平和ってどう教えるの?
平和をテーマにした授業は、一見、ねらいがわかりやすい。しかし、学習課題が「平和について考える」というだけで、話し合わせたり、映像教材を視聴して感想を書かせるだけの実践がよくある。
知識・技能
学習指導要領の評価規準には、知識・技能という観点がある。平和をテーマにした公民科の授業であれば、知識や見方・考え方を身につけさせるべきだ。生徒に意見を述べさせる場合、学習活動もなければならない。学習しないで現時点での意見を述べさせ、意見交換をすることも無意味ではないが、何となくそう思っているだけの素朴な意見は、そんなに誰しも大差なく、「◯◯はいけない」といったよくある共通点を見つけるだけになってしまう。学習活動とセットで意見を述べさせる活動を計画したほうがいい。
憲法9条、文民統制、国家安全保障会議、12海里、安全保障理事会
政治経済の授業で、国際法や憲法について扱う。条文や用語の意味を解説すれば、知識・技能を身につけさせたことになるだろうか。平和について学習させるためには、視点や視座が必要だ。
「平和」とは何かが漠然としたまま
教員が意図しない誤ったメッセージを発してしまうことを恐れる。平和はセンシティブなテーマだ。だからこそ、表面的に扱ったり、生徒に任せて学習活動もどきで済ませないでほしい。授業は未定義ではできない。系統的に体系的に捉え、俯瞰で全体像を把握して、学習課題を設定したい。平和をテーマにした授業でも同様だ。
平和の対義語は戦争?
戦争をしないことがすなわち平和ではないだろうが、戦争を定義すれば平和について考えることができる。実は戦争の意味は曖昧だ。
国権の発動で行う戦争とよく言う。国家組織としての軍隊が司令により武力行使をする。侵攻・侵略か、解放か。独立を目指す人々のために、独立を認めない政府から解放してあげる。民主化を求める反政府勢力を攻撃する政府から解放してあげる。国際的に認められない大量破壊兵器を開発・保有する国家に大量破壊兵器を手放すように求める。領土・領空を侵害する勢力から国家を防衛する。現代の戦争は一様ではない。
基礎知識が必要だ
被害や犠牲に目を向けて、やめろ!と言う。交通事故をなくすには、自動車生産をやめればいい。元を断てば被害や犠牲は消える。思考実験をすればわかるが、実際にはいくつもの条件があり、簡単に元は断てない。
戦争を一義的に捉えることはできない。権力の暴走により外国を武力攻撃することには、誰もが賛成できない。この意味では戦争反対と言える。一方で、外国から武力攻撃を受けた場合、防衛や反撃、報復をしてはいけないか。経済制裁は戦争行為ではないのか。国内では、暴力や人権を侵害する有形力に対して、警察権や司法権で身柄確保や拘束という強制力を用いている。つまり治安を維持している。人道危機の外国に干渉すべきか。邦人だけを保護すればいいのか。難民は受け入れるが、難民が発生する元は断たないのか。
未定義のまま、言いやすいところだけを言う
事情は複雑だけど、歴史を踏まえて、定義して議論する。定義せずに、言いやすい正論や正解だけを集めるのは学習活動ではない。たいていは学習しなくても知っていることだ。理想や希望を語るだけも、学習ではない。「もっとみんなが◯◯すればいい」は、費用や負担を抜きにした無責任な意見になりがちだ。とても良い意見なのにいつまでたっても実現しないのは、費用と負担について考えていないからだ。
アメリカが◯◯すればいい。
アメリカ人の税金でその費用をまかなうということだ。
授業者が扱う内容を精選して、定義して学習課題を設定するのが基本である。