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ふたつの遠足
先日のつぶやきのあと、バスに乗った。
旧市街まで約20分の道のりだ。
次のバス停で保育園のこどもたちが乗ってきた。
3歳から5歳ぐらいだろうか、15人ほどのこどもたちを3人の保育士さんが引率している。
蛍光イエローに反射テープのついたおそろいの安全ベストを着て、それはそれはうきうきな様子だ。
すずめの子のようにぴーちくぱーちくお話が止まらない。
4人がけのボックスシートに6人が座る。
こういうグループには必ずいる「ミニお母さん」みたいな女の子が、隣の男の子に「夕方の過ごし方」ついて熱心に言い聞かせている。
保育士さんに手をつながれている一番のおちびさんも負けていない。
しゃべりすぎて息継ぎをするタイミングを逃し、途中で深呼吸したりしている様子がおかしい。
汗ではりついた細いブロンドの髪を払う小さな手は、人差し指の爪だけが赤い。ペンで塗ったのね。
私は自身の小さいころの感覚がまだ残っているせいもあって、「こども好き」と公言したり、積極的にアプローチしたりすることにいまだにためらいがあるが、最近はどの子を見てもそれぞれかわいく、頬が緩んでしまう。
30代後半から40代と思われる保育士さんたちは、スポーティーなタイプ。ノースリーブから伸びる腕はきれいに日焼けしていて、みな「元アスリート」といった風情だ。
「静かにしましょう!バスには他の方も乗っています」
と、子どもたちに注意する様子は毅然としながらも威圧的ではなく感心する。
子どもたちはといえば、一瞬静かになるものの、ひそひそ声から元に戻るまでは5秒ほどだ。
そんな賑やかな車内だったが、この日の乗客は老若男女、顔をしかめる人はいなかった。
前方の乗客も後ろを振り返ってにこにこと見守っている。
近くに座っていたおばあさんは「今日もお天気だしねえ」と両手を胸の前でぱちんと合わせて一緒にノリノリだ。
保育士さんたちも、時々「しー!」と声をかけながらも、肩をすくめて笑顔だった。
一行は市立図書館前でバスを降りた。外に出て、みな眩しそうに目を細める。
まるで2倍速で動いているようなこどもたちも、夜になれば静かに寝息をたてるのだろうな。
さて、こどもたちが降りたあとに乗ってきたのはご高齢のペアだった。たぶんご夫婦だと思う。
奥さまは少しからだが不自由なようで、手すりを伝ってゆっくりゆっくり通路を進む。すぐ後ろで支えながら歩いてきたご主人は、まず奥さんをボックスシートの通路側に座らせてから、その前を横切って隣の窓際の席に座った。奥の席に出入りするのは意外と大変なものだ。
奥さまは真っ白な髪をベリーショートにし、水色とベージュの水彩画のようなTシャツに水色のひざ丈のパンツをお召しだ。
一方、ご主人は上下ともに黒っぽい出で立ち。
奥さまは肩掛けカバン、ご主人は小ぶりなナップザックを持っている。
どうしてこんなによく覚えているかというと、おふたりの様子がとても印象的だったからだ。
座っていてもカーブではバランスを崩しそうになる奥さまの腕を右手で支えながら、ご主人は左手でナップザックを開けて紙袋を取り出す。
中身はブレッツェル。ご主人は引き続き奥さまの腕を支えたまま、片手に持ってささっと平らげる。
奥さまは小さくちぎりながら半分ほど。
口元についたブレッツェルのくずをナプキンで拭ってあげるご主人。ゆっくりとご主人のほうに顔を向け、これまたゆっくりと笑みを浮かべる奥さま。
「雨が降らなくてよかったな」「……」
「あと10分ぐらいかな」「……」
奥さまの声を聞くことはなかったが、ちゃんとふたりのあいだには会話が成り立っているのだった。
こどもたちと保育士さん、そして居合わせた乗客、高齢のご夫婦、それぞれに交わされる慈しみと信頼と。
当然のことながら、誰しも人生はこんな日ばかりではない。
それぞれ人には言えない出来事や、どうしても手放せない思い、自責の念、答えの出ない問いに翻弄される夜、笑顔になれない朝もあっただろう。
それでもこんな温かな日差しに照らされる一場面も訪れる。
そこにたしかに存在した慈しみと信頼に、小さな希望と祝福を与えられた。
みなさま、よい週末をお過ごしください。