秋のパリの思い出|滞在時間90分
もう20年近く前になる。秋のパリを90分だけ訪れたことがあった。
旅の途中で立ち寄った、というものではない。ドイツから日帰りで行ったのだ。
なぜにそのような酔狂なことを、と思われるかもしれないが、それにはやむにやまれぬ事情があった。きょうはそのお話を。
*
私たちがドイツに引っ越した翌年、両親が初めてやってくることになった。
まだ小さかった子どもたち、新しい土地でどうしているのかという心配もあったと思うが、海外はおろか国内旅行すらしたことのない両親にとっては一世一代のイベントだった。
スーツケースは制限いっぱいまで持っていくとはりきる。容量の90%は日本の食材やお菓子、子どもたちの服などのお土産で占められた。出発を前に日に日に高揚感が高まっているのを感じる。そうだよね、滅多にない旅行だもんね。
そのときには、まさかこんな事態になるとは予想だにしなかった。
両親は無事にドイツに着いた。空港まで迎えに行き、孫たちとの感動の対面。スーツケースをいくつも車に積み込んで一路わが家へ。考えればここで気になることを言っていたのだった。
「これがね、キャビンサイズって言われていたのに(弟に借りていた)、カウンターで持ち込みできないって言われて預け入れになったのよ。超過料金も取られて」
家についてから判明したのだが、なんと両親……
他の方の荷物を持ってきてしまっていた。涙
成田空港から少し離れた駐車場からターミナルまでのシャトルバスで取り違えていたらしい。空港内で何度もアナウンスされていたようだったが、まさかと思っている両親の耳には届かなかった。大きさ明らかに違うんだから気づいてくれー。
その荷物を取り違えられてしまった方の行き先が「パリ」だったというわけだ。
先方のホテルに電話して謝罪する。もちろんお怒りだ。
せっかくのご旅行がこんなことになってしまい、本当に申し訳ない。
「国際宅配便か何かで送ってくれませんかね。明日には届くでしょう?」とおっしゃる。
日本の感覚なら信頼できる運送会社に高い料金を払えば翌日に届くと思われるだろう。ところがここでは何が起こってもおかしくはなく、明日に届くという確証はない。
わかりました、と言って送り、翌日届かなければ運送会社のせいにすることも可能だったが、私は正直に「明日着くかは何ともいえないのですが…」と言ってしまった。
それが火に油を注ぐ結果となり、「本当に困ってるんですよ。持ってきてもらいたいぐらいです」とおっしゃる。
そうか、その手があったか、と父と届けに行くことにした。やきもきするよりは自分で行ったほうがいいし、早くこの件から両親を解放してあげたいという気持ちもあった。
その日はもうここからパリまで乗り継げる電車はなかった。
仕方なく夫にドイツ国境近くのフランスまで車で送ってもらう。かなりの距離だが、そこまで行けばパリまでの電車がある。なんとかその日のうちに帰ってこれる計算だ。
出発時刻ギリギリでチケットを買い、なんとか飛び乗った。(が、もちろん発車は遅れる)
ところがそううまくはいかないのが常。それはドイツ鉄道もSNCF(フランス鉄道)も変わらないのであった。
前を行く列車が事故を起こし、路線が通行止めに。大きく迂回しての運行になる。
これでパリ滞在時間は90分に縮まった。
列車はめでたく予定通りの遅延で済み、パリ東駅に到着。
切符売り場には人影がまばら。ここは帰りの電車の切符を買っておくのが得策だ。
当初はホテルまでタクシーで向かえばいいか、と考えていた。
道路が混んでいないことを祈ったが、あえなく希望は砕かれる。やっぱりね。
タクシーの運転手さんは「歩いて行ったほうが早いよ」と、親切にも道順を教えてくれた。
「とにかくここをずーっとまっすぐ行って右、そこから左側の歩行者天国の道を行くといい」みたいなことを言ったが、実際はまったくわからなかった。路地だらけなんだからそれではざっくりすぎる。
とりあえずまっすぐ行って、売店やカフェで尋ねながら進む。
ホテルの名を言うと、みなわかったように説明してくれるが、本当に認識が正しいのか疑問だ。とりあえず近づいてはいるはず、と心に希望の火を灯し続けて進む。
それにしても遠いな。
今ならGoogle mapsで簡単だが、当時はスマホもなかった。
「えー!この辺りじゃないですよ。ずっとあっち」
…10分後
「すぐそこだよ、6区画ぐらい先を左」
すぐそこってあなた、5分以上かかったんですけど。
ちなみにこれをスーツケースを交代で引っ張りながらやっている。
パリの石畳と犬のふんを恨めしく思った。
タクシーの運転手の言った歩行者天国らしきところに着き、チーズ屋やらチョコレート屋の並ぶ中に目指したホテルはあった。スーツケースの持ち主は外出中で直接お目にかかることはできなかったが、事前にしたためておいた詫び状と気持ちを少々包み(スーツケース傷んだかもしれないし)、併せてフロントに預けた。
笑顔で「お帰りも気をつけて」と言われ、涙が出そうだった。
安堵も束の間、この時点で帰りの電車まで30分。
最短距離ではないだろうが、来た道を戻るしかない。
思いのほか父が元気で、田舎の車生活のわりにこんなに速く歩けるのだと驚いたが、振り向かずにどんどん歩いていくのにも驚いた。動物的勘には優れる父であるので、方向は合っていそうだったが、少しは娘を気にかけたらどうか。だいたい巻き込まれたのはこっちなのだ、誰のせいでこんな目に遭っていると思っているのだ、と怒りが湧く。途中、どうしても水が飲みたくなり、道端の売店で立ち止まった。そのまま行ってしまう父。行けばいい、切符は私が持っているのだ。と、不敵な気分で水を飲んだ。
駅が遠くに見えてきた。何とか間に合いそうだ。
だが、そこからはだらだらと長い登り坂。苦行でしかない。
駅にたどり着いた時には発車時刻が迫っていた。
何でこんなにたくさんホームがあるんだ。乗る電車の番線はまだ遥か遠くだ。
最後の力を振り絞って飛び乗る。列車は定刻に発車した。
どうせ遅れるんでしょ、などと「欧州ムーブ」を発動させていなくて本当によかった。
その後も、予約していた座席のダブルブッキングがあったり、電車に食堂車も売店もなかったりというアクシデントがあったが、もうどうということはなかった。
一番大変だったのは、国境近くのフランスの駅まで2往復しなければならなかった夫だったかもしれない。
ちなみにヘッダーの写真がそのときに撮った唯一のパリの写真である。