「笑い」を誘う3つのもの〜ベリクソン著「笑い」その1〜
今日は「笑い」のお話。
先日、哲学者のベリクソン先生(1859-1941)が書いた本に出会いました。
そのタイトルは
「笑い」
「哲学」と「笑い」、なんとなく違う世界に属しているもののように感じます。哲学者が大爆笑しているイメージ、あんまりないですよね。
さてさて、一体どんなことが書いてあるのでしょうか? 早速読んでいこう。
はじめに書いてあったのがこれ
オレ哲学者だけど、オマエらの些細な笑いに敬意を持って接していくからヨロシク!
ベリクソン先生は、「哲学」が日常の「笑い」を取るに足らないものとして、無視したり、邪険に扱ったりしないことをはじめに約束したのである。
なんて優しく、謙虚な姿勢のベリクソン先生!
ではでは、本編に突入しましょう!
オレ哲学者だけど、みんなの「笑い」を観察したら、3つの要素がキーになると思うんだけど、オマエらはどう思う?
その3つの要素がこれ。
①人間的でないと笑えない
例えば、人のいない風景を見て笑う人はいない。動物を笑うときは、その姿に人間の態度、表情を見いだしているからである。
②無感動状態でないと笑えない
笑いは平常な取り乱さない精神の表面に落ちてくる。笑いの大敵は情緒である。
心があらゆるできごとに感情的になっているとき、笑いを知り、理解することはできない。
例えば、素晴らしいダンスをしている人を笑うためには、耳を塞いで音楽が聞こえないようにしたらよい。どんなにエモいPVも音を消して見たら笑えてくるということだ。
③孤立していると笑えない
笑いは、隣から隣へと反響しつつ、長びいていこうとする何かである。自分が孤立していると感じるなら、笑いを味わえないであろう。笑いは常に集団の笑いなのである。
笑いは波動のようなものかもしれない。
音の波が空気という媒質を伝わっていくように
笑いの波は観客を媒質として伝わっていくのであろう。
テレビやyoutubeで見るお笑い番組を思い出してほしい。そこには必ず観客がいて、笑い声が画面を変えて我々に伝播していることに気づくはずだ。
2人での会話を思い出してほしい。聞き手が笑えば話し手も笑う。2人が媒質となり、2人の間を笑いの波が行ったり来たり、反響し、共鳴し、笑いは止まらなくなっていく。
3つの要素が集まる点
ベリクソンは、こうまとめている。
「笑い」は
グループとなって集まっている人々が
彼らの感性を沈黙させ、理知のみを働かせて
その全注意を彼らのうちの1人に向けさせるときに
生まれるものであろう。
ここまでの内容が最初の17ページに書いてある。
本は全225ページ、前菜ですでにお腹いっぱい。
もう無理、続きはまた明日(以降)