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【中高生の私】ずっと続いて欲しかった毎日のこと。と、ずっと逃げたかった毎日のこと。

記事に出会っていただきありがとうございます。
本日もお疲れ様です。


人生のことを「旅」や「航海」に例える時がある思うのですが、私はその表現の仕方が大好きで、そういえばこれまでどんな旅をしてきたのか、と考えたのが、日記を書き出したきっかけでした。シンプルに文を書くことが好きだったこともありますが、自分だからこそ記せる自分の旅を言葉で残しておきたいと思いました。

船長は私。目的地は幸せ。

あえて言うなら、中学校生活は今の私の原点。絶対に過言ではない。ずっと揺るがずに私の中に残り続ける財産である。ずっと続けばいいのにと常に願ってしまうような毎日で、本当に幸せだった。家族や友人、周りの大人達が大好きで、「この人たちのために頑張りたい」と、本当に思っていた。史上最高に楽しかったし、自分に自信をもてていた。いや、周りにいてくれる人々が私に自信をもたせてくれていた、と言う方が正確だ。あれほど迎えたくなかった卒業の日も、気が付けばすぐに過ぎて行った。


全校生でお互いの名前と顔が一致しているような田舎の学校だったので、特別誰かと仲が良いというよりは、学校での交友関係は3年間広く浅くだったのだけれど、そこにいてくれる「みんな」が心から大好きだった。


特に毎日のように顔を合わせ、時間を共に過ごし尽くした部活の仲間達は私にとっての大切だった。今思うと本当にキラキラしていた毎日。部活で疲れすぎて宿題を後回しにして寝てしまい、夜中に思い出したかのように飛び起きて机に向かっていたのも、今ではもうできない大切な思い出だ。


先生たちも面白かった。だいたいどのクラスにもムードメーカーがいると思うが、その子に匹敵できるくらいのセンスを持ち合わせているのだ。驚くほど全員が。だから、クラスメイトと先生の会話が漫才かと思うくらいノリとテンポが良い。朝の「おはようございます」と帰りの「さようなら」の挨拶1つで生徒の心の状態を読んで、元気か?と声をかけてくださる。1人1人を見捨てない、そんな言葉が当てはまる信頼できる大人たちが、両親と同じくらいの味方でいてくれたこと。ありがたかった。


船積

私のありふれた中学校生活が幸せだったのは、周囲の人のおかげとしか言えない。


3年間で新入生誓いのことば、学級委員長、生徒会長、部長、英語スピーチ学年代表、文化祭実行委員長、卒業生答辞…とにかくたくさんの機会をもらった。人の前に立つこと、組織を率いることをたくさん学び、その辛さも苦しさも、喜び、感動1つ1つが私を成長させていった。誰にでもできることじゃない。でも、1人でできることでもない。自分の頑張りをきちんと見て、信頼し、評価し、応援してくれたこと。「感謝の気持ちだけは忘れないように」と両親から常に教えてもらっていた私は、とにかく全部に一生懸命向き合うことで自分にできる感謝の伝え方を形にした。


今思うと、この頃からの「自分を信じてくれる人達を裏切らないように」、「大好きな人達に笑っていて欲しい」という強い気持ちは変わっていない気がする。それと、完璧主義で頑固なところも。


中学校卒業時の私の夢は「中学校の英語の先生になること」
大好きだった先生達みたいになりたかった。なると思っていた。


視界良好のはずだった。

高校で部活も勉強も頑張れたら、私はどんな大人になれるのだろう。すごくすごく楽しみだった。


しかし、現実は甘くない。わかっていた。自分で選んだ場所だ。でも、中学の時とは違い、自然と心を閉ざすようになっていった。10年以上続けてきたスポーツなのに、その時間さえも否定されているかのような絶望感だった。強豪校ならではの歴史と伝統や、人間関係。ただただ、馴染むことに精一杯な毎日。


入学早々膨らませていた期待は一瞬で打ちひしがれ、「間違えてしまったかもしれない」そんな思いで、行ってこいと背中を押してくれた大好きな人達に申し訳なくなった。始発で朝練に通い、夜遅くに帰宅してからは心身共にすり減って勉強どころじゃない。数時間後にはまた始発。


毎日のように両親の送迎の車で涙を流した。両親が「行きなさい。」とか「行かなくていいよ。」とか言ってくれなくて良かった。もっと辛かったと思うから。ただそっとしておいてくれたのが嬉しかった。私の味方。


置かれた環境で努力して実を結ぶ人は多いし、逆境の中で咲かせた花には賞賛が送られる。でも私は3年間、蕾をもつことさえもできなかった。どこかで諦めがついた気がした。早く引退、卒業もしてしまいたい。


過ごすというより「耐える」毎日。


試合にも出ず、勉強もできず、本当に何にもできなかった。自分でも思うけれど、かなり性格が変わったと思う。人前に出ることも、たくさん笑うことも少なくなった。でも、周囲を人一倍見て、自分の居場所を選ぶことは得意になった。そしてそれが、チームの中で「人を支える」ということに繋がっていった。


自分の海は何色か

副部長に選ばれた。自信があるかなんて前に、自分が選ばれる理由が理解できなかった。推薦があったと顧問から言われたとき、今の自分に期待を込めてくれたチームメイトがいるなら、少しでも自分がそこにいる意味があるなら頑張りたい。そう思えた。

部長やもう1人の副部長はプレーでも一目置かれる存在。自分の色があって、誰にも塗り替えることができない特別な色。そばで見ていた分、ケガを乗り越えた強さやチーム、勝利への想いは人一倍大きいことはわかっているつもりだった。その背中をみんなが信頼していた。そんな2人なのに、一歩部活を離れると高校生モード全開で、みんなをあっという間に笑顔にする天才。かなわなかった。かなうはずがなかった。


