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パリ五輪【開会式】について思うこと

 開会式からネタが尽きないパリオリンピック。

 特に論争を巻き起こしているのが〈開会式の演出問題〉ですね。

 今回は批判というよりは、少し一歩引いた形で、この〈開会式〉を分析してみたいと思います。もうすぐ〈閉会式〉も開かれますしね。

 私はニュース記者や学者ではないので、硬派な解説はしません。

 皆様と「世間話」の一つでもするような感じで書いています。


開会式の演出問題

 あまりにも物議を醸しているので、私が把握している限りで問題をまとめてみたいと思います。

1 ■ マリー・アントワネットの斬首を揶揄するかのような表現

2 ■ 国名を言い間違える

3 ■ 最後の晩餐を嘲笑うかのような表現

4 ■ トランスジェンダーたちの集うダンスに子どもが含まれており、背後にペニスのはみ出した男性がいたこと。

5 ■ セーヌ川を駆ける、青白い馬に乗った謎の騎士

6 ■ 大雨で観客席がずぶ濡れ

7 ■ オリンピック旗を逆さまに掲揚する

〈2〉国名を言い間違えた件
 名前を間違えられたのがどの国であっても、大きな問題に発展することは明白です。

〈4〉子どもの背後にペニスのはみ出した男性
 ペニスのはみ出した男性が、出演者の子どもをのぞきこむ映像を見た時は、ゾッとしました。お子様のいる親御さんなら看過できないと思います。

〈7〉オリンピック旗を逆さまに掲揚。
 フランスの国旗は色が縦三つに分けられたトリコロールなので、うっかり上下逆さまにしても同じ色ですが、オリンピック旗は違います。フランスの掲揚スタッフが上下を失念していたのかもしれない……ですね。

〈6〉大雨
 天気だけはどうにもなりませんが、ちょっと……異常な降り方でしたね。あれでもしも雷が落ちていたら「まさか天罰?」と思ってしまったかもしれません。死者や神様を愚弄することに日本人は抵抗感が強いですから。

 「故人」と「神様」に対して、畏敬の念が足りなかったことが最大の問題点でしょう。

1 ■ マリー・アントワネットの斬首を揶揄するかのような表現

3 ■ 最後の晩餐を嘲笑うかのような表現

5 ■ セーヌ川を駆ける謎の青ざめた騎士

〈1〉〈3〉〈5〉について語りたいと思います、


■ セーヌ川を駆ける謎の騎士

 謎の騎士は「ジャンヌ・ダルクらしい」と情報が流れてきた時には「なるほど~」と興味を抱きました。ジャンヌ・ダルクはフランスの守護聖人ですからね。

 フランスは「カトリック教会の長女」と云われた国ですから。ノートルダム大聖堂をはじめ(火事もありましたけれど)素晴らしい教会建造物が多くあります。

 フランスの守護聖人のうち、私の最推しはこの御方。

『リジューの聖テレーズ:小さい花の物語』カルメル会(アイルランド ニューリー)著/山口カルメル会 訳/ドン・ボスコ社/一九九六年

 リジューの聖テレーズです。彼女はご臨終の際に「私が亡くなったら天から薔薇の雨を降らせます」と仰ったそうで、その通りに奇跡が相次ぎ、感謝の手紙が多く届いたことでも有名です。

