
人の人生にとやかく言うなの話
よく行くショッピングモールの中を歩いていると、いつもは見慣れない家具が並んでいるのが見えた。
こんなところに家具売り場?と思って近付いてみると、その近くには木で出来た手作りっぽい箱も積まれている。
売り場をよく見ると、木でできたカトラリーや食器類、焼き物、革の製品などもある。
どこかの伝統工芸品のポップアップストアかな?と、商品をじっくり見ながら売り場を歩いた。
そのうちのひとつに目が留まった。
木目のキレイな、持ち手付きのコップ。
他にも持ち手付きのコップがいくつかあったのだが、そのコップに惹かれた。
手に取ってみる。
軽い。
そして、この形が好きだ。
しかも断然、木目がいい。
家には既にマグカップがいくつかある。
できればこれ以上物を増やしたくない。
わたしはそのコップを台に戻し、諦めるつもりで他の商品を見て回った。
それほど広くない売り場はすぐに一周できて、またあのコップのところに戻って来た。
ふと、コップが置かれている台に敷かれた布の文字が目に入った。
刑務所作業製品販売。
すぐそばで、木のカトラリーを手にした女性2人連れの声が聞こえた。
「えっ。安い。これ買って帰ろうかな」
つい最近テレビで、アメリカの野球チームに入団した選手のニュースを見た。
彼がその挑戦を表明した時、あまり肯定的ではない意見があったようだ。
実績がどうとか、あと2年待てばとか。
見ていた番組のコメンテーターが、その選手は東日本大震災で過酷な経験をしたこと、それによって2年先よりも「今」を選んだのかもしれない。と言っていた。
なるほど。
明日もあると思っていた日常が突然無くなってしまう経験をした人が、あるかどうかわからない2年先よりも「今」やりたいことを選んだのかもしれない。
実際のところは本人にしかわからないが、その選手が自分で決めて挑戦することを選んだのだから、それでいい。
ここ数日は、誰かの人生について他の誰かがとやかく言うニュースばかり目にする。
本人にしかわからないことを、他の誰かが探ったり批判したりしている。
仮に何が事実かを知ったところで、わたしは
「そうですか」
としか言えない。
本人が事実を語ることはきっと無いだろう。
本人が語らないことを約束して決めたのだから、それでいい。
わたしには高額療養費の限度額引き上げの方がもっと気になる話題だ。
木目のキレイなそのコップを買うことにした。
コップを包んでくれている売り場担当の人に尋ねてみた。
「このお金はどこに行くんですか?」
「作った本人にももちろん入りますが、被害者支援団体の活動にも使わせていただいてます」
「そうですか」
わたしはそのコップを作った人を知らない。
その人が何をしたのかも知らないし、今後知ることも無いだろう。
木目のキレイなコップを買った。
わたしにとっての事実はただそれだけだ。
それでいい。