「いい人」の檻から出る
私は子供たちに、「君たちはいい人だと思いますか」と聞きました。
そしたら、「はい!」とすぐ返ってきました。
「じゃあ、どうして自分がいい人だと思いますか」とまた聞きました。
「ええと。。。僕は悪いことをしないし、人に優しくできる」と長男が言いました。
なるほど、と思いました。
私たち大人は、知らないうちに、家庭のしつけや、学校教育や、社会勉強などを通して、なんとなく所謂「いい人」になって、生活をしてきています。
けど、本当はいい人って、どんな人ですか?
どうしていい人にならないといけないですか?
いい人の定義はなんですか?
悪い人ってどんな人ですか?
悪い人の定義はどんな?ってあんまり考えませんよね?!
私たちは、いい人だと感じるような人は、優しい、人に害を与えない、傷つけたりしない、気配り、礼儀正しい、空気が読める、助ける、みたいな言葉を思い浮かべると思います。子供にもそのようにしつけします。そうするうちに、無難な大人に成長してくれます。その後、会社のニーズや社会のニーズ、他人のニーズなどに答えられるような人間になります。
けど、一旦そういう人になってみると、周りにいる所謂マイペースな人に魅力的に感じたりします。個性的な人間だなぁって!思ったり、そういう風になりたいなぁってなったりします。その人たちは自分がやりたくてできないことを簡単にできたりします。自分が言いにくい言葉をさりげなく口に出します。
出る杭は打たれると肝に銘じて、何かと機微な恐怖を感じながら生きる毎日。他人の突破し続ける人生を見ながら、自分を哀れむ。そのサイクルの中から出たいよね!
そうしたら、魅力的な自分になるいい習慣をまずつける必要があると思います。
絶対いい人、絶対に悪い人って存在しないと思うんです。「悪い」という概念自体が相対的で、自分の価値観と違うから「悪い」ってつい思ってしまいがちですが、違う価値観を受け留めて、相手の立場を考えてみると、その人もそれなりのやり方でなんとか自分の人生哲学を形成し、過ごしています。そういう価値観にならなければならないという歴史や家庭などの必須要因があったから、今の様子になっているのだと思います。そして、人それぞれ人生における段階というのがあって、成長のスピードも違います。一概に悪いって言えないとも思います。
40代に入ると、私は思い切っていい人でいるのをやめることにしたのです。人の顔色を伺うより先に自分の心の声を聞いています。トマス・J・レナードの著書「Selfish」中の一文を引用すると、「成長には歴史や、正しい役割、望ましいとされる行い、文化的な規範といったものでできた鎖を断ち切ることがつきものだ。」。人の顔色を見ない、空気なんて読みすぎない、自分の心に忠実になって、達成したい目標をストレートに赴く。私たちが握りしめた「いい人」の檻から思い切って飛び出る必要があるのです。
人の顔色ばかりを伺って、他人を喜ばせるために生きていく必要はありません。人生に与えてくれた時間は自分のものです。自分の成し遂げたいこと、その一件だけに焦点を当てて、進めなくてはいけません。自分の本能に従って、ストレスを感じたことを思い切ってやめればいいと思うんです。きっと別の道が開いてくれます。