チームのみんなが私のことを副部長として最後まで認めてくれたのかはわからない。それでも、あんなに素敵な仲間とチームメイトになることができたことは事実。とても光栄だ。


荒波

コロナ禍。さあここからという時期で高校2年の冬頃。自分自身大きな決断をした時だった。留学。小学生の頃から海外に行くことを夢に見ていた。部活を優先させて留学プログラムがある高校を選ばなかったことを少しだけ気にしていた。そんな中、自分の高校に留学プログラムが開設されるというので絶対に申し込もうと決めた。


今、海外に行くことができたら、絶対に自分の高校生活が変わる。


そのくらい大きな意味があった。高校では、自分が2歳から英会話を習っていることをずっと隠していた、と言うより文法は苦手だったのでバレようがなかった。英語を話すのが大好きだったが、テストの点は悪かったので、クラスメイトにも先生達にも英語は苦手だと思われていた。


漂う

留学という夢への切符を手にしかけた瞬間。周りの大人達は私のことを一斉に突き放した。両親とやっと行けるね、そんな話をしながら書いた申込書をもっていくと「部活はどうするの?」と言われた。


たった一言だったが、私にはあまりにも辛かった。


確かに、県で優勝を目指すチームに所属していながら、副部長を任せてもらっている私。何もためらいがなかったわけがない。でも、それでも、応援して欲しかった。部活が行ってはいけない理由になるのか…。涙をこらえ、言い返すこともできなかった。


今も反省しているのは顧問には事前に伝えておかなかったこと。校内選考が通った後の方が、意思が伝わると考えていた。案の定数日後、顧問に呼び出され、あの時と同じ質問をされた。チームを捨てるのかみたいなことを言われてしまい、気が付くと泣いていた。この時ばかりは揺れ動く気持ちをしっかり言葉にできた。


「事後報告になってしまったことは私が悪いです。反対されると思ったので、きちんと校内選考に通ってからお伝えするつもりでした。チームを捨てるつもりは一切ありません。でも、夢をあきらめるつもりもありません。すみません。」


顧問の表情は今でもはっきり覚えている。部活をするために高校に特色選抜で来ている生徒が、こんなことを言い出したことがあるだろうか。顧問の前では言葉を必死に紡ぐのと、涙をこらえるのに必死だったけれど、家に着く頃には溢れ出す涙は拭いきれないほどだった。


放課後に留学の事前学習が始まり、部活は途中参加をするようになった。練習試合を休んだこともあり、チームメイトが必死に大事な時期を過ごしていく中、私も目の前のことを一生懸命にやろうと決めた。


準備が整い、来週出発という所で「中止」が告げられた。渡航先でのウイルス流行が原因だった。


何のために頑張ってきたのだろう。
周囲から認めてもらえるようにと、ここまで頑張ってきたのに。


やっと夢が叶う、光が見えると思ったのに。


漂流先

次々と制限が増え、高校もあっという間に卒業していた。あまりにもあっさりとしていた。高校が1番楽しかったという友人の話はいつも耳を塞ぎたくなる。私には辛すぎたから。暗すぎたから。


楽しかったこと、学んだこともたくさんある。この3年間があったから、今の私が存在していることも間違いない。経験や、親友との出会いに心から感謝している。


でも、どうしても戻りたいとは思えない。


いつしか、大人を頼ることも信じることもしなくなった。私は逃げるように距離を置いた。できるだけ日が当たらないように。


そして、英語教師になるという夢を自分から捨てていた。どんな時も生徒と向き合い、私に夢を与えてくれた先生達のようになりたかったのに。その夢は欠片も残っていなかった。


教師というお仕事を否定するつもりはない。生徒に夢を与え、勇気づけることができる素晴らしいお仕事。夢見たお仕事。その一方で、真逆のことをしてしまう責任もあることに私は、怖くなってしまった。怖くなって、背を向けてしまった。


大学を決めたとき、私は自分が一番やりたいと思うことを真っ直ぐに突き通した。志望校も自分で決め、担任には「ここに行きます」とだけ伝えた。面接練習も友人と夜遅くまで頑張って、本を読み漁り、自己申告書も何度も書き直した。もっと上を目指してはどうかという意見を素直に聞けず、自己流で出願した。高校生ながら、かなり生意気に反抗していたと思う。またお会いできる機会があるならば、きちんと頭を下げたい。


仰いだ星空

結果は合格。早期合格をした人は職員室に報告に行かなくてはいけなかった。私にもできると伝えたかった。でも、ドラマみたいな展開は現実では起きない。


同日に合格発表だった同級生が、私の後に職員室に来た。その場でその子の合格を聞くなり、お祭り騒ぎ。大人から大人へ、伝っていく笑顔が「そっか、おめでとう」だけで終わった私には辛かった。その同級生に私も苦し紛れのおめでとうを伝えて、走った。


ここに私の居場所はない。


ずっと気が付かないふりをしていた感情を再確認させられたような気がした。もはや悔しいとか、悲しいとかじゃない。ただその場からいなくなりたかった。


舵を取る

この旅の船長は私。舵を取るのも私。目的地は幸せ。
旅の途中でこれからもきっとたくさんの人達と出逢えるはず。

その時に私は、
今よりも少しだけ、上手に舵を切れるようになっていたい。
今よりも少しだけ、荒波も楽しんで進めるようになっていたい。
今よりも少しだけ、誰かに分けられるようなお土産を積んでいたい。
今よりも少しだけ、素直になっていたい。


春から始まる新しい日々に思いを馳せて、旅を続ける準備をした。

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