ブラッド・ブラザーズ。
今日、愛知公演初日を観てきました。
音楽の美しい舞台でした。
暗闇からの光。
堀内敬子さんのアカペラ。
そこに加わる美しい音楽。
ピアノとコーラスが終始美しい。
これは、Twitterなどで、私が日々得ていた印象と全然違う舞台。
場面も音も美しい。
さらに子どもたち。
素晴らしい子どもたち。
子どもたちの本質がそこに描かれる。
一人一人の想いが美しい。
子どもたちの本質は、美しい、と思わされる。
穢れがない。
きたない言葉を使っていても、お行儀が悪くても、それでも子どもたちの本質は美しい。
彼らの遊びもいたずらも、止められない命への讃歌。
ジュブナイル小説。
青春の必然の物語。
「テーブルに靴
蜘蛛を殺した
鏡が割れた
ギラつく満月
塩がこぼれた
道の裂け目を踏んだ
何か起きるきっと」
ナレーターという役割の伊礼彼方氏は、不吉な言葉を並べたてて、人々の不幸をここに呼び寄せているかに見えるけれど、作者のウィリー・ラッセル氏の言うように、これは「物語である」と、彼は初めから規定している。
「ジョンストン家の双子の話は知っているか?」
『すべてゲームでお話、あくまで演劇であるという前提で』物語を提示する。
(ウィリー・ラッセル氏インタビューより)
お伽話、妖精物語、ファンタジー。
言い伝え、迷信、そんなものに操られた少年たちの話を語りながら、「物語」という枠の中で、彼は現実を生きる子どもたちの知るべき真実を描き出す。
黒いコートの伊礼彼方が語って聞かせる悲しい物語。
子どもたち、この悲しい双子の物語から、私たちが生きる世界の現実を知ろう。迷信や言い伝えなんかを跳ね返し、賢く生き延びる力を探し出そう。
階級、格差、差別、貧困、それは現実。
だけどぼくらは、それに負けて死ぬ必要はない。
そのためにこそ、一幕全てを彩る子どもたちの命の叫びがある。
大人たちが命がけで子どもを演じることに価値がある。
大人たちが忘れ去っている命への渇望が子どもの中にはあるからだ。
子どもが子どもを演じても、何の違和感もない。
大人が子どもを必死で演じる時、外見と中身のギャップに人は気づく。
大人が忘れ去っているものがそこに見えてくる。子どもたちの純粋さ。真剣さ。愛への熱い想い。
この世界は、大人たちによって仕組まれている。
子どもたちや、貧乏人は不幸になるようにプログラムされている。
現実では、そのプログラムが機能する。この物語の中でも同様。
それは、ナレーターが子どもたちに気づかせようとして語ってくれているから。
これは、子どもたちの物語。
と、私は思う。
この世界は、理不尽なことだらけ。
どこからどこまで理不尽なことだらけ。
ミッキーだって、エドワードだって、迷信の通りに…。
違う。
跳ねのけろ!
ご時世?
それは悪魔のささやき。
こんなご時世に
負けるな。
大人たちも負けるな。
観劇後、何時間も、あの解雇を言い渡された茶色い上着の労働者の力強い歌声が私の頭の中に響いている。
あの歌声の力強さは、なんでもご時世のせいと言いくるめてくる大人社会のまやかしをいつかきっと跳ね返してやる、という強い意志。
大人も子どもも負けないで生き抜こう。
黒いコートのナレーターが世界に轟く声で教えてくれている。
これは、物語。言い伝え。迷信。そんなものに惑わされてはだめ。君は、こんな悲しい物語を生きてはだめ。
☆ ☆ ☆
東宝エリザベート初演以来、22年ぶりに、一路真輝さん、鈴木 壮麻さんカップルを拝見した。
子どもたちを苦しめる大人社会を象徴するにまさに相応しいキャスティングだった。
カッキーとウエンツ君の2人は、あまりに素晴らしい。上手い。望んで望んでこの役を手に入れたカッキーだけのことはあった。
伊礼彼方さんは、北斗のジューザに続いて彼自身の存在感でそこにいる。
いつまでも胸に響くのは、ご時世を歌う労働者の安福毅さん。おそらくあらゆるシーンで聴こえてくる影コーラスの力強い声も彼のもの。同時にこの作品の要である、「大人が命がけで演じる子ども」の中心を担う彼の命がけの演技には心からの拍手を送りたい。
すべてのキャストが一流。
少数精鋭の舞台。
それを可能にしたのは、おそらく初演から演者としてこの作品に参加してきた吉田鋼太郎氏が満を持して演出したからなのだろう。
最後に、私が殊勲賞を送りたいのが、音楽監督の前嶋康明氏。
彼の繰り出す音色は、本当に美しいものでした。
ありがとうございました。
2022.ブラッド・ブラザーズに携わったすべての皆さま。
本当に素晴らしい舞台でした。
LionMasumi。
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