自分を肯定「したくて」必死だった。
愚痴でなんとか自分を保たせてる時って、これですね↑
好きなところを肯定するのはたやすいが
まじで受け入れたくないネガティブな
自分を認めるのって本当に大変だ。
(受け入れやすいネガティブもある)
認めてるよ!と思っても、認めてる風なことが多くて
そこは管理観察監督。
トライアンドエラー、エラーアンドトライ!
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昨日は行き詰まった先に
「あ!」って時が来て(うまくいえない)、
自分か〜ってなって、吐いた。
(受け入れたくなかったやつすぎた)
もう自己嫌悪やら自己卑下やら恥ずかしいやら。
さらに私はそんなことないという自分への期待も追い打ちをかけて
あんたも好きねえ〜なお得意のゴール(自分いじめ)に
むかい始めた時に
おーい、そっちじゃないぞ〜と、
「宇宙が自分の魂を向上させようとしてくれるとしたら
今、何を言おうとしてくれてるんだろう?」
と、問いかけが生まれた。
あの空間にはこれまで2点しかなかった視点の、
3点目が生まれた感覚があった。
そう思ったら静かになった。
明確な答えがあったわけじゃない。
「肯定したい」は「肯定してない」をどんどん強める。
弱さを武器にしようとしていた。
そこが、相手と似たもの同士。
味方になったり敵になったり。
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人間関係、お金、やりたいこと・・・・etc
どれも昔だったらとっくに逃げ出していたような
「こわさ・心配・不安であろうこと」に突っ込んでいく
最中であることが、今とってもありがたい。
今日もお読みいただきありがとうございました。
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