、考え尽くされていないことがある。
ねらいは目的と言い換えてもいいが、普段の生活でそんなに目的を意識することはない。だから、よく目的意識を持ちなさいとか、目標を明確にしろと言われる。スポーツなどのトレーニングをしていると、効果を求めているので、ねらいや目的を意識する。授業も効果を求めて行うものなので、ねらいは欠かせない。しかも、効果を出すのは、教員ではなく生徒たちである。
教師が授業で行うことにはすべてねらいが必要である。
教科書を読ませる
説明を聞かせる
質問に答えさせる
気づいたことを書かせる
授業は基本的に、教員が生徒に指示を出して、生徒は指示に従って学習する。授業が始まると、終わるまで常に指示がある。あいさつをして授業が始まり、次の瞬間、教員は指示を出す。指示には必ずねらいがあるはずだ。油断するとねらいのない指示を出してしまう。もっとひどいのは、指示がないことだ。
指示のない授業は、教員の一人芝居だ。生徒の学習の機会になっていない可能性がある。生徒が一人芝居を見物しているならいいが、見物しろ!という指示を出すべきだ。見物せずに無駄に時間を過ごす生徒もいるだろう。
ねらいのある指示を出す
指示を出さずに授業はできない
ねらいはあればいいのであって、ねらいを必ずしも伝える必要はない。ねらいを明確に伝えることが効果的だ場合もあるが、ねらいを伝えることは手段の一つに過ぎない。混同や取り違え、見過ごしが生じやすいときは、ねらいを積極的に伝える。何のために学習するのかを示して、学習の進度がわかった方がいい場合は、ねらいを伝える。
ねらいのない指示、指示のない授業は、ただ時間を過ごさせているだけになってしまう。授業は不可欠なものだけで構成すべきだ。余計なものは削ぎ落とし、意図を明確にして、指示をレイアウトする。
黒板に書く必要がないことは書かない
必要な活動を最適な手順やタイミングでやらせる
ただやればいい活動はない
すべて意図してさせる
ただぼんやり見させるのではなく、見るべきところ、着目させるところを示す
無駄な時間をつくらない
数ある候補から選りすぐりの活動を提供する
ただ何となく黒板に用語を書く
黒板に書く以外の方法を検討して、最適な伝達方法なら書けばいい。印刷して配布ではダメなのか。教科書の該当箇所を見せるのではダメなのか。口頭で言うだけではダメなのか。全部を黒板に書かなければならないのか。一部ではダメなのか。教員が書かなければならないのか。生徒に書かせてはダメなのか。いきなり書くのがいいのか。注目させて書くのか。作業中に書いておくのか。書くタイミングはそこしかないのか。何色のチョークを使うのか。
授業計画を立てるということは、教員の指示や生徒の学習活動ワーク最適化することである。他の方法も検討した結果、時間的な制約の中で、生徒の現状を考えて一番ふさわしい活動を選択し、必要な指示を出す。タイミングや手段、手順、ステップのすべてにおいて意図を意識して、デザインするのが授業だ。自分の考えを述べて、後は生徒に任せるというのは授業ではなく、講義だ。高校に求められているのは授業だ。
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