やわらかい食べ物と資本主義のやさしさ
自分は資本主義のやさしさを歯で感じていた、という話と、資本主義のやさしさの話をする。
歯が悪くなったのをしばらく放置していた。この前やっと歯医者に行ったのだけど、医者に行く前と後では食べられるものが全然違うことがわかって、世界が変わった気がして嬉しかった。
歯が悪いときには、自然とやわらかい食べ物ばかりを探していた。日本は高齢者にやさしい国なので、やわらかい食べ物を探すのは難しいことではなかった。
やわらかい食べ物は、大抵は機械によって粉砕されたものだった。成型肉や果実ジュースなどは、考えてみれば大掛かりな仕組みがないと成立しないものだ。それに気がついたとき、自分は「世界が自分のために食べ物を噛み砕いてくれている」という気持ちを抱いた。
そして、企業はきちんと原価を回収できる仕組みを作っているので、契約上、自分はすでに十分気持ちを返している。気持ちの負債を作らない、いつでもフェアでいられる仕組み、これこそが資本主義のやさしさだと感じた。やさしさに気が付かなくても、ひとにやさしく在ることができる仕組み。
資本主義のやさしさというのは、とにかく体力のことだ。図体がデカくて、それでいて素早く正確にニーズを把握し、ものを変化させられる力。自分はひとに期待しないということをやさしさだと感じていたけれど、期待を返しまくるというやさしさもあるんだなあとしみじみとした。
マッチョになりたいな。筋トレでもしよう。今日もタンパク質を多く含む食べ物が食べられてすごい。資本主義社会はえらい。
人間の資本が増えます。よろしくお願いします。