 キリスト教では「聖女」として列聖されるまでに「死後、相当の時間」を要します。以前の記事でも解説していますので再掲します。

イラストACのフリー素材を使用しています。

 列聖されるまでは基本的に「2つの奇跡」が必要とされており(殉教者列福に限っては奇跡不要です)ヴァチカンの奇跡調査は時間をかけて行われます。

 けれどリジューの聖テレーズの場合、奇跡の報告が数え切れないほど寄せられた為、慣例よりも早く列聖の儀が執り行われました。

 リジューの聖テレーズの最大の魅力は「愛」について分かりやすく優しい言葉で説いたこと。

彼女は自分の心を花々で飾ることにした。一つ一つの小さな自己放棄が花として数えられた。愛の行いもまた花として数えられた〈本文より抜粋〉

『リジューの聖テレーズ:小さい花の物語』カルメル会(アイルランド ニューリー)著/山口カルメル会 訳/ドン・ボスコ社/一九九六年十月より

 心の中を花で飾る。
 
なんて美しい言葉なのだろう。
 リジューの聖テレーズに倣い、私も実践するようにしました。

 このようにフランスには素晴らしい聖人が多くいます。なので「ジャンヌ・ダルク」が出たという情報を初めに目にした時もあまり違和感はありませんでした。

 しかしあの「開会式に現れた謎の騎士は、ジャンヌ・ダルクではないのでは?」と疑問を呈した方々が多くいたようです。

 ヨハネの黙示録に登場する「青白い馬に乗った騎士」ではないかと云うのです。

 【ジャンヌ派】と【黙示録派】でSNS上の意見が分かれており「どっちなんだ?」と私も混乱して区別がつきませんでしたが、あの騎士が非常に謎めいた存在であったことは否めません。

 騎士がセーヌ川を渡るシーンで流れていた音楽がスリリングな旋律だったのも解釈が分かれた原因ではと考えます。祭典にふさわしい華やかな演奏だったら印象も大きく変わったのではないかな、と。


■ 青い全裸 = 魚?


 大問題となった「最後の晩餐」を模したと言われる例のシーン。

 なぜ歌手は「青色」に塗られていたのでしょうか。

 ギリシャ神話の神〈ディオニュソス〉という意見があがっていましたが……ディオニソスってこんなに「青い神様」だったでしょうか? 

 他宗教で「青い神様」というと、ヒンドゥー教のシヴァ神が頭に思い浮かびます。

 仏教なら「青面金剛」も青いお姿です。

 今回の開会式「青い全裸の男」をめぐって様々な意見が飛び交っていました。

 私はひと目見て「魚のようだ」と思いました。

 銀蓋といい、色鮮やかな盛り付け方といい、メインディッシュは「魚料理」と表現しているように見えます。

 「キリスト教=魚」で、ピーンと来た方もいらっしゃるかもしれません。

 昔のキリスト教のシンボルといえば「魚」なんです。Jesus Fish、イクトゥスなどの名称で知られています。詳しくは以下のサイトをご覧ください。

 大皿に盛り付けられた「魚のように真っ青な男」が何を意味するのか。

 そりゃぁ……怒らないはずがなかろうと思っていたのですが「なぜ青なのか」という考察が見つからなかったので、私と同じことを考えた方が、世界のどこかにおられるのではと、独り言としてここに綴ります。


■ アントワネット妃の斬首

 私は現在「リンドバーグの救済」という令嬢モノの作品を書いています。無実の罪を着せられ、法廷に立たされるミミを書く上で、悪女と罵られ断頭台の露と消えたマリー・アントワネット妃のことは調べておりました。

 マリー・アントワネット妃の裁判記録を読むと彼女の印象は大きく変わります。

 オーストリアからやってきた外国人である王妃は「悪の象徴」としてまつりあげるのに格好の対象だったのです。彼女に着せられた罪のほとんどは、出鱈目で酷い脚色の加えられたものでした。

 マリー・アントワネット妃に興味を抱いたのは、ベルサイユの薔薇の大ファンである家族の影響です。子どもの時にベルばらを拝読した際に「ロベスピエール」について家族に質問すると以下のような回答が返ってきました。

 「こういう人間が一番怖いから気をつけなさい。ロベスピエールは恐怖政治の主導者よ」

 フランス革命で最も恐ろしいのは「フランス国民の多くがギロチン台に送られたことだ」と家族は教えてくれました。そしてロベスピエール自身もまた、断頭台へ送られるのです。

 その歴史全体を取り上げるならまだしも、未だにマリーだけを革命の象徴のように取り上げ、生首を両手で抱えるという、王妃の死を揶揄するような表現には深い悲しみをおぼえました。

 国際的な祭典でなければ、これほどの問題には発展しなかったことでしょう。

 けれどもオリンピックですから、あのように血なまぐさい演出に対して不快感を示す人は多かったようです。

 ハプスブルク家をはじめ、王族の末裔たちが一様に不快感を示したのも当然の結果といえます。

 またヴァチカンが公式に、パリ五輪へ抗議声明を出したのも異例でした。


まとめ


 人の振り見て我が振り直せ、ということわざを噛みしめています。

 自分は死者を悼む気持ちをきちんと書けているだろうか。

 表現の自由を盾に他者が不快感を示すコンテンツになっていないか

 自創作についても再度振り返る良いキッカケになったと感じています。

 閉会式でどのような演出がされるのかも注目です。